ゴールズFC
ゴールズFC | |
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原語表記 | ゴールズFC |
クラブカラー | 白、 青、 金 |
創設年 | 1973年 |
解散年 | 2010年 |
ホームタウン | 石川県 |
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
ゴールズFC(クラブとしての主要な期間はフェルヴォローザ石川・白山FCとして活動)は、かつて存在した石川県の社会人サッカークラブ。当初は白山市、後に石川郡野々市町で活動していた。
概要
[編集]1973年に結成された松任オフサイドFCが母体で、地元の松任中学校と笠間中学校のサッカー部OBが中心となって結成され、石川県社会人リーグを中心に活動を進めたが、参加者が増加した為、1984年頃からオフサイドFCと松任クラブの2チームに分割した。松任クラブは1996年に松任オレンジモンキーとチーム名を改め、石川県の地区リーグからスタートし、2000年に石川県1部リーグに昇格。2001年の北信越チャレンジリーグ優勝して北信越フットボールリーグへ昇格した。
日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)参入を目指したプロジェクトを進めた時期もあり、2004年度からチーム名を松任FCに変更、第84回天皇杯全日本サッカー選手権大会に初出場、JFL所属のザスパ草津と対戦した。また、ジュニア(小学生)チームの「松任FCジュニア」を傘下チームに組み入れ、将来的には中学生年代、高校生年代のユースチームの結成も視野にして、下部組織の充実も目指していた。
2005年、公募によりチーム名をポルトガル語で、『ひたむきさ』『熱心さ』を表すフェルヴォローザメンテをもとにした造語で、「ひたむき」「熱心」「一本槍」など、まっすぐな情熱を表したフェルヴォローザFCに変更[1]。翌2006年にホームタウンの石川県白山市の地域名を加えてフェルヴォローザ石川・白山FCとした。チームカラーは、世界へとつながっている石川の海から、無限に広がる未来を表現した「青」と、県内最高峰である白山に代表される石川の大地をイメージし、地域に根ざした活動をすすめていく意志を表現した「白」、チーム・サポーター全ての応援する人達の情熱を表現した「赤」のトリコロール。エンブレムの中央上部には、石川県をイメージする、兼六園の徽軫灯籠(ことじとうろう)を配置し、加賀百万石の藩祖前田利家公の異名「槍の又佐」や、チーム名の意味「一本槍」から、背後に槍を配置したデザインで新しく制定された。エンブレムの下部には、石川の誇りとなるチームを目指すという意志を込めてISHIKAWAと記され、チームの設立年である1973年が刻まれていた。白山市内で恐竜の化石が数多く発掘されることから、恐竜をモチーフにしたマスコットの「フェルヴォくん」と「ローザちゃん」も設定されていた。
当初は運営組織をNPO法人としていたが、2007年に新たに設立した株式会社に経営主体を移した。Jリーグ経験者やスロベニアから選手を補強[2]、長期の九州キャンプなど、地域リーグの枠を越える体制でJFL昇格を目指したが、リーグ開幕から2カ月後の6月12日に選手の人件費の高騰と、入場料・スポンサー料が予定通りに確保できなかった事が原因となり、選手への給料が遅配、経営危機に陥っていることがわかった[3]。その後、7月4日付でチームの財政難から、監督ほかスタッフ・選手との契約も打ち切り、新スポンサーを探しながらチームを存続させることになった[4]。夏のリーグ戦中断期間に、主力選手の他チームへの移籍や帰国が発表されたが、チームに残った選手や、サポーターのチーム存続の願いもあり、9月9日の北信越フットボールリーグ最終節の直前には、登録選手数が11人を割り込み、スポンサー企業の県リーグ所属の同好会チームからの協力を得て試合を行った[5]。
2008年のシーズンは、運営を再びNPO法人に戻してチームを存続した。2009年にクラブ運営が、各地で定着しつつあったサッカースクール事業と共に、市外の企業へ譲渡され、チーム名をゴールズFCに変更、エンブレムやチームカラーも一新された。
2011年のシーズン開幕直前にクラブの運営を北陸大学へ移管して、名称をFC北陸に変更。チーム編成も大学生主体の学生・社会人の混成チームとなり、社会人クラブチームとしての歴史を終えた。
チーム成績・歴代監督
[編集]年度 | 順位 | 所属 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 差 | 監督 | チーム名 |
2002 | 北信越 | 9位 | 3 | 9 | 3 | 0 | 6 | 13 | 22 | -9 | 松任オレンジモンキー | |
2003 | 7位 | 14 | 12 | 3 | 5 | 4 | 10 | 21 | -21 | |||
2004 | 北信越1部 | 5位 | 22 | 14 | 6 | 4 | 4 | 27 | 28 | -1 | 松任FC | |
2005 | 4位 | 18 | 14 | 6 | 0 | 8 | 25 | 29 | -4 | 高橋明裕 | フェルヴォローザFC | |
2006 | 5位 | 14 | 14 | 4 | 2 | 8 | 25 | 34 | -9 | 西川周吾 (選手兼任) | フェルヴォローザ石川・白山FC | |
2007 | 5位 | 24 | 14 | 8 | 0 | 6 | 37 | 23 | 14 | 濵吉正則 | ||
2008 | 8位 | 6 | 14 | 2 | 0 | 12 | 9 | 61 | -52 | 重久誠 | ||
2009 | 北信越2部 | 8位 | 3 | 14 | 1 | 0 | 13 | 11 | 38 | -27 | 松井俊樹 | ゴールズFC |
2010 | 6位 | 14 | 14 | 2 | 8 | 4 | 18 | 22 | -4 | 西野貴博 |
- 出場1回
回 | 年月日 | 時期 | 会場 | スコア | 対戦相手 | 観客 |
84 | 2004年9月26日 | 2回戦 | 金沢市民サッカー場 | 0-6 | ザスパ草津 (JFL) | 1, 031人 |
- 出場1回
回 | 年月日 | 時期 | 会場 | スコア | 対戦相手 | 観客 |
42 | 2006年10月14日 | 1回戦 | 仁賀保運動公園多目的広場 | 1-1 (PK3-1) | ノルブリッツ北海道 (北海道) | 300人 |
2006年10月15日 | 2回戦 | TDKスポーツセンターサッカー場 | 1-1 (PK2-4) | V・ファーレン長崎 (九州) | 200人 |
- 出場1回
回 | 年月日 | 時期 | 会場 | スコア | 対戦相手 |
6 | 1999年12月9日 | 準々決勝 | Jヴィレッジ | 7-0 | バレイア長洲SC (九州) |
1999年12月10日 | 準決勝 | 3-3 (PK3-5) | 県工クラブ (中国) |
タイトル
[編集]カップ戦
[編集]- 北信越チャレンジリーグ
- 2001年
歴代在籍選手
[編集]- 西川周吾 (2004-2007)
- 渡辺優希 (2006-2007)
- 中島礼司 (2006)
- 和田翔太 (2007-2007年7月)
- 内田佳孝 (2007)
- ミラン・アンジェルコビッチ (2007-2007年7月)
- 橋爪拓磨 (2007-2007年7月)
- 小林宏之 (2007-2007年7月)
- 阿部祐大朗 (2007-2007年7月)
- 小倉大昌 (2007-2007年7月)
- 東山裕太 (2007-2007年7月)
- 末永雄貴 (2007)
- 松下晋也 (2007-2007年7月)
- 水上修一 (2007)
- 田中靖大 (2007-2007年7月)
- 太田敬人 (2009)
- 吉岡慎輔 (2008-2010)
脚注
[編集]- ^ 「フェルヴォ=中田魂」の横断幕にあらわされるように、早世したサポーターが名付けたチーム名はチームの方向性を示すものでもあった。
- ^ 『スロベニアから2選手』 北國新聞(2007年2月10日)
- ^ 『フェルヴォローザ石川 選手らに給料遅配』 北國新聞(2007年6月12日)
- ^ 北國新聞 (2007年7月9日). “全選手の契約解除 北信越フットボールリーグ フェルヴォローザ石川 再び経営危機”. 2011年3月12日閲覧。
- ^ 『フェルヴォローザ石川・白山 アマチームで存続』 北國新聞 (2007年9月10日夕刊)