ネルソン・パヤノ
中日ドラゴンズ時代 (2009年7月16日(手前、奥はマキシモ・ネルソン)) | |
基本情報 | |
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国籍 | ドミニカ共和国 |
出身地 | サントドミンゴ |
生年月日 | 1982年11月13日(41歳) |
身長 体重 | 186 cm 87 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2000年 アマチュアFA |
初出場 | NPB / 2009年4月5日 |
最終出場 | NPB / 2014年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について |
ネルソン・ラファエル・パヤノ(Nelson Rafael Payano, 1982年11月13日 - )は、ドミニカ共和国サントドミンゴ出身のプロ野球選手(投手)。
経歴
[編集]プロ入りとマイナー時代
[編集]2000年に、アトランタ・ブレーブスと契約を結んだ。
2003年は、傘下ルーキーリーグのガルフ・コースト・リーグ・ブレーブスで13試合に登板した。
2004年は、傘下ルーキーリーグのガルフ・コースト・リーグ・ブレーブスと傘下アドバンスルーキーリーグのダンビル・ブレーブスで計14試合に登板した。
2005年は、傘下Aのローム・ブレーブスで1試合に登板するに留まった。
2006年は、傘下ルーキーリーグのガルフ・コーストリーグ・ブレーブスと、傘下Aのローム・ブレーブスと、傘下アドバンスAのマートルビーチ・ペリカンズで計23試合に登板した。
2007年は、傘下アドバンスAのマートルビーチ・ペリカンズと傘下AAのミシシッピ・ブレーブスで計43試合に登板した。
2008年は、傘下AAのミシシッピ・ブレーブスで27試合に登板した。シーズン途中に、グレッグ・ノートンとのトレードでシアトル・マリナーズへ移籍した。ここでは、傘下AAのウェストテン・ダイヤモンドジャックスで14試合に登板した。成績は中継ぎで41試合登板、4勝3敗、防御率4.16。67イニングで65奪三振、42四球だった。
中日時代
[編集]2009年、中日ドラゴンズへ入団。前年オフに参加したドミニカ・ウィンターリーグでの好投が、同リーグを視察中だった当時の中日一軍バッテリーチーフコーチの森繁和の目に留まったことから獲得が決まった。オープン戦で結果を残したことから、同じドミニカ出身で前年に入団したマキシモ・ネルソンと共に、公式戦の開幕を一軍で迎えた。4月5日の対横浜戦で来日初登板。無死一・二塁のピンチを無失点に抑えると、以降は貴重な左のセットアッパーとして働いた。シーズン通算では、一軍公式戦に34試合登板。防御率が2.08と安定していた。しかし実際には、奪三振こそ多いものの、制球難から四球で自滅するシーンも目立った。8月7日の対横浜ベイスターズ戦では、8回裏無死ランナーなしからリリーフに立ったが、11球続けてストライクを取れずに3者連続四球を記録。1アウトすら取れないまま降板を命じられたばかりか、翌日に出場選手登録を抹消された。
シーズン終了の直後には、中日でプレーを続けることを希望したため、球団側も再契約の方向で調整していた。しかし、パヤノ側が球団の提示した年俸(推定20万ドル)を上回る金額(最低25万ドル)を要求したことから残留交渉が決裂。パヤノも日本流の長時間練習に馴染めなかったことなどから、メジャーリーグへの再挑戦を決意した[1]。結局、中日は12月10日にパヤノの退団を正式に発表。12月14日付で、セントラル・リーグから自由契約選手として公示された。
アストロズ傘下時代
[編集]2010年に、カンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結んだ。スプリングトレーニング中に、解雇された。その後4月19日に、ヒューストン・アストロズと契約を結んだ[2]。傘下AAのコーパスクリスティ・フックスで26試合に登板したが、成績不振で、7月11日に、解雇された[3]。
メキシカンリーグ時代
[編集]2012年は、メキシカンリーグのタバスコ・キャトルメンでプレーした。
2013年は、同リーグのモンテレイ・サルタンズでプレーした。
中日復帰
[編集]2013年12月12日、中日への5年ぶりの復帰が発表された[4]。
2014年は、オープン戦では制球を乱して自滅することが多く、開幕を二軍で迎えるも、23試合に登板した。11月28日に自由契約公示された[5]。
中日退団後
[編集]2015年、10月から母国ドミニカのウィンターリーグ、リーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・デ・ラ・レプブリカ・ドミニカーナのレオネス・デル・エスコヒードでプレー。
プレースタイル
[編集]最速150km/h超のストレートとキレの良いスライダーでねじ伏せるタイプ。他に、チェンジアップも投げる。[要出典]
奪三振は多いが、コントロールが悪く与四死球も多い。[要出典]
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
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2009 | 中日 | 34 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 6 | .667 | 126 | 30.1 | 17 | 3 | 17 | 0 | 1 | 39 | 0 | 1 | 9 | 7 | 2.08 | 1.12 |
2014 | 23 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 3 | .000 | 104 | 24.1 | 14 | 2 | 16 | 0 | 4 | 26 | 1 | 2 | 8 | 7 | 2.59 | 1.23 | |
通算:2年 | 57 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | 9 | .400 | 230 | 54.2 | 31 | 5 | 33 | 0 | 5 | 65 | 1 | 3 | 17 | 14 | 2.30 | 1.17 |
- 2014年度シーズン終了時
記録
[編集]- NPB
- 初登板:2009年4月5日、対横浜ベイスターズ3回戦(ナゴヤドーム)、8回表に4番手で救援登板、1回無失点
- 初奪三振:同上、8回表に金城龍彦から見逃し三振
- 初ホールド:2009年4月7日、対東京ヤクルトスワローズ1回戦(明治神宮野球場)、7回裏1死に2番手で救援登板、1/3回無失点
- 初勝利:2009年6月30日、対阪神タイガース6回戦(ナゴヤドーム)、6回表に4番手で救援登板、2回無失点
背番号
[編集]- 45 (2009年)
- 47 (2014年)
脚注
[編集]- ^ 中日がネルソン・パヤノ出戻り調査(『日刊スポーツ』2013年11月24日付記事)
- ^ Don't sleep on sleeper pick
- ^ 2010 TRANSACTIONS
- ^ 【中日】ゴメス、パヤノらの獲得を発表(『日刊スポーツ』2013年12月12日付記事)
- ^ 2014年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年11月28日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の通算成績と情報 Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 個人年度別成績 パヤノ - NPB.jp 日本野球機構