つるや旅館
つるや旅館(つるやりょかん)は、長野県北佐久郡軽井沢町にある老舗旅館である。数多くの文人たちが宿泊・滞在したことで知られている。
江戸時代初期に中山道街道筋の宿場町・軽井沢宿の休泊茶屋「旅籠鶴屋」として開業。明治時代に入り、宣教師たちが軽井沢へやって来るようになり、「つるや旅館」は日本風の建物のまま西洋風の趣を取り入れて、1886年(明治19年)に旅館業に転じる。以降、大正から昭和中頃にかけて多くの作家が常宿とするようになった。
本館・別館・奥館で構成されるが、離れである奥館は大正時代に建てられた2代目市川左團次の元別荘である(奥館は夏季のみの開館)[1]。本館は1971年(昭和46年)に火事で焼失し、現在の本館はその後に建てられたものである。
堀辰雄の小説『美しい村』で主人公が過ごしていた宿としても知られる[2]。
つるや旅館に宿泊した作家
[編集]- 明治時代に宿泊した作家
- 正宗白鳥 - 1912年(明治45年)に初来館。以降、1926年(大正15年)に別荘に移るまで常宿とする。文人としては最も古い常宿客。
- 大正時代に宿泊した作家
- 室生犀星 - 1920年(大正9年)7月に初来館。以降、毎夏滞在。当時の当主、佐藤不二男とも親しかった。
- 芥川龍之介 - 1924年(大正13年)7月22日 - 8月23日、1925年(大正14年)8月20日 - 9月末に滞在。室生犀星と「つつじの間」に二人で滞在したこともある。『軽井沢日記』や『書簡集』につるや旅館を舞台とした記述がある。
- 谷崎潤一郎 - 1924年(大正13年)に滞在。
- 菊池寛 - 1924年(大正13年)に滞在。
- 堀辰雄 - 1923年(大正12年)8月4日に初来館。1924年(大正13年)8月4日、1925年(大正14年)7月9日 - 9月下旬まで滞在。以降、1933年(昭和8年)までほぼ毎夏滞在。1933年(昭和8年)は『美しい村』の年で6月 - 9月まで滞在。滞在時は「つつじの間」などに泊まる。1925年(大正14年)には上の家(638号)に別荘住まいをする。
- 萩原朔太郎 - 1925年(大正14年)に滞在。
- 山本有三 - 1925年(大正14年)に滞在。
- 昭和時代に宿泊した作家
- その後
交通アクセス
[編集]周辺
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『新潮日本文学アルバム13 芥川龍之介』(新潮社、1983年10月20日。2002年11月15日17日17刷)p.76
- 『志賀直哉全集第二十巻 書簡(四)』(岩波書店、2000年10月19日)p.157,pp.163-164,p.376
- 『芥川龍之介全集 第11巻 書簡2』(岩波書店、1978年6月22日)p.324,p.405,p.446,p.522
- 『堀辰雄全集第9巻』(角川書店、1966年5月20日初版発行)pp.18-22,pp.24-26,p.34,p.49,pp.55-56,p.63
- 室生犀星『加賀金沢故郷を辞す』(講談社文芸文庫、1993年12月10日第一刷発行。2003年12月1日第三刷発行)(碓氷山上の月 pp.60-80)
- 堀辰雄『風立ちぬ・美しい村』(新潮文庫、1951年。改版1987年、2011年)pp.18-19
- 『軽井沢と文学』(軽井沢高原文庫、1992年9月5日第一刷発行)
- 前田愛『幻景の街文学の都市を歩く』(小学館、1986年)pp.170-188
座標: 北緯36度21分38.7秒 東経138度38分16.4秒 / 北緯36.360750度 東経138.637889度