オラル
オラル Орал Уральск | |
---|---|
北緯51度14分 東経51度22分 / 北緯51.233度 東経51.367度 | |
国 | カザフスタン |
州 | 西カザフスタン州 |
設立 | 1613年 |
人口 | |
• 合計 | 210,600人 |
等時帯 | UTC+5 |
ウェブサイト | http://www.western.kz/ |
オラル(カザフ語: Орал、英: Oral)は、カザフスタン共和国の都市。西カザフスタン州の州都で、人口はおよそ20万人。ロシア語ではウラリスク(Уральск)と呼ばれる。ラテン文字表記はOral、またはロシア語に倣ってUralsk、Ural'sk。
ウラル川とチャガン川(Chagan)の合流点に位置する。ウラル川の西側にあるため地理的にはヨーロッパに区分される。
歴史
[編集]1613年、コサックによって建設されヤイツク(Yaitsk)と呼ばれた。ウラル川は当時、ヤイク川(Yaik)という名前で、それに因んだ。ヤイツクのコサックが、ステンカ・ラージンやエメリヤン・プガチョフの反乱に加担したため、1775年、エカチェリーナ2世は川の名を「ウラル川」と変え、町の名も「ウラリスク」に変えた。プガチョフの乱では半年にわたって包囲され、エカチェリーナ2世の軍はオレンブルクを奪還した後に、ウラリスクをやっと奪回した。ウラル山脈とカスピ海の間を、ウラル川のはしけを使った交易の中心地となる。アレクサンドル・プーシキンは「大尉の娘」の執筆調査で1833年にこの町を訪れた。ロシア革命時にはコサックに包囲されミハイル・フルンゼの防衛軍が死守した。1991年、カザフスタンが独立すると、オラルの名前となった。現在は住民の69%がカザフ人、25%がロシア人である。
著名出身者
[編集]- アナスタシヤ・バノバ - アーチェリー選手