エスキル・スッター
エスキル・スッター | |
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グランプリでの経歴 | |
国籍 | スイス |
活動期間 | 1991年 - 1998年 |
チーム | アプリリア、Muz |
レース数 | 85 |
通算獲得ポイント | 171 |
初グランプリ | 1991年 250cc オーストリアGP |
最終グランプリ | 1998年 500cc カタルーニャGP |
エスキル・スッター[1]( Eskil Suter, 1967年1月28日 - ) は、スイス・チューリヒ州トゥルベンタール出身の元オートバイレーサー。現在はスッター・レーシング・テクノロジー (SRT) を率い、レース用オートバイの製作に携わっている。
ライダーとしての経歴
[編集]1991年、ロードレース世界選手権250ccクラスにデビュー。Mohagチームでアプリリアのマシンを駆り6シーズンを戦ったが、最高位は1996年のダッチTTでの5位に留まり、目立った成績は残せなかった。1996年シーズン終了をもってグランプリの表舞台から一旦退くが、1998年には最高峰500ccクラスに参戦するMuZチームのレギュラーライダーであるドリアーノ・ロンボニが第2戦マレーシアGPで負傷したために、テストライダーを務めていたスッターがその代役に抜擢された。マシンの開発を続けながら8戦に出場、3戦でポイント圏内での完走を記録した。
ロードレース世界選手権 戦績
[編集]年 | クラス | チーム | マシン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | ポイント | 順位 |
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1991年 | 250cc | マールボロ・アプリリア・Mohag | RSV250 | JPN - | AUS - | USA - | ESP - | ITA - | GER - | AUT 17 | EUR 23 | NED - | FRA 21 | GBR 19 | RSM 16 | CZE DNQ | VDM - | MAL - | 0 | - |
1992年 | 250cc | マールボロ・アプリリア・Mohag | RSV250 | JPN 14 | AUS 23 | MAL 19 | ESP Ret | ITA 15 | EUR 13 | GER Ret | NED 20 | HUN 23 | FRA 11 | GBR Ret | BRA Ret | RSA 12 | 0 | - | ||
1993年 | 250cc | Mohag・アプリリア | RSV250 | AUS Ret | MAL 15 | JPN 17 | ESP 18 | AUT 11 | GER Ret | NED 14 | EUR Ret | RSM 12 | GBR 10 | CZE Ret | ITA Ret | USA Ret | FIM 10 | 24 | 19位 | |
1994年 | 250cc | Mohag・アプリリア | RSV250 | AUS 15 | MAL Ret | JPN 15 | ESP 10 | AUT 10 | GER Ret | NED 8 | ITA Ret | FRA 14 | GBR 10 | CZE 8 | USA 12 | ARG 19 | EUR Ret | 42 | 13位 | |
1995年 | 250cc | Mohag・アプリリア | RSV250 | AUS 13 | MAL 12 | JPN 8 | ESP Ret | GER Ret | ITA 10 | NED Ret | FRA 10 | GBR 9 | CZE Ret | BRA 12 | ARG - | EUR 11 | 43 | 14位 | ||
1996年 | 250cc | Mohag・アプリリア | RSV250 | MAL Ret | INA 11 | JPN 19 | ESP Ret | ITA 12 | FRA 7 | NED 5 | GER 13 | GBR 10 | AUT Ret | CZE 7 | IMO Ret | CAT 9 | BRA 15 | AUS Ret | 55 | 13位 |
1998年 | 500cc | MuZ Roc RennSport | MuZ500 | JPN 19 | MAL - | ESP - | ITA 18 | FRA Ret | MAD 14 | NED - | GBR Ret | GER 13 | CZE 14 | IMO Ret | CAT Ret | AUS - | ARG - | 7 | 26位 |
スッター・レーシング・テクノロジー
[編集]1996年、スッターは母国スイスでスッター・レーシング・テクノロジー ( Suter Racing Technology AG, SRT ) を設立した[2]。以来同社はロードレース世界選手権、スーパーバイク世界選手権等を戦うレーシングマシンのデザイン・制作等を手がけている。
開発に携わった主なマシン
[編集]MuZ500 (1999年)
[編集]1998年にはスッター自身が開発ライダーを務め、レースにも出場していたMuZ500を、翌1999年にはSRTがマシンデザインを請け負うことになった。エンジンは前年から引き続きスイスオート社製、実際のマシン制作はイギリスの Fabrication Techniques 社が担当した。このマシンを駆ってユルゲン・ファン・デン・グールベルクが2度ポールポジションを獲得し、チーム合計獲得ポイントでは前年の11ポイントから64ポイントへと躍進を見せた。
ペトロナス・FP1 ( 2002年 - 2005年 )
[編集]SRTは、スーパーバイク世界選手権(SBK)に参戦したペトロナス・FP1の3気筒900ccエンジンのデザイン・開発を担当した[3]。元SBK世界チャンピオンのカール・フォガティ率いるフォギー・ペトロナスチームが2台のマシンを走らせ、2004年シーズンには2度のポールポジション、2度の表彰台を獲得している。
カワサキ・ZX-RR ( 2004年 - 2006年 )
[編集]2004年から2006年にかけて、カワサキ・ZX-RRはエンジンを川崎重工業が、シャシーデザイン・開発担当がSRTという体制で作られ、ロードレース世界選手権MotoGPクラスに参戦した[3]。この3年間で中野真矢、オリビエ・ジャックらのライディングにより3度の表彰台を記録した。
イルモア・X3 ( 2006年 - 2007年 )
[編集]マリオ・イリエン率いるイルモア・エンジニアリングがエンジン担当、SRTはシャシーデザインから制作までを引き受けた[3]。MotoGP2006年シーズン終盤2戦に翌年からのレギュレーション変更を見越した800ccマシンでギャリー・マッコイをライダーにテスト参戦し、ポイントを獲得した。2007年シーズンからフル参戦を開始する予定だったが、資金難によりイルモアチームは開幕戦カタールGPを戦っただけで撤退となった。
スッター・MMX ( 2010年 - )
[編集]2010年シーズンよりロードレース世界選手権250ccクラス後継として、新たに4ストローク600ccエンジン(ホンダ製ワンメイク)を使用するMoto2クラスが始まった。クラス初年度は総勢40台、14ものシャシーコンストラクターが参戦する中で、SRTが供給するスッター・MMXは11台と最多数になった[4]。初レースの開幕戦カタールGPではスッター・MMXを駆る富沢祥也が勝利を挙げ、その後ジュール・クルーセル、ロベルト・ロルフォ、ステファン・ブラドルが1勝ずつを挙げた。年間ランキングではフリアン・シモンが2位を記録。コンストラクターズ部門では初代チャンピオンに輝いた。
再びMotoGPへ ( 2012年 - )
[編集]2012年よりMotoGPクラスのレギュレーションが改定され、市販車ベースのエンジンの使用が認められるのを見越して、SRTはBMW・S1000RR用のエンジンを積んだプロトタイプマシンの開発を進めている[5]。
脚注
[編集]- ^ エスキル・シューター、またはエスキル・シュッターと表記されることも多い。
- ^ http://www.suterracing.com/en/index.html
- ^ a b c http://www.suterracing.com/motorsport.html
- ^ いずれも開幕時点の数字。シーズン途中でシャシーをスッターに変更するチームが出たため、スッターを駆るレギュラーライダーは最終的には14人になった。
- ^ http://www.motorcycle.com/news/motogp-prototype-with-bmw-s1000rr-engine-89589.html
外部リンク
[編集]- suterracing.com スッター・レーシング・テクノロジー公式ウェブサイト
- motogp.com エスキル・スッター経歴