ボフスラーウ
ボフスラーウ Богуслав (Bohuslav) | |||
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市 | |||
ローシ川越しに見るボフスラーウ | |||
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北緯49度32分48秒 東経30度52分22秒 / 北緯49.54667度 東経30.87278度座標: 北緯49度32分48秒 東経30度52分22秒 / 北緯49.54667度 東経30.87278度 | |||
国 | ウクライナ | ||
州 | キーウ州 | ||
ラヨン | オブーヒウ地区[1] | ||
フロマーダ | ボフスラーウ・フロマーダ[1] | ||
市 | ボフスラーウ | ||
創建 | 1032年 | ||
面積 | |||
• 合計 | 71 km2 | ||
人口 (2021年) | |||
• 合計 | 15,975人 | ||
• 密度 | 230人/km2 | ||
推計[2] | |||
等時帯 | UTC+2 (EET) | ||
• 夏時間 | UTC+3 (EEST) | ||
郵便番号 | 09700 — 09702 | ||
市外局番 | +380 4561 |
ボフスラーウ(ウクライナ語:Богусла́в;意訳:「神賛美」)は、ウクライナのキーウ州オブーヒウ地区にある市[1]。ドニプロ川の支流ローシ川河岸に位置する。
市名は「神を賛美する所」を意味する。面積は約71km²(2005年)。人口は約15,975人(2021年推計)[2]。コサック軍歌とウクライナ民謡に登場するマルーシャ・ボフスラーウカの出身地。
歴史
[編集]1032年にキエフ大公国のヤロスラウ賢公によって、欽察の襲撃から大公国を守る城として創建された。
1648年から1685年までにコサック国家ビーラ・ツェールクヴァ連隊の百人隊の町として属したが、1685年から1712年にかけてボフスラーウ連隊の連隊庁所在地であった。
1938年に市制施行。
2020年7月、ウクライナ最高議会による地方自治体の行政区画改革によって、それまで属していたボフスラーウ地区が廃止されたことに伴い、オブーヒウ地区へ編入された[3][4][5]。
名所
[編集]教会
[編集]- 三位一体聖堂
- 生神女庇護聖堂
- 洗礼者イヴァン記念聖堂
- 聖ムィコラーイ修道院
博物館
[編集]- イヴァン・ソシェーンコ記念博物館
- 応用美術博物館
- ポクラース商人住宅
- ボフスラーウ歴史博物館
- マルコー・ヴォウチョーク住宅
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c “Богуслав - Київська область” (ウクライナ語). decentralization.gov.ua. 2022年6月16日閲覧。
- ^ a b “Чисельність наявного населення України на 1 січня” (PDF) (ウクライナ語). Державна служба статистики України. p. 26 (2021年). 2022年5月16日閲覧。
- ^ “Київська область - Settlements - Обухівський район”. decentralization.gov.ua. p. 1. 2022年5月15日閲覧。
- ^ “Нові райони: карти + склад”. Міністерство розвитку громад та територій України. 2022年5月16日閲覧。
- ^ “Офіційний портал Верховної Ради України”. w1.c1.rada.gov.ua. 2022年5月15日閲覧。
参考文献
[編集]- 伊東孝之, 井内敏夫, 中井和夫編 『ポーランド・ウクライナ・バルト史』 (世界各国史; 20)-東京: 山川出版社, 1998年. ISBN 9784634415003
- ISBN 4121016556 黒川祐次著 『物語ウクライナの歴史 : ヨーロッパ最後の大国』 (中公新書; 1655)-東京 : 中央公論新社, 2002年.
- Історія міст і сіл Української РСР. Київська область. — Київ: УРЕ АН УРСР, 1971.