ジョナサン・アルバラデホ

ジョナサン・アルバラデホ
Jonathan Albaladejo
ニューヨーク・ヤンキース時代
(2009年5月10日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 プエルトリコの旗 プエルトリコ自治連邦区サンフアン
生年月日 (1982-10-30) 1982年10月30日(42歳)
身長
体重
6' 5" =約195.6 cm
255 lb =約115.7 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2001年 MLBドラフト19巡目
初出場 MLB / 2007年9月5日
NPB / 2011年4月16日
最終出場 MLB / 2012年7月20日
NPB / 2011年10月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ジョナサン・アルバラデホ・サンタナJonathan Albaladejo Santana , 1982年10月30日 ‐ )は、プエルトリコサンフアン出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

経歴

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プロ入り前

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2000年ドラフトサンフランシスコ・ジャイアンツから34巡目(全体1021位)で指名されるが契約せず。

パイレーツ傘下時代

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2001年、MLBドラフト19巡目(全体564位)でピッツバーグ・パイレーツから指名され、6月6日に契約を結んだ。その後パイレーツのマイナー組織では先発を務めていた。

2005年にリリーフに転向した。

2007年4月25日にフリーエージェント(FA)となった。

ナショナルズ時代

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ワシントン・ナショナルズ時代
(2007年9月22日)

2007年5月3日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ。同年はほとんどをAA級ハリスバーグで過ごし21試合に登板して防御率4.17という成績だった。その後、AAA級に昇格すると14試合に登板して防御率0.78という成績を残し、9月のロースター拡大に伴ってメジャー初昇格を果たした。9月4日の対フロリダ・マーリンズ戦の3回表に先発のティム・レディングが打球によって負傷したために、急遽登板しこれがメジャーデビューとなった。一死で2走者を抱えた場面で登板し、打者2人をゴロ(この間に1失点)とポップフライに打ち取り、続く4回も打者1人を三振にしとめたところで降板した[1]

ヤンキース時代

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2007年12月4日にタイラー・クリッパードとのトレードニューヨーク・ヤンキースへ移籍した[2]。オフシーズンはベネズエラのウィンターリーグでプレー。

2008年はヤンキースの開幕ロースターに入ったものの、右肘痛の為に5月9日以降は登板できず、この年はわずか9試合の登板に終わった。

2009年も開幕ロースターに入り、32試合に登板。AAA級スクラントン・ウィルクスバリ・ヤンキースでは主にクローザーとして27試合に登板。防御率1.75、WHIP0.75、11セーブを挙げる。

2010年はAAA級スクラントン・ウィルクスバリでは前年に引き続きクローザーとして57試合に登板。防御率1.42、WHIP0.88、43セーブの活躍でプレーオフ進出に貢献した。しかし、メジャーでは10試合の登板に終わった。シーズン終了後、日本でプレーすることを希望し、これを受け入れたヤンキースは11月19日に契約を解除した[3]

巨人時代

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2010年11月26日に読売ジャイアンツと契約を結んだことが発表された。背番号は監督の原辰徳の意向により、トム・シーバーがメッツ時代につけていた41番に決まった[4]。翌春のキャンプでは抑えの候補として期待されたが、制球に不安があることを露呈した[5]

2011年は抑えの役割は山口鉄也が担ったものの開幕一軍入りを果たし、4月16日の広島東洋カープ戦で2点を追う場面で3番手として初登板。2回を無失点に抑えた。4月30日の横浜ベイスターズ戦では2番手として5回から登板し、2回を無失点に抑え来日初勝利を挙げた[6]。 また5月15日の広島戦では1点勝ち越しの場面で抑えのレビ・ロメロが前日救援に失敗しており連投していたため4番手として9回に登板。1回を3人で抑え、来日初セーブを挙げた。最終的に46試合の登板で2勝2敗2セーブ、防御率2.45、WHIP1.21の成績を残した。12月2日に自由契約公示された[7]

ダイヤモンドバックス時代

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2011年12月13日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだ。

2012年4月23日にメジャー昇格したが、その後は再降格と再昇格を繰り返し、メジャーでは3試合の登板に終わった。AAA級リノでは49試合に登板し、5勝3敗25セーブ、防御率3.65、WHIP1.22の成績を残した。また、この年のパシフィックコーストリーグのオールスターゲームに選出された[8]。オフの11月3日にFAとなった[9]

マーリンズ傘下時代

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2012年12月16日にマイアミ・マーリンズとマイナー契約を結んだ[9]

2013年はAAA級ニューオーリンズ・ゼファーズで57試合に登板し、4勝5敗4セーブ、防御率3.80、WHIP1.45の成績を残したが、メジャーでは登板できなかった。オフの11月5日にFAとなった[9]

マーリンズ退団後

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2014年2月13日に韓国の独立球団・高陽ワンダーズと契約を結んだ。オフにチームが解散したため、FAとなった。

2015年メキシカンリーグメキシコシティ・レッドデビルズでプレー。

2016年4月1日にレイノサ・ブロンコスと契約したが、4試合の登板で2失点を喫し、9日に自由契約となった[9]。19日に独立リーグ・アトランティックリーグブリッジポート・ブルーフィッシュと契約した。

2017年7月26日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結び、傘下のAAA級ラスベガス・フィフティワンズに配属された[9]

2018年2月28日にアトランティックリーグのランカスター・バーンストーマーズと契約。2019年限りで退団し現役を引退した。

現役引退後

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2020年よりメキシカンリーグのティフアナ・ブルズの投手コーチ(ブルペン担当)に就任したが[10]新型コロナウイルスの感染拡大の影響でリーグは開催中止となった。

2020年8月に独立リーグであるエンパイアリーグ英語版タッパーレイク・リバービッグスの監督に就任した[11]

2022年からはフロンティアリーグエンパイアステート・グレイズ英語版2024年からは同リーグのレイクエリー・クラッシャーズ英語版で投手コーチを務める[12]

選手としての特徴

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平均球速91mph(約146km/h)で最速96mph(約154km/h)を誇る3種類の速球フォーシームツーシームカッター)とカーブスライダーを投げ分ける[13]。スクラントンでは通算与四球率2.12と安定していたが、メジャーに昇格すると急激に四球が増える傾向にあった。マイナーではランナーがいない場面での被打率は3割を越えるものの、塁にランナーを置くと力を発揮し、特に得点圏での被打率は.158と抜群の強さを発揮していた。

体重は読売ジャイアンツの公式発表では「117kg」とされているが、実際には120kgを大きく超えている。本人曰くベスト体重は「122~124kg程度」だが、シーズンオフになると136kg程度まで太るため、シーズン前に減量が欠かせない[14]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2007 WSH 14 0 0 0 0 1 1 0 2 .500 51 14.1 7 1 2 0 1 12 0 0 3 3 1.88 0.63
2008 NYY 7 0 0 0 0 0 1 0 1 .000 58 13.2 15 1 6 0 0 13 0 0 6 6 3.95 1.54
2009 32 0 0 0 0 5 1 0 1 .833 158 34.1 41 6 16 2 3 21 0 0 23 20 5.24 1.66
2010 10 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 50 11.1 9 1 8 1 2 8 0 0 5 5 3.97 1.50
2011 巨人 46 0 0 0 0 2 2 2 6 .500 219 51.1 43 2 19 4 5 44 0 0 17 14 2.45 1.21
2012 ARI 3 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 15 3.0 5 1 0 0 1 2 0 1 3 3 9.00 1.67
MLB:5年 66 0 0 0 0 6 3 0 4 .667 332 76.2 77 10 32 3 7 56 0 1 41 37 4.34 1.42
NPB:1年 46 0 0 0 0 2 2 2 6 .500 219 51.1 43 2 19 4 5 44 0 0 17 14 2.45 1.21

年度別守備成績

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投手(P)












2007 WSH 14 0 1 0 0 1.000
2008 NYY 7 0 0 0 0 ----
2009 32 1 7 0 0 1.000
2010 10 0 2 0 0 1.000
2011 読売 46 5 6 2 0 .846
2012 ARI 3 0 0 0 0 ----
MLB 66 1 10 0 0 1.000
NPB 46 5 6 2 0 .846


記録

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NPB

背番号

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  • 53 (2007年)
  • 63 (2008年 - 2010年)
  • 41 (2011年)
  • 53 (2012年)
  • 43 (2014年)

脚注

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関連項目

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外部リンク

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