クリスチャン・ダナー
クリスチャン・ダナー | |
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基本情報 | |
国籍 | ドイツ |
出身地 | 同・ミュンヘン |
生年月日 | 1958年4月4日(66歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1985-1987,1989 |
所属チーム | '85,'87 ザクスピード '86 オゼッラ '86 アロウズ '89 リアル |
出走回数 | 47 (36スタート) |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 4 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
初戦 | 1985年ベルギーGP |
最終戦 | 1989年ポルトガルGP |
クリスチャン・ダナー(Christian Danner, 1958年4月4日 - )は、ドイツの元レーシングドライバー。
経歴
[編集]生い立ち
[編集]ドイツで交通事故の予防研究者として知られる父・マックス・ダナーの息子として生まれる。ミュンヘンの高校(Karlsgymnasium München-Pasing)を卒業後、1977年にワンメイクレースのルノー・5カップでモータースポーツキャリアを開始した。
フォーミュラ2
[編集]1980年よりヨーロッパF2選手権やドイツ・プロカーBMW M1選手権に参戦を開始。1981年にマーチ・エンジニアリングのF2におけるワークス体制ドライバーに起用される。1982年もヨーロッパF2にフル参戦、最終戦終了後の9月にはチームと共に遠征し、全日本F2選手権の「鈴鹿グレート20レーサーズ」にスポット参戦した。
1983年からはマーチによる直接のチーム運営ではなく、ワークス格チームとしてオニクスがマーチ製F2シャーシで参戦開始することになり、その流れからダナーはオニクスに加入。チームメイトはティエリー・タッシンとベッペ・ガビアーニとなった。同年は同僚のガビアーニが開幕から好調でタイトル争いをリードしていたが、ダナーもポールポジションの獲得や表彰台に3度立つ活躍でランキング5位の結果を残す。この活躍によりF1ブラバムのテストに呼ばれ、BT52Bをテストで走らせることもできた。1984年は新設立されたPMCモータースポーツへ移籍し、パスカル・ファブルがチームメイトとなった。ファブルが1勝を挙げ、ダナーの最高位は2位であったが、シーズンを通してファブル(ランキング7位)より安定して選手権ポイントを獲得し続けた。シーズンでは表彰台4回、ポールポジション1回とマーチユーザーの最上位であるランキング5位となった。
国際F3000初代チャンピオン
[編集]1985年は、同年よりF2から発展的させるかたちでスタートしたF1直下カテゴリー「国際F3000選手権」に参戦 。チームは1978年までF1にマクラーレン・M23シャーシを購入してプライベート参戦[1]していたBSファブリケーション(元チーム・ロータスのエンジニア、ボブ・スパーショットがオーナー)が国際F3000の活動を本格化させた「BSオートモーティブ」より参戦。同年の国際F3000シーズン序盤は、マイク・サックウェルとエマニュエル・ピロ、ジョン・ニールセンが勝利を挙げ、ダナーはランキング5位から6位をキープしてポイントを重ねている立場だった。しかし、第5戦ポー・グランプリでダナーが初優勝を達成すると、以後7戦4勝を挙げサックウェルとピロを逆転し、初代シリーズチャンピオンを獲得した。
フォーミュラ1
[編集]この1985年シーズンの終盤、スパ1000kmレースのプラクティス中の事故で足を骨折したジョナサン・パーマーの代役として指名を受け、ザクスピードよりF1にデビューした。最終戦終了後、一度はフランスのリジェと翌年の契約をしたが、長身(1m86cm)のダナーがオフのテストでリジェのマシンに身体が収まらなかったため、その契約は開幕前の2月に解消された[2]。
1986年、リジェとの破談後にイタリアのオゼッラと契約し、初めてフルタイムのF1ドライバーとなった。第6戦カナダGPではオゼッラだけでなくアロウズもダナーをエントリーしたことで、オゼッラとアロウズの間で契約問題が起こった。ダナーは一度はアロウズのコクピットに座るも、アロウズからのエントリーが遅かったことから、カナダではオゼッラから出走することとなった[3]。第7戦以降はシーズン最終戦までアロウズからエントリーされ、オーストリアGPで6位に入賞し初の選手権ポイントを獲得した。
1987年はザクスピードに復帰し、マーティン・ブランドルとのコンビとなった。ブランドルは第2戦サンマリノGPで2ポイント(ザクスピードにとってF1参戦中唯一となる入賞)を獲得した。ダナーは6度のシングルフィニッシュを果たしブランドルより高い完走率を記録したものの、最高位は2度の7位でポイント獲得は成らなかった。
1988年、ラルース・カルメルの共同オーナーのディディエ・カルメルとの間でシート獲得がほぼ決まりかかるも、開幕直前にこれも破談となりF1シートを得られなかったが、5月に新興チームのユーロブルンがオスカー・ララウリに替えてダナーの起用を一度は決め、ER188をテストすることになった。しかし、リジェの時と同様にダナーの身長が高すぎてER188のモノコックに体が収まらないことが判明し、チームへの加入は断念された[4]。同年はBMWアルピナチームよりドイツ・ツーリングカー選手権(旧DTM)に参戦し、2勝を挙げランキング11位となった。
1989年、ドイツに拠点を置くリアルと契約し、F1へ復帰する。同年のマシンARC2は極めて剛性の低いマシンだったが[5]、フェニックス市街地コースで開催されたアメリカGPで4位入賞を果たし3ポイントを獲得。このダナーの3ポイントによってチームを予備予選対象チームから脱出させることに成功した。しかし以後は第13戦までに9回の予選不通過となり、第14戦以降はチームを離れた。
F1での予選通過回数は36であるが、1986年イギリスGP、1987年ポルトガルGPではスタート直後のクラッシュに巻き込まれ、2度目のスタートに出走できなかった為、どちらもDNS扱いとなっている。
また当時、珍しくピアスをしていたことや、非常に端正な顔立ちで人気を博した。
全日本F3000選手権
[編集]1990年には全日本F3000選手権にレイトンハウスよりフル参戦。レース雑誌「Racing On」誌上に連載コラムを執筆した。日本のF3000について「思っていたよりかなりレベルが高かった。毎戦上位は皆コンペティティブで、非常にシビアなシリーズだ。」と記している。また同年はレースの度にドイツと日本を行き来していたため、「フランクフルトと成田の空港に顔見知りの職員が出来た」とも述べているが、「F1よりハードでステアリングを握ることにかつてないほど責任を感じたプロフェッショナルなチームとシリーズ運営に感銘を受けた」とも記しており、「F1時代には日本のファンはF1ドライバーだから僕を歓迎しているのだろうと思っていたが、F3000を見に来るレースファンも素晴らしく熱心で、その情熱は感動に値するものを感じた。」と自身への応援に謝意を述べている[6]。年間成績は4ポイントを獲得し、最高成績は第9戦富士で記録した3位表彰台、ランキングは14位となった。
インディカー
[編集]1992年にはフォーミュラのシートを求めて北米最高峰カテゴリーのCARTに第5戦デトロイトから参戦した。しかし小チームかつ前年用旧型シャーシであるローラ・T91/00での参戦のため戦闘力が低く、エントリーした8レースでの最高位は13位であった。CARTへは1997年までスポット参戦した。この中で1994年に二度12位(当時のインディカーでは12位以上がポイント獲得圏)で完走し、ダナーはF1とインディカーの両方でチャンピオンシップポイントを獲得した初のドイツ人となった。
ツーリングカー選手権
[編集]ツーリングカーレースにはF1から一時撤退した1988年から参戦し、BMWやアルファロメオを駈り、ドイツツーリングカー選手権やドイツ・スーパーツーリング選手権 (STWカップ)に参戦。イギリスツーリングカー選手権 (BTCC)にも1991年にスポット参戦した[7]。1997年にレーシングドライバーの第一線から退くことを表明。
以後も単発でイベントレースへ参戦することはあり、2006年に元F1ドライバーの参戦で行われたグランプリマスターズに参戦し、2位となった。
2019年、ドイツADAC GT4選手権にTeam GTのマクラーレン・570S GT4で参戦した。
解説者として
[編集]1998年よりヨッヘン・マスの後任としてRTLテレビジョンによるF1グランプリ中継の共同解説者となった。このほか、ドイツ・オートモーター&スポーツテレビ(VOX)で交通安全研究員として活動。1999年にドイツのテレビ番組審査賞で「ベストスポーツTV生放送」部門を受賞した。
テレビでの仕事に加えて、月刊会員誌「ADAC Motorwelt」で2010年までコラムの執筆や、モータースポーツのオンラインプラットホームである Motorsport-Magazine.com にて定期的にコラムを寄稿している[8]。
レース戦績
[編集]ヨーロッパ・フォーミュラ2選手権
[編集]年 | エントラント | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 順位 | ポイント |
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1980年 | Uher Cassani Racing | ラルト・RT1 | BMW M12/7 | THR | HOC | NÜR DNS | VLL | PAU | SIL | ZOL | MUG | ZAN | PER | MIS | HOC | NC | 0 | |
1981年 | マーチ・エンジニアリング | マーチ・812 | SIL 10 | HOC 9 | THR 5 | NÜR 10 | VLL Ret | MUG 16 | PAU Ret | PER Ret | SPA Ret | DON 14 | MIS Ret | MAN 11 | 18位 | 2 | ||
1982年 | マーチ・822 | SIL Ret | HOC Ret | THR Ret | NÜR 9 | MUG DNS | VLL 13 | PAU Ret | SPA 9 | HOC Ret | DON 7 | MAN 5 | PER 6 | MIS 4 | 6位 | 13 | ||
1983年 | オニクス・レースエンジニアリング | マーチ・832 | SIL 3 | THR 13 | HOC 2 | NÜR 3 | VLL 10 | PAU 5 | JAR 9 | DON 5 | MIS Ret | PER 7 | ZOL 4 | MUG 10 | 5位 | 21 | ||
1984年 | PMCモータースポーツ | マーチ・842 | SIL 7 | HOC 6 | THR 2 | VLL 3 | MUG 3 | PAU 4 | HOC Ret | MIS 6 | PER Ret | DON 3 | BRH 10 | 5位 | 23 |
全日本フォーミュラ2選手権
[編集]年 | チーム | シャーシ | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1982年 | マーチ・エンジニアリング | マーチ・822 | BMW M12/7 | SUZ | FSW | SUZ | SUZ | SUZ 13 | SUZ | NC | 0 |
国際F3000選手権
[編集]年 | チーム | シャーシ | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1985年 | BSオートモティブ | マーチ・85B | コスワース DFV | SIL 4 | THR 6 | EST 9 | VLL 3 | NÜR C | PAU 1 | SPA 3 | DIJ 1 | PER 3 | ÖST 16 | ZAN 1 | DON 1 | 1位 | 51 |
マカオグランプリ
[編集]年 | チーム | エンジン | 周回 | 合計タイム | LEG1 | LEG2 | 総合順位 |
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1985年 | Bertram Schafer Racing | VW | 21 | 52:27.090 | 11 | Ret | 18位 |
フォーミュラ1
[編集]年 | 所属チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | WDC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1985年 | ザクスピード | 841 | BRA | POR | SMR | MON | CAN | DET | FRA | GBR | GER | AUT | NED | ITA | BEL Ret | EUR Ret | RSA | AUS | NC (35位) | 0 |
1986年 | オゼッラ | FA1F | BRA Ret | ESP Ret | SMR Ret | MON DNQ | BEL Ret | CAN Ret | 18位 | 1 | ||||||||||
アロウズ | A8 | DET Ret | FRA 11 | GBR Ret | GER Ret | AUT 6 | ITA 8 | POR 11 | MEX 9 | AUS Ret | ||||||||||
A9 | HUN Ret | |||||||||||||||||||
1987年 | ザクスピード | 861 | BRA 9 | SMR 7 | NC (23位) | 0 | ||||||||||||||
871 | BEL Ret | MON | DET 8 | FRA Ret | GBR Ret | GER Ret | HUN Ret | AUT 9 | ITA 9 | POR Ret | ESP Ret | MEX Ret | JPN Ret | AUS 7 | ||||||
1989年 | リアル | ARC2 | BRA 14 | SMR DNQ | MON DNQ | MEX 12 | USA 4 | CAN 8 | FRA DNQ | GBR DNQ | GER DNQ | HUN DNQ | BEL DNQ | ITA DNQ | POR DNQ | ESP | JPN | AUS | 21位 | 3 |
(key)
全日本フォーミュラ3000選手権
[編集]年 | チーム | シャーシ | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1990年 | LEYTON HOUSE RACING | レイトンハウス 89B レイトンハウス 90B | 無限・MF308 | SUZ 13 | FSW Ret | MIN 9 | SUZ 15 | SUG 17 | FSW Ret | FSW 10 | SUZ 16 | FSW 3 | SUZ | 15位 | 4 |
ドイツツーリングカー選手権
[編集]国際ツーリングカー選手権
[編集]年 | チーム | 使用車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1995年 | シューベル・エンジニアリング | アルファロメオ・155 V6 TI | MUG 1 Ret | MUG 2 12 | HEL 1 1 | HEL 2 13 | DON 1 12 | DON 2 9 | EST 1 15 | EST 2 DNS | MAG 1 Ret | MAG 2 13 | 15位 | 48 | ||||||||||||||||
1996年 | アルファコルセ | HOC 1 13 | HOC 2 Ret | NÜR 1 9 | NÜR 2 10 | EST 1 12 | EST 2 13 | HEL 1 8 | HEL 2 Ret | NOR 1 Ret | NOR 2 DNS | DIE 1 15 | DIE 2 Ret | SIL 1 10 | SIL 2 13 | NÜR 1 18 | NÜR 2 20 | MAG 1 Ret | MAG 2 DNS | MUG 1 12 | MUG 2 Ret | HOC 1 7 | HOC 2 6 | SAO 1 3 | SAO 2 Ret | SUZ 1 2 | SUZ 2 7 | 15位 | 48 |
ドイツ・スーパーツーリング選手権
[編集]年 | チーム | 使用車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997年 | JAS エンジニアリング | アルファロメオ・155 | HOC 1 17 | HOC 2 23 | ZOL 1 23 | ZOL 2 23 | NÜR 1 17 | NÜR 2 Ret | SAC 1 Ret | SAC 2 Ret | NOR 1 17 | NOR 2 Ret | WUN 1 18 | WUN 2 Ret | ZWE 1 24 | ZWE 2 21 | SAL 1 20 | SAL 2 18 | REG 1 20 | REG 2 18 | NÜR 1 23 | NÜR 2 18 | 29位 | 37 |
ル・マン24時間レース
[編集]年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1981年 | ヘルムート・マルコ RSM | ピーター・オバーンドファー レオポルド・プリンツ・フォン・バイエルン | BMW・M1 | GT | 41 | DNF | DNF |
1985年 | クリーピー クラウリー レーシング | グラハム・ダックスベリー アルモ・コッペリ | マーチ・85Gーポルシェ | C1 | 270 | 22位 | 17位 |
1986年 | クーロス・レーシングチーム | アンリ・ペスカロロ ディーター・クエスター | ザウバー・C8ーメルセデス | C1 | 86 | DNF | DNF |
アメリカン・オープンホイール
[編集]CART
[編集]年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 順位 | ポイント | Ref |
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1992年 | ユーロモータースポーツ | SRF | PHX | LBH | INDY | DET 18 | POR | MIL | NHA | TOR 16 | MCH | CLE 16 | ROA 16 | VAN 21 | MDO 19 | NAZ 13 | LS 20 | 39位 | 0 | [9] | |
1993年 | SRF | PHX | LBH | INDY | MIL | DET | POR | CLE 25 | TOR | MCH | NHA | ROA 11 | VAN | MDO | NAZ | LS 26 | 31位 | 2 | [10] | ||
1994年 | プロジェクト・インディ | SRF | PHX | LBH | INDY | MIL | DET 12 | POR | CLE Wth | TOR | MCH | MDO | NHA | VAN | ROA 12 | NAZ | LS | 30位 | 2 | [11] | |
1995年 | MIA 7 | SRF | PHX | LBH | NAZ | INDY | MIL | DET 22 | POR | ROA | TOR | CLE | MCH | MDO | NHA | VAN | LS | 25位 | 6 | [12] | |
1997年 | ペイトン/コイン・レーシング | MIA | SRF | LBH | NAZ | RIO | GAT | MIL | DET 12 | POR 27 | CLE | TOR | MCH | MDO | ROA | VAN 23 | LS | FON | 31位 | 1 | [13] |
脚注
[編集]- ^ 1978年にネルソン・ピケがBSファブリケーションのM23でF1に参戦した。
- ^ "Zehn Zentimeter zu groß - keine Formel 1 für Danner" (PDF). Hamburger Abendblatt. 23 February 1988. 2022年5月15日閲覧。
- ^ 「Autocourse 1986-1987」Hamilton, Maurice (Editor) Hazleton Publishing, 1986, ISBN 0-905138-44-9
- ^ Henry (Hrsg.): Autocourse. 1988–89. 1988, S. 37.
- ^ フォルカー・バイドラー いつまでもニッポンで走る! Racing On No.121 86頁 1992年6月15日発行
- ^ 1年間日本のレースを戦ってきて Racing On No.088 133頁 武集書房 1991年1月1日発行
- ^ “Christian Danner” (英語). Super Touring Register. 2020年12月3日閲覧。
- ^ Christian Danner Christian Danner bei Motorsport-Magazin.com
- ^ “Christian Danner – 1992 CART Results”. Racing-Reference. NASCAR Digital Media, LLC. August 15, 2023閲覧。
- ^ “Christian Danner – 1993 CART Results”. Racing-Reference. NASCAR Digital Media, LLC. August 15, 2023閲覧。
- ^ “Christian Danner – 1994 CART Results”. Racing-Reference. NASCAR Digital Media, LLC. August 15, 2023閲覧。
- ^ “Christian Danner – 1995 CART Results”. Racing-Reference. NASCAR Digital Media, LLC. August 15, 2023閲覧。
- ^ “Christian Danner – 1997 CART Results”. Racing-Reference. NASCAR Digital Media, LLC. August 15, 2023閲覧。
タイトル | ||
---|---|---|
先代 マイク・サックウェル | 国際F3000選手権 1985年 | 次代 イヴァン・カペリ |