アルカディア (ゲーム機)

アルカディア
メーカー
種別 据置型ゲーム機
世代 第2世代
発売日
CPU Signetics 2650
GPU Signetics 2647N
対応メディア ロムカセット
互換ハードウェア 約30種以上
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アルカディアArcadia)は、1983年日本で発売された家庭用ゲーム機

日本ではバンダイ・アルカディアとして、アメリカではEmerson Arcadia 2001として、ドイツではHanimex HMG 2650として販売されるなど、世界中でまったく別の会社からまったく別の名前で販売された同一のシステムの互換機が30種類以上存在する[1][2]。本稿では便宜的に日本で最も普及した互換機の名称であるアルカディアの項目名を用いる。

アメリカ日本では高性能な競合機に阻まれ失敗したが、西ドイツなど欧州の一部の地域ではある程度の成功を収めた。

互換機[編集]

アルカディア互換機は日本だけでもP.I.C.・エクセラ、朝日通商・ダイナビジョン、バンダイ・アルカディアなど複数にわたる。互換機は内部的にはまったく同一のシステムを採用しているが、実際はカートリッジの形状によっていくつかのバリエーションに分けられ、それぞれに互換性は無い。互換機はそのほとんどが香港で製造され、各国のディストリビューターによって独自の名称で販売された。そのライセンス元は不明である[2]

バンダイ・アルカディア[編集]

バンダイ・アルカディアは、バンダイ1983年3月25日に日本で発売した家庭用ゲーム機である[3]。アルカディアは香港からの輸入機種であり[4][5]、生産は香港のユニバーサル社に委託していた[6]

発売経緯[編集]

1982年の日本の玩具業界ではポストLSIゲームとして家庭用ビデオゲームに大きな期待が寄せられており、各社から複数の機種が展開され、テレビ広告などの積極的な宣伝活動も行われた[7]。しかし、トイズマガジンの調査によると1982年のビデオゲーム機本体の販売台数は全体で15万台程度、ゲームカートリッジを含めた市場規模は約70億円程度に留まったという[7]。1982年の日本のビデオゲーム市場が不振に終わった理由として、ビデオゲーム機本体が消費者にとってあまりにも高価格であったことと、何でもできるパソコンとしての側面を強調したために消費者にかえって中途半端な印象を与えてしまったことなどが指摘されている[8][9]。製販三層は本体だけで数万台ともいわれる相当数の在庫を抱え、翌1983年の夏休み時期になっても前年の在庫が捌けなかったという[7][10]

1982年夏から提携関係にあるマテル社の16ビット家庭用ゲーム機「インテレビジョン」を香港経由で輸入し、49,800円で販売していたバンダイは、1982年の日本の家庭用ビデオゲーム市場で規定していたほどの成果を得られなかったことを受けて、消費者側の価格訴求が強いと判断し、より低価格の新機種「アルカディア」を販売することを決めた[6][注 1]

当初、アルカディアは1983年2月のニューバンダイフェアでの発表時点においては定価29,800円で発売予定としていた[3][4][6][7]。しかし、家庭用ゲーム機市場の競争の激化が予想されたことや、アタリの家庭用ゲーム機事業の日本進出への対抗から、生産を委託する香港のユニバーサル社と協議を行い、1983年3月17日[12]に急遽予定価格を大幅に下回る19,800円に標準小売価格を設定したことを発表し、3月25日の発売に至った[3][4][6][12][注 2]。その結果、8ビットCPUを採用する家庭用ゲーム機としては日本で初めて2万円を切る低価格で発売されることとなる[3][4][6][注 3]

ところが、アルカディアの発売後にも、任天堂ファミリーコンピュータを15,000円[注 4]で発売することを発表するなど、競合各社による低価格帯の家庭用ゲーム機の発表や価格改定が相次いだ[7]。アルカディアもその情勢に影響される形で[7]、キャラクターソフトの発売を機に1983年7月1日から定価は据え置きのままカートリッジを1本同梱したアルカディアを発売[19]、1983年7月18日[20]には更なる仕様変更が行われ、定価を19,800円(カートリッジ1本同梱)から9,800円(本体・コントローラ等付属品のみ[21])まで値下げするまでに至った[7][20]

また、バンダイが従来から販売していたインテレビジョンに関してはアルカディアの上位機種と位置づけた上で[3][6][注 5]、アルカディアの発売後も販売が続けられた[3][4][23]。バンダイはインテレビジョンの販売計画を再検討し、周辺機器を充実させる計画を立てるなど、アルカディアとの差別化を図ろうとしていた[6]。アルカディアの9,800円への価格改定と同時期である1983年夏には、インテレビジョンの定価についても19,800円への値下げが行われている[7]

日経産業新聞の1983年5月の連載記事「膨らむ大型商品への期待・ビデオゲーム激戦」によると、玩具業界からはインテレビジョンもアルカディアもバンダイが自社開発の製品を発売するまでのつなぎ商品との見方がなされていた[4]。2008年のバンダイの石上幹雄へのインタビューによると低価格競争によって、テレビゲームのビジネスモデルは「小さく生んで大きく育てる」といった玩具業界の商慣習とは似て非なるリスクの大きいものと化しており、アルカディアという既存のゲーム機を輸入販売したのはコスト削減の側面もあったという[24]

バンダイは1983年3月の発売当初、アルカディアの初年度の販売台数を約20万台と見込んでいた[3]。1983年9月の日経産業新聞の調査によると1983年4月から8月にかけてアルカディアは約4万台を販売し、任天堂のファミリーコンピュータ、セガ・エンタープライゼスSG-1000エポック社カセットビジョンJr.に次いで3位に並んだという[25]。しかし記事中では、9,800円への強引な値下げによって販売台数を支えたのが実態であり、発売が1983年3月ということもあって夏休み商戦では苦戦したと評価している[25]

1983年にバンダイはアルカディアの他にも同じく海外からの輸入製品でディスプレイ一体型のゲーム機「光速船」や、シャープと共同開発したホビーパソコン「RX-78 GUNDAM」を発売したが、いずれのマシンも赤字を計上した[24]。バンダイは最終的にゲームハード事業から撤退し、ソフトメーカーとしてファミリーコンピュータに参入することとなった[24]

ハードウェア・ソフトウェアの特徴[編集]

バンダイ・アルカディアのソフトウェアの特徴としては、既存のアニメ・漫画などを題材にしたキャラクターソフトがラインナップとして加わっていたことが挙げられる[5][24]。テレビゲームにおけるキャラクターソフトは日本では初とも言える試みであり、その開発には株式会社科学技研が携わった[24]。その一方でキャラクターソフト以外のラインナップは日本国外からの輸入ソフトが中心となっていた[21]。カートリッジの価格は輸入ソフトは2,980円から4,800円、キャラクターソフトは3,800円に設定された[21]

アルカディアのコントローラはカールケーブルで接続されたテンキー付きの縦長コントローラである。コントローラーの方向パッドは、ネジ式のレバーを取り付けることにより、ジョイスティックとしても使用することができた[5]。『月刊コロコロコミック』1983年10月号に掲載された家庭用ゲームハードの比較記事では、アルカディアのコントローラはファミコンを含む同年発売の6機種のコントローラの中で唯一、最高の5つ星評価を得ていた。しかし画面性能は208×128ドット・8色止まりでサウンドも単調と評され、同誌の総合評価ではファミリーコンピュータ・アタリ2800・SG-1000に劣っていた。

発売されたタイトル[編集]

輸入ソフト[26][27]
キャラクターソフト[27]

※ 『パーマン』や『科学戦隊ダイナマン』を題材にしたキャラクターソフトも計画されていた[21][23]

Emerson Arcadia 2001[編集]

Arcadia 2001は、アメリカの大手家電メーカーEmerson Radio社が1982年に発売した家庭用ゲーム機。アメリカでのアルカディア互換機としては最も普及した。ハードの形状やスペック的にはアメリカで1980年に発売されたMattel Intellivisionに良く似ており、特にコントローラーの形はそのまま踏襲されている。当時のアメリカの人気ゲーム機だったAtari 2600より高性能なことを売りにしていた。

しかしArcadia 2001の発売とほぼ同時に、より優れた性能の競合機であるAtari 5200コレコビジョンが発売され、いきなり苦境に立たされる。また、UA社はアタリ社がライセンスを持つ『ミサイルコマンド』(アタリ)や『ギャラクシアン』(ナムコ)といった人気アーケード作品をArcadiaに移植してエマーソン社に提供した。しかし、アタリ社はこの頃より自社のライセンス管理を強化する方針を取ったため、エマーソン社はアタリの持つライセンスを取得できなかった。訴えられるのを恐れたエマーソン社は無許諾のままそれらのゲームの販売を強行することができず、売るに売れないソフトを不良在庫として抱えこむ羽目になった。ナムコなど人気アーケードゲームのライセンスの多くはAtariが握っていたため、Arcadia 2001のソフトは『ホッピーバグ』(セガジャンプバグ』の移植)や『スペースバルチャー』(テーカンプレアデス』の移植)など、ややマイナーなアーケードゲームが多くなった。性能で競合機種に劣り、キラーソフトも存在しないArcadia 2001は、アメリカでは商業的に失敗した。

Hanimex HMG 2650[編集]

HMG 2650は、Hanimex社が1982年に発売したゲーム機。西ドイツでのアルカディア互換機としては最も普及した。西ドイツではそれまでインタートン・VC 4000というゲーム機が人気で、VC 4000とよく似たシステムでより高性能なHMG 2650は、その次世代機的なポジションとしてそれなりの人気を博した。

互換機一覧[編集]

機体名 販売業者 国名 互換機のバリエーション
Advision Home Arcade Advision フランスの旗 Emerson console
アルカディア バンダイ 日本の旗 Emerson console
Arcadia 2001 Emerson アメリカ合衆国の旗 Emerson console
Cosmos Tele-Computer スペインの旗 Emerson console
ダイナビジョン 朝日通商 日本の旗 MPT-03 console
エクセラ P.I.C. 日本の旗 MPT-03 console
Hanimex MPT-03 Hanimex フランスの旗 MPT-03 console
HMG-2650 Hanimex ドイツの旗 Emerson console
Home Arcade Centre Hanimex フランスの旗 Emerson console
Intelligent Game MPT-03 Intelligent Game アメリカ合衆国の旗 MPT-03 console
Intercord XL 2000 System Intercord ドイツの旗 Emerson console
Intervision 2001 Intervision スイスの旗 Ormatu console
ITMC MPT-03 ITMC フランスの旗 MPT-03 console
Leisure-Vision Leisure-Dynamics カナダの旗 Emerson console
Leonardo GiG Electronics イタリアの旗 Emerson console
Ormatu 2001 Ormatu Electronics BV オランダの旗 Ormatu console
Palladium Video Computer Game Neckermann ドイツの旗 Palladium console
Polybrain Video Computer Game Polybrain ドイツの旗 Palladium console
Poppy MPT-03 Tele Computer Spiel Poppy ドイツの旗 MPT-03 console
Prestige Video Computer Game MPT-03 Prestige フランスの旗 MPT-03 console
Robdajet MPT-03 スイスの旗 MPT-03 console
Rowtron 2000 Rowtron イギリスの旗 MPT-03 console
Schmid TVG-2000 Schmid ドイツの旗 Emerson console
Sheen Home Video Centre 2001 Sheen オーストラリアの旗 Ormatu console
Soundic MPT-03 Soundic フィンランドの旗 MPT-03 console
Tele Brain Mr. Altus ドイツの旗 Palladium console
Tele-Fever Tchibo ドイツの旗 Emerson console
Tempest MPT-03 Tempest オーストラリアの旗 MPT-03 console
Tobby MPT-03 Tobby Tobby MPT-03 console
Trakton Computer Video Game Trakton オーストラリアの旗 Palladium console
Tryom Video Game Center Tryom アメリカ合衆国の旗 MPT-03 console
Tunix Home Arcade Monaco Leisure ニュージーランドの旗 Emerson console
UVI Compu-Game Orbit Electronics ニュージーランドの旗 Orbit console
Video Master Grandstand ニュージーランドの旗 Orbit console

ソフトウェア[編集]

ソフトの全タイトル数は51本。47本がUA社から発売された。また4本がバンダイから発売された[5]。複数のゲームの隠しメッセージとして香港のAndrew Choiが製作したとの記載が見られる。なおAndrew ChoiはVC 3000用ゲームの隠しメッセージにも名が記されており、VC 3000とアルカディアのゲームは同一のグループが製作していた模様。

アメリカにおけるArcadia 2001用のゲームはややマイナーなアーケードゲームの移植が主力である。アメリカでは販売中止を余儀なくされた、『ミサイルコマンド』に似た『ミサイルウォー』や、『パックマン』に似た『スーパーカブラー』など、アタリやナムコの無許諾移植や模倣作品も、日本や欧州などの地域では発売されている。ライセンスを得たタイトルはオープニング画面にライセンス元のクレジット表記がされているが、無許諾移植はクレジット表記が存在しない違いがある。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ なお、矢野経済研究所の調査によるとインテレビジョンは1982年に約3万台を出荷しており、ビートたけしをTVCMに起用するなど多額の広告宣伝費を投じたことも相まって、記事中ではスタートダッシュには成功したと評価している[6]。また、日経産業新聞の調査によると1983年3月末の時点でインテレビジョンは16ビット機の中ではトミーぴゅう太に次いで業界第2位の約2万5千台を出荷し、記事中では日本のビデオゲームブームの契機になったと評価している[4][11]
  2. ^ 3月17日の発表当日にバンダイから配布されたアルカディアのパンフレットには、29,800円と記載された価格欄を黒く塗りつぶして慌てて訂正したような痕跡が残っていたという[4][12]
  3. ^ 一方のアタリも当初は日本市場でのシェア獲得への強い意欲や問屋からの意見などから、39,800円の価格を検討していたアタリ2800を29,800円に販売価格を下げた上で1983年5月に売り出そうとしていた[12][13][14]。しかし、バンダイがアルカディアを1983年3月に19,800円で発売したことを受けて販売価格の変更を再度検討することとなり[12][14]、その結果、1983年4月には当初の予定価格から大幅に引き下げた24,800円でアタリ2800を発売すると問屋などに通告し[12][15]、更に1983年5月10日の発売日からは本体価格を据え置いたまま、本体と4,900円相当のゲームカートリッジをセット販売する施策も実施した[7][12][16]。しかし、その後も家庭用ゲーム機の価格競争は激化の一途を辿っていき[7][16]、1983年8月4日からは価格を据え置いたまま、カートリッジ2本とアタリ2800本体をセット販売するまでに至った[17]
  4. ^ セガ・エンタープライゼスが家庭用ゲーム機「SG-1000」をファミリーコンピュータと同価格の15,000円で売り出すことを発表したことなどを受け、ファミリーコンピュータは更に14,800円に定価を値下げした上で発売している[7][18]
  5. ^ 『アミューズメントライフ』第8・9号ではアルカディアは「インテレビジョンの弟分」として紹介されている[22]

出典[編集]

  1. ^ 「アルカディア(なつかしの電子ゲーム PART.3 VIDEOゲーム)」『電子ゲームなつかしブック (コアムックシリーズ 682)』、コアマガジン、2016年9月29日、60頁、ISBN 9784864369619 [信頼性要検証]
  2. ^ a b 「ファミコン以前の家庭用ゲーム機を振り返る!」『懐かしファミコンパーフェクトガイド』、マガジンボックス、2016年4月21日、99-101頁、ISBN 9784906735891 [信頼性要検証]
  3. ^ a b c d e f g 「バンダイ、家庭用8ビットゲーム機1万9800円で発売──アタリ進出に対抗」『日経産業新聞』1983年3月18日、16面。
  4. ^ a b c d e f g h 佐々木裕「膨らむ大型商品への期待・ビデオゲーム激戦(下)値下げ合戦どろ沼に。」『日経産業新聞』1983年5月27日、13面。
  5. ^ a b c d 武宗しんきろう (2012年12月14日). “テレビゲームファーストジェネレーション 第2回:TVゲームグラフティー 〜1984年日本編”. ファミ通.com. KADOKAWA. 2023年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月12日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h 「(株)バンダイ(第II章 電子ゲーム市場の動向と今後の需要分析)」『ホビービデオゲーム・ホビーパソコン市場の需要分析と今後の展開』矢野経済研究所、1983年4月13日、41-44頁。doi:10.11501/12048421 
  7. ^ a b c d e f g h i j k 「特別企画 '83注目ジャンルを探る ビデオゲームは…どう位置付けされるか?」『トイズマガジン』1983年8月号、トイズマガジン社、97-99頁。 
  8. ^ 「商品研究・ビデオゲーム 商戦のカギを握るジャンル!? 夏休み商戦では新機種中心に健闘——(巻頭特集/年末年始商戦対策 PART1)」『トイジャーナル』1983年10月号、12-15頁。 
  9. ^ 「[ゲームビデオ・LSI・盤・アクション] ビデオゲーム圧倒的な強みを発揮 一般ゲームも好調な動きを示す(総力特集 年末・年始商戦をマルチ解析!)」『トイジャーナル』1984年2月号、40-43頁。 
  10. ^ 「2.ビデオゲーム・ホビーパソコンの市場見通しと需要分析(第II章 電子ゲーム市場の動向と今後の需要分析)」『ホビービデオゲーム・ホビーパソコン市場の需要分析と今後の展開』矢野経済研究所、1983年4月13日、20-22頁。doi:10.11501/12048421 
  11. ^ 佐々木裕「膨らむ大型商品への期待・ビデオゲーム激戦(上)各業界から次々参入。」『日経産業新聞』1983年5月25日、13面。
  12. ^ a b c d e f g 佐々木裕「アタリの日本上陸(下)火ぶた切った価格戦争(産業ルポルタージュ)」『日経産業新聞』1983年5月17日、24面。
  13. ^ 「米アタリ社、ツクダなどを通じ家庭用TVゲームを5月発売──国内メーカー警戒。」『日本経済新聞』1983年3月28日、朝刊、11面。
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  15. ^ 「アタリ、日本で販売するビデオゲーム機価格を2万4800円に値下げ。」『日経産業新聞』1983年4月8日、11面。
  16. ^ a b 「家庭用ビデオゲーム、低価格時代に突入──2万切る機種続々、米社火付け国産も対抗」『日経産業新聞』1983年5月11日、13面。
  17. ^ 「アタリ・インターナショナル・ニッポン、TVゲームにカセットを1本追加し発売。」『日経産業新聞』1983年8月2日、12面。
  18. ^ 大西康博「任天堂 おもしろいものを出せば…」『トイズマガジン』1983年8月号、トイズマガジン社、102頁。 
  19. ^ 「夏から年末ヘ、商品展開を説明 6事業部から新製品多数を発表」『トイジャーナル』1983年7月号、東京玩具人形協同組合、119頁。 
  20. ^ a b 茂木隆「バンダイ 家庭用パソコン分野へ参入」『トイズマガジン』1983年8月号、トイズマガジン社、100頁。 
  21. ^ a b c d 「アルカディア('83ビデオゲーム全紹介)」『トイズマガジン』1983年8月号、トイズマガジン社、104頁。 
  22. ^ 「アルカディア ゲーム専用機の楽しさってあるよね。」『AM LIFE』8・9号、1983年8月10日、53-55頁。 
  23. ^ a b 「ビデオゲーム 《バンダイ》」『トイジャーナル』1983年9月号、東京玩具人形協同組合、26頁。 
  24. ^ a b c d e 武層新木朗「ROAD to FAMICOM 1972-1984 第7回 ファミコン直前に発売されたゲーム機たち テレビゲーム戦国時代・前編」『週刊ファミ通』2008年12月5・12日合併号、エンターブレイン、210-213頁。 
  25. ^ a b 「4─8月の大手ビデオゲーム生産状況、家庭用が好調、27万台を突破──日経調べ。」『日経産業新聞』1983年9月22日、16面。
  26. ^ 家庭用TVゲーム機はいま」『ゲームマシン』第214号(アミューズメント通信社)1983年6月1日、21-23面。オリジナルの2020年1月31日時点におけるアーカイブ。
  27. ^ a b 「(株)バンダイ エレクトロニクス事業部」『トイジャーナル おもちゃ大全集 PART1 '83東京おもちゃショー 83・6 臨時増刊』東京玩具人形協同組合、1983年6月10日、148頁。