スバル町

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スバル町
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成(2010年撮影)
スバル町の位置(群馬県内)
スバル町
スバル町
スバル町の位置
(代表地点:SUBARU群馬製作所本工場)[1]
北緯36度17分53.1秒 東経139度23分1.7秒 / 北緯36.298083度 東経139.383806度 / 36.298083; 139.383806
日本
都道府県 群馬県
市町村 太田市
地区 太田地区
面積
 • 合計 0.5422[2] km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
373-0028 [3]
市外局番 0276 [4]
ナンバープレート 群馬[5]

スバル町(スバルちょう)は、群馬県太田市地名町丁)。日本重工業メーカーSUBARU群馬製作所本工場が立地する[6][7]。居住者はなし[8][9]

地理

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太田市の中心部、東武鉄道太田駅の北東に位置する。南から西にかけて東本町、北は熊野町、東に東長岡町、南東に新島町と接する[6]面積は54.22ヘクタールである[2]

歴史

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沿革

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成立の経緯

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スバル町成立のきっかけは、2000年(平成12年)の新春懇談会の中で、太田市長・清水聖義が発案したことによる[10][11]。市は基幹とする自動車産業の支援[10]PRや、市民と企業との間で一体感を醸成することを目的として検討を重ね[2][12]、会社側もこの動きに呼応[2][11]。翌2001年度の太田市町名等整理事業で[12]、市は2001年度予算に450万ほどを費用として計上し[2]、太田市東本町から富士重工業株式会社(現・株式会社SUBARU)群馬製作所本工場の敷地[注 1]スバル町として分離[12]。先例としては「ダイハツ町」(大阪府池田市)や「トヨタ町」(愛知県豊田市)がある[2]。市内には他にもSUBARUの工場や社宅などがあるが、スバル町として設定されたのは本工場の敷地のみである[9][16]

交通

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鉄道路線

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町内にはない。東武鉄道太田駅が最寄り[6]、徒歩5[14]

道路

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町域の外郭を国道県道が走っている[6]

SUBARU群馬製作所本工場の正門は南側の県道2号に面している。工場内は張り巡らされた道路が各棟を結んでおり、東側部分には長円テストコースが設けられている[17]

町内に高速道路はない。最寄りのインターチェンジ北関東自動車道太田桐生インターチェンジである[6]

かつて商店街として賑わいを見せていた本町通り(通称・スバル通り)は郊外に多くのロードサイド店舗が進出したことにより衰退、シャッター通りと化しており、活性化に向けてチャレンジショップなどの試みがなされている[18]

路線バス

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町域外郭の道路が路線バスの運行ルートになっている[6]

施設

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SUBARU群馬製作所本工場

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SUBARU群馬製作所本工場
正門越しに本館を望む(2018年撮影)
操業開始 1934年[19]
場所 群馬県太田市スバル町1-1[1][7]
座標 北緯36度17分53.1秒 東経139度23分1.7秒 / 北緯36.298083度 東経139.383806度 / 36.298083; 139.383806座標: 北緯36度17分53.1秒 東経139度23分1.7秒 / 北緯36.298083度 東経139.383806度 / 36.298083; 139.383806
業種 自動車重工業
生産品 乗用車[7]
従業員数 4,521 人[7]
敷地面積 635,000 (借用14,000、外数) m2 [7]
工場規模 332,000 m2(建物延面積)[7]
所有者 SUBARU[7]

群馬製作所本工場は、群馬県太田市スバル町1-1にあるSUBARU自動車部門の工場である[7]。個別郵便番号として373-8555が充てられている[20]。敷地面積は63万5,000平方メートル(借用面積1万4,000平方メートル、外数)で、乗用車レヴォーグインプレッサXVWRXBRZトヨタ・86を含む[21])を生産している。従業員数は4,521人である(2022年6月時点)[7]

もともとはSUBARUの前身である航空機メーカー中島飛行機の「太田工場」として、1934年昭和9年)に建設された。同社が創業以来使用していた旧・太田工場(後の呑竜工場、現・SUBARU群馬製作所太田北工場、太田市金山町27-1)が手狭になったため、新築移転したものである。1934年2月20日、起工式を挙行。この場所は当時の新田郡太田町の東端にあたり、低地であったことから、新田金山および焼山から採掘した土砂で埋め立てを行った。同年11月には昭和天皇行幸が予定されていたことから、それに間に合わせるため昼夜突貫工事を敢行、同年11月1日の竣工にこぎ着けた。そして11月16日、工場を訪問した昭和天皇は中島知久平ら役員と面会、陸軍軍用機組立工場を視察。中島飛行機の名を日本全国に広める出来事となった[22]

中島飛行機行幸(1934年)
参考品天覧(1934年)
飛行機の形をした本館[23]

当時の太田工場は太田本町通りに面した南側に間口30(54メートル)のを設け、その正面に「本館」を置き、その北側に十数棟の工場を並べていた。敷地面積7万5,000(24万7,500平方メートル、旧・太田工場の約5倍)、従業員数2,121人であった。現在もなお残る「本館」は456坪(1,504.8平方メートル)の土地に東西38間(68.4メートル)、南北12間(21.6メートル)、鉄筋コンクリート構造の3階建てで、1階は事務室および応接室、2階は重役室および武官室(陸軍・海軍駐在)、中央広間(玄関直上)、3階は製図室となっていた。上空から見下ろしたとき、ちょうど飛行機の形に見えるよう設計されている[24]

1937年(昭和12年)7月、太田工場は「太田製作所」と改称し、1938年(昭和13年)には工場の拡張が一段落した(敷地面積22万5,000坪 = 75万平方メートル、従業員数2万4,000人)。当初は陸・海両軍向けに軍用機を製作していたが、工場の拡張が限界を迎えたこと、製造現場の混乱を避けたいこともあり、「小泉工場」(現・パナソニック東京製作所、邑楽郡大泉町)を新設、1941年(昭和16年)までに海軍機製作工程の分離を完了した[25]

その後、戦局が悪化し1944年(昭和19年)にアメリカ軍による中島飛行機武蔵製作所への空襲が開始され、太田製作所もまた1945年(昭和20年)2月に4回の空襲にさらされた。工場の85パーセントが破壊され、死者101人、重傷者36人、軽傷者16人、飛行機324機が大破、201機が中または小破した。政府は同年3月2日、「航空機事業の国営に関する件」を閣議決定し、太田製作所を「第一軍需工廠」として国有化、同年4月1日に発足させた。しかし、材料や人手の不足、水道交通通信といったインフラの破壊により、工場の分散化や地下工場の建設、学徒勤労動員といった策を講じながらも大幅な減産を余儀なくされ、終戦から2日後の8月17日軍需大臣から第一軍需工廠長官・中島喜代一宛てに終戦処理命令が通達された。接収された太田製作所には同年10月9日に950人が進駐し、「キャンプベンダー」と命名[26]。本館の損傷が少ないのは、アメリカ軍が戦後の進駐先としての利用を見越し、意図的に爆撃目標から外していたためである[27]。終戦までに太田製作所において製作された飛行機は下記の通り[28]

戦後のキャンプベンダー時代[29]

解体された中島飛行機は富士産業→富士重工業として再出発し、「ラビットスクーター」や大衆車スバル・360」といったヒット作を世に送り出した。1958年(昭和33年)7月、キャンプベンダー(元・中島飛行機太田製作所)が日本に返還され、市や県の支援のもと、1960年(昭和35年)8月に6億9,000万円で富士重工業に払い下げられた。富士重工業にとって、このタイミングでの工場の払い下げはスバル・360の量産体制を構築するにあたって絶好の機会であった。同年10月に完成した新工場はこのとき「群馬製作所本工場」と命名され、操業を開始した[30]1969年(昭和44年)には矢島工場(太田市庄屋町1-1)が、1983年(昭和58年)には大泉工場(元・中島飛行機太田飛行場、大泉町いずみ1-1-1)が操業を開始。本工場では軽自動車を生産していたが、2012年(平成24年)2月29日を以て終了し、矢島工場と同様に登録車生産へと転換[31][32]3月16日にはトヨタ自動車社長・豊田章男を招き、同社と共同開発したスポーツカー・BRZ(トヨタ・86)のラインオフ式を挙行した[33]

群馬製作所西本館建替え
西本館新館(左)完成後の旧館解体工事のようす(東本町交差点、2017年)
完成した西本館(2017年)

2001年度に市が実施した町名等整理事業では、本工場の敷地が「スバル町」として成立(前述)。当時ささやかれていた社名変更[10]は、2017年(平成29年)4月1日付けで実施され、「株式会社SUBARU」となった[34]。その翌日、4月2日には本工場で社名変更式典を挙行。社長吉永泰之や群馬県知事大澤正明、元スキー選手でスバル車オーナーの荻原次晴ら約400人が出席した。工場周辺の商店や住民からは今回の社名変更を歓迎するとともに、今後への期待の声が寄せられた一方、慣れ親しんだ「富士」の名が失われたことを寂しがる声も上がった[35]。さらなる飛躍の矢先、同年10月以降に数々の不祥事が発覚。群馬製作所で行われてきた完成車検査における無資格検査燃費・排ガス・ブレーキ検査のデータ書き換えといった不正行為が明らかになり、約53万台ものリコールへと発展した。このため工場での生産を一時減産し、検査工程の見直しや従業員教育の拡充など再発防止への取り組みに当たることとなった[36]。その後も2019年令和元年)秋の台風19号(令和元年東日本台風)や、新型コロナウイルス感染症の流行により生産停止が相次ぎ、太田市の法人税収に大きく影を落とした[37]

2020年(令和2年)6月、SUBARUは本工場敷地内にある研究開発施設の建て替えのほか、隣接する土地(約5万9000平方メートル)への走行試験場新設を発表した[38]

スバル町を所在地とする企業

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脚注

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注釈

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  1. ^ スバル町成立以前のSUBARU(当時・富士重工業)群馬製作所本工場の所在地は太田市東本町10-1[13][14]。本工場敷地だけで東本町の町域の半分以上を占めていた[15]

出典

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  1. ^ a b 座標はGoogle マップによる「SUBARU群馬製作所」(2017年4月9日閲覧)。
  2. ^ a b c d e f 旧太田市 平成13年度6月定例会 4号”. 太田市議会 (2001年6月22日). 2020年4月28日閲覧。
  3. ^ 群馬県太田市の郵便番号一覧”. 日本郵便. 2017年4月9日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省 (2016年5月27日). 2017年4月9日閲覧。
  5. ^ 群馬運輸支局管轄区域”. 群馬運輸支局. 2017年4月9日閲覧。
  6. ^ a b c d e f 群馬県太田市スバル町の地図”. Mapion. 2017年4月9日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i 事業所・関係会社”. SUBARU. 2022年6月1日閲覧。
  8. ^ 町別人口および世帯数”. 太田市. 2017年4月9日閲覧。
  9. ^ a b c 乗りものニュース編集部 (2017年7月10日). “「スバル町」「ダイハツ町」、トヨタは「市」!? 自動車メーカーと地名の深い関係”. メディア・ヴァーグ. 2020年4月28日閲覧。
  10. ^ a b c 旧太田市 平成12年度予算特別委員会 1号”. 太田市議会 (2000年3月14日). 2020年4月28日閲覧。
  11. ^ a b 旧太田市 平成13年度6月定例会 3号”. 太田市議会 (2001年6月15日). 2020年4月28日閲覧。
  12. ^ a b c 旧太田市 平成13年度6月定例会 2号”. 太田市議会 (2001年6月12日). 2020年4月28日閲覧。
  13. ^ 会社概要”. 富士重工業. 2001年6月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月28日閲覧。
  14. ^ a b 『2002 ぐんま企業ガイドブック』254 - 255ページ。
  15. ^ 『角川日本地名大辞典 10 群馬県』1056ページ。
  16. ^ 旧太田市 平成13年度予算特別委員会 1号”. 太田市議会 (2001年3月13日). 2020年4月28日閲覧。
  17. ^ Google マップ 航空写真 スバル町”. Google (2017年). 2017年10月5日閲覧。
  18. ^ 地域に根ざした起業家教育の推進―専門高校の特色を活かしたビジネス実践―」『商業教育資料』第81巻、実教出版、2009年2月23日、15 - 17頁。 
  19. ^ 『太田市史 通史編 近現代』559ページ。
  20. ^ 事業所の個別郵便番号検索 群馬の検索結果”. 日本郵便. 2017年4月9日閲覧。
  21. ^ 富士重工業 SUBARU BRZ SUBARU BRZ/TOYOTA 86のラインオフ式を実施”. 富士重工業 (2012年3月16日). 2019年1月25日閲覧。
  22. ^ 『太田市史 通史編 近現代』559 - 562ページ。
  23. ^ 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成(2010年撮影)
  24. ^ 『太田市史 通史編 近現代』559 - 560ページ。
  25. ^ 『太田市史 通史編 近現代』560 - 566ページ。
  26. ^ 『太田市史 通史編 近現代』753 - 760ページ。
  27. ^ 『太田市史 通史編 近現代』560ページ。
  28. ^ 『太田市史 通史編 近現代』583 - 590ページ。
  29. ^ 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成(1947年撮影)
  30. ^ 『太田市史 通史編 近現代』778 - 789ページ。
  31. ^ 富士重群馬製作所50周年―記念式典を開催”. Response. (2010年10月29日). 2017年4月13日閲覧。
  32. ^ スバル、軽自動車の生産に幕―54年間で約797万台を生産”. Response. (2012年2月29日). 2017年4月13日閲覧。
  33. ^ 富士重 BRZ/86 ラインオフ…豊田章男社長も式典に出席”. Response. (2012年3月16日). 2017年4月13日閲覧。
  34. ^ 富士重工業株式会社が「株式会社SUBARU」に社名変更を実施”. 富士重工業 (2017年3月31日). 2017年4月11日閲覧。
  35. ^ SUBARU 世界へさらに飛躍 群馬製作所で社名変更式典”. 上毛新聞ニュース (2017年4月3日). 2017年4月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年4月11日閲覧。
  36. ^ “スバルが国内で最大4万台減産、検査問題再発防止を優先(日刊工業新聞 2018年12月19日)”. ニュースイッチ (日刊工業新聞社). (2018年12月21日). https://newswitch.jp/p/15725 2018年12月22日閲覧。 
  37. ^ 長田寿夫 (2020年4月2日). “スバル工場停止に地元悲鳴 市長「街が死んじゃう」”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). https://www.asahi.com/articles/ASN4177L1N41UHNB019.html 2020年4月28日閲覧。 
  38. ^ “スバルが研究施設を300億円で建て替え、受け継がれる「自動車開発」の魂”. ニュースイッチ (日刊工業新聞社). (2020年6月9日). https://newswitch.jp/p/22557 2022年7月3日閲覧。 
  39. ^ スバルブルーム株式会社の情報”. 法人番号公表サイト. 国税庁 (2022年5月2日). 2022年7月3日閲覧。
  40. ^ 遠藤光太. “地域に根ざした障がい者雇用を実現。スバルブルームの取り組み”. Media116 (ゼネラルパートナーズ). http://www.media116.jp/work/10421 2022年7月3日閲覧。 
  41. ^ 富士プラント株式会社の情報”. 法人番号公表サイト. 国税庁 (2019年6月28日). 2022年7月3日閲覧。
  42. ^ 機関情報 富士プラント株式会社”. J-GLOBAL. 科学技術振興機構. 2022年7月3日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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