ベルトルト・フォン・ラインフェルデン

ベルトルト・フォン・ラインフェルデン
Berthold von Rheinfelden
シュヴァーベン公
在位 1079年 - 1090年

出生 1060年ごろ
死去 1090年5月18日
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国ザンクト・ブラジエン修道院英語版
家名 ラインフェルデン家
父親 ルドルフ・フォン・ラインフェルデン
母親 マティルデ・フォン・シュヴァーベン
/ アデライデ・ディ・サヴォイア
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ベルトルト・フォン・ラインフェルデン(ドイツ語:Berthold von Rheinfelden, 1060年ごろ - 1090年5月18日)またはベルトルト1世(Berthold I.)は、シュヴァーベン公(在位:1079年 - 1090年)。

生涯

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シュヴァーベン公およびハインリヒ4世対立王であったルドルフ・フォン・ラインフェルデンの長男である。母親については不明で、ルドルフの最初の妃マティルデ(ハインリヒ4世の姉)とする説[1][2]、2番目の妃アデライデ・ディ・サヴォイアとする説(その場合ベルトルトの生年は1062年以降となる)[3][4]、またはそれ以外の不明の妃とする説[5]がある。

ルドルフの2番目の妃アデライデが1079年に死去した後、ルドルフはザクセンから動けなくなり、シュヴァーベンの同盟者とのつながりが絶たれてしまったため、ルドルフは新たに南ドイツを監視する人物が必要となった。そのため、ルドルフは息子ベルトルトをシュヴァーベン公とした。しかし、皇帝ハインリヒ4世は自身の戦略上有利な場所に領地を持つフリードリヒ1世・フォン・ビューレンをシュヴァーベン公に任じた[6]

ハインリヒ4世との内戦によって、シュヴァーベンは混乱に陥った。1084年、ベルトルトはハインリヒ4世の支持者によって包囲され、最終的に義弟ベルトルト2世ヴェルフ4世に戦いを委ねた。ベルトルトは1090年に嗣子なく死去し、ザンクト・ブラジエン修道院英語版に埋葬された。ベルトルトの妹アグネスと結婚したベルトルト2世がシュヴァーベン公位を継承した[7][8]

脚注

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  1. ^ Thiele, table 21.
  2. ^ Frommer, p. 114.
  3. ^ Zettler, p. 177.
  4. ^ Herding, p. 157.
  5. ^ Wunder, pp. 11-15.
  6. ^ Boshof, p. 239.
  7. ^ Schmid, p. 60.
  8. ^ Boshof, p. 259.

参考文献

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  • Otto Herding: Berthold von Rheinfelden. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 2, Duncker & Humblot, Berlin 1955, ISBN 3-428-00183-4, S. 157 f. (電子テキスト版).
  • G. Wunder, 'Beiträge zur Genealogie schwäbischer Herzogshäuser,' Zeitschrift für Württembergische Landesgeschichte 31 (1972), pp. 11-15
  • A. Zettler, Geschichte des Herzogtums Schwaben (Stuttgart, 2003)
  • A. Thiele, Genealogische Stammtafeln zur europäischen Geschichte Band I, Teilband 1 (Frankfurt am Main, 1993).
  • K. Schmid, ed., Die Zähringer (Sigmaringen, 1990)
  • H. Frommer, Die Salier und das Herzogtum Schwaben (Karlsruhe, 1992)
  • E. Boshof, Die Salier (Stuttgart, 1987).
先代
ルドルフ1世
シュヴァーベン公
1079年 - 1090年
フリードリヒ1世の対立公)
次代
ベルトルト2世