グレッグ・ハンセル
基本情報 | |
---|---|
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | カリフォルニア州ベルフラワー |
生年月日 | 1971年3月12日(53歳) |
身長 体重 | 196 cm 102 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1989年 ドラフト10巡目 |
初出場 | MLB / 1995年4月28日 NPB / 2000年4月2日 |
最終出場 | MLB / 1999年10月3日 NPB / 2002年9月14日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について |
グレゴリー・マイケル・ハンセル(Gregory Michael "Greg" Hansell , 1971年3月12日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
[編集]2000年、阪神タイガースに入団。当初はベン・リベラに代わる抑え候補だったが、先発投手としての適性を見い出され、メジャーでも経験しなかった先発として20試合に登板。チームはセ・リーグ最下位に沈んだが、自身は規定投球回未到達ながら7勝8敗を記録し、川尻哲郎に次ぐチーム2番目の好成績を挙げた。
2年目の2001年には開幕から先発ローテーションに加わり、27試合に登板。同年は規定投球回に到達し、防御率はリーグ9位の3.49を記録するが、打線の援護が無く5勝13敗で、このシーズン最多敗戦を記録してしまった。
3年目の2002年はシーズン開幕間もなくヘルニアが悪化し戦線離脱、帰国し6月に内視鏡手術を受けた。その後驚異的な回復力でシーズン後半には再来日を果たし阪神残留をアピールしたが、星野仙一監督の戦力構想から外れ退団となった。
阪神退団後も日本でのプレーを希望し、実際に日本の複数の球団から獲得のオファーがあった。特に中日ドラゴンズが彼に興味を示したと言われている。しかし、その後阪神がストッパーとして活躍したマーク・バルデスを放出したため、中日は獲得対象をハンセルからバルデスに変更した。
結局ハンセルは日本でのプレーの希望は叶わず、2003年はニューヨーク・ヤンキースのマイナーに所属。その後メキシコ等でプレーしメジャー復帰を目指したが叶わず現役を引退した。
パソコン、インターネットに造詣があり、来日前の現役時代からattheyard.comというスポーツグッズ販売会社のウェブサイトに定期的にブログを掲載していた。ファンがメールを送れるようにもなっていた。
2006年に東北楽天ゴールデンイーグルスの在米スカウトに就任。野村克也監督は、阪神時代に彼を「近鉄のいてまえ打線がバックなら20勝」と高く評価していた。
2017年現在横浜DeNAベイスターズの在米スカウトとして活動中。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1995 | LAD | 20 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 93 | 19.1 | 29 | 5 | 6 | 1 | 2 | 13 | 0 | 0 | 17 | 16 | 7.45 | 1.81 |
1996 | MIN | 50 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 3 | -- | 1.000 | 329 | 74.1 | 83 | 14 | 31 | 1 | 2 | 46 | 9 | 1 | 48 | 47 | 5.69 | 1.53 |
1997 | MIL | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 21 | 4.2 | 5 | 1 | 1 | 0 | 1 | 5 | 0 | 0 | 5 | 5 | 9.64 | 1.29 |
1999 | PIT | 33 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 4 | .250 | 168 | 39.1 | 42 | 5 | 11 | 3 | 3 | 34 | 2 | 0 | 20 | 17 | 3.89 | 1.35 |
2000 | 阪神 | 20 | 20 | 0 | 0 | 0 | 7 | 8 | 0 | -- | .467 | 497 | 114.0 | 108 | 10 | 52 | 2 | 6 | 97 | 4 | 0 | 59 | 55 | 4.34 | 1.40 |
2001 | 27 | 26 | 0 | 0 | 0 | 5 | 13 | 0 | -- | .278 | 700 | 162.1 | 145 | 14 | 75 | 1 | 8 | 123 | 6 | 0 | 71 | 63 | 3.49 | 1.36 | |
2002 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 19 | 4.2 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 1 | 1 | 1.93 | 1.07 | |
MLB:4年 | 106 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 4 | 3 | 4 | .500 | 611 | 137.2 | 159 | 25 | 49 | 5 | 8 | 98 | 11 | 1 | 90 | 85 | 5.56 | 1.51 | |
NPB:3年 | 52 | 46 | 0 | 0 | 0 | 12 | 21 | 0 | -- | .364 | 1216 | 281.0 | 257 | 24 | 128 | 3 | 14 | 222 | 11 | 0 | 131 | 119 | 3.81 | 1.37 |
記録
[編集]- NPB投手記録
- 初登板・初先発登板:2000年4月2日、対横浜ベイスターズ3回戦(横浜スタジアム)、4回6失点で敗戦投手
- 初勝利・初先発勝利:2000年4月8日、対広島東洋カープ2回戦(広島市民球場)、6回2/3を4失点
- 初奪三振:同上、2回裏に西山秀二から空振り三振
- NPB打撃記録
- 初安打・初打点:同上、4回表に紀藤真琴から遊撃2点適時内野安打
背番号
[編集]- 52 (1995年)
- 19 (1996年)
- 53 (1997年)
- 57 (1999年)
- 49 (2000年)
- 14 (2001年)
- 42 (2002年)