スタンプ・ウィードマン
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ニューヨーク州ロチェスター |
生年月日 | 1861年2月17日 |
没年月日 | 1905年3月3日(44歳没) |
身長 体重 | 5' 7.5" =約171.5 cm 165 lb =約74.8 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手、外野手 |
初出場 | 1880年8月26日 |
最終出場 | 1888年7月5日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について |
ジョージ・エドワード・"スタンプ"・ウィードマン(George Edward "Stump" Wiedman 、1861年2月17日 - 1905年3月2日)は、1880年代に活躍したアメリカメジャーリーグの野球選手。ポジションは投手、外野手。ニューヨーク州ロチェスター生まれ。右投げ右打ち。1881年のナショナルリーグ最優秀防御率投手。
来歴・人物
[編集]1880年、19歳の時にバッファロー・バイソンズの選手となる。ウィードマンは1年目に30試合ほどに出場しているが、当時はバイソンズのエースだったパッド・ガルヴィンの登板しない試合で投げ、残りは外野手として起用された。1年目の勝敗は0勝9敗だった。
翌1881年にデトロイト・ウルバリンズが創設された際移籍し、2番手投手として13試合に登板。勝敗は8勝5敗だったが、この年の防御率1.80はナショナルリーグで最も低い記録だった。翌年からはウルバリンズのエースとなり2年続けて20勝を挙げたが、次の2年間は負けが先行するようになる。1886年に一度カンザスシティ・カウボーイズに移ったものの、そこで12勝36敗(負け数はリーグ最多)と惨敗する。同年でカウボーイズも破綻したため、次の年再びウルバリンズに戻ったが、1887年8月にニューヨーク・メトロポリタンズに金銭で放出された。
メジャーでの経歴は1888年にニューヨーク・ジャイアンツで2試合に登板したのが最後である。選手を引退したのち、ウィードマンは1896年に55試合の審判を務めた記録が残っている。1905年にニューヨークで死去。
通算成績
[編集]投手成績
[編集]※数字の後の"*"は、記録不明箇所があることを示す。
登 板 | 先 発 | 投 球 回 | 勝 利 | 完 封 | 敗 戦 | 救 援 | 奪 三 振 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 与 死 球 | 暴 投 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
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279 | 269 | 2318.1 | 101 | 13 | 156 | 2 | 910 | 2594 | 61 | 459 | 12* | 95 | 928 | 3.60 | 1.32 |
タイトル
[編集]- 最優秀防御率:1回 1881年
打撃成績
[編集]- 通算:379試合、1401打数248安打、本塁打2、打点112、打率.177
出典・外部リンク
[編集]- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference