ヨン・アンドニ・ゴイコエチェア

ヨン・アンドニ・ゴイコエチェア
名前
本名 ヨン・アンドニ・ゴイコエチェア・ラサ
Jon Andoni Goikoetxea Lasá
ラテン文字 Jon Andoni GOIKOETXEA
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1965-10-21) 1965年10月21日(59歳)
出身地 スペインの旗 スペインパンプローナ
身長 174cm
体重 75kg
選手情報
ポジション MF / FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1985-1988 スペインの旗 オサスナ 95 (19)
1988-1994 スペインの旗 バルセロナ 126 (6)
1988-1990 スペインの旗 レアル・ソシエダ 74 (10)
1994-1997 スペインの旗 アスレティック・ビルバオ 92 (1)
1998 日本の旗 横浜マリノス 23 (0)
1998-1999 スペインの旗 オサスナ 17 (0)
通算 427 (36)
代表歴
1985  スペインU-19 1 (0)
1985  スペインU-20 5 (1)
1985-1988  スペインU-21 12 (2)
1987  スペインU-23 1 (0)
1990-1996 スペインの旗 スペイン 36 (4)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ヨン・アンドニ・ゴイコエチェア(Jon Andoni Goikoetxea Lasá, 1965年10月21日 - )は、スペインパンプローナ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。スペイン代表であった。ポジションはMFFW。主に右サイドのポジションを幅広くこなし[1]、ウイング、サイドハーフ、ウイングバックでプレー、右サイドの最高峰の選手と言われた[2]。希にDF(サイドバック)を務めることもあった[1]

ラ・リーガでは13シーズンで386試合に出場して36得点を挙げている。スペイン代表として1994 FIFAワールドカップに出場した。

経歴

[編集]

クラブ

[編集]

CAオサスナの下部組織出身で、20歳を迎える直前の1985年10月19日、セルタ・デ・ビーゴ戦(0-2)でトップチームデビューした。早くからレギュラーの座を射止め、11月23日のエスパニョール戦でプロ入り初ゴール[3]、1987-88シーズンには11得点を記録してリーグ戦の5位躍進に貢献した。

1988年夏にFCバルセロナに移籍したが、すぐさまレアル・ソシエダにレンタル移籍し、2シーズンを過ごした[1][2]。1988-89シーズンと1989-90シーズンのリーグ戦では合わせて2試合しか欠場せず、1989-90シーズンには5位に躍進した。1990年夏にはFCバルセロナにレンタルバックし[1]チキ・ベギリスタインフリオ・サリナスホセ・マリ・バケーロなど同じバスク人選手とともにエル・ドリーム・チームの背骨を構成、在籍中はスタメンや途中交代などでほとんどの試合に出場した[2]。1990-91シーズンはリーグ戦37試合に出場し、ドン・バロン紙が選出するリーグ最優秀スペイン人選手賞を受賞した。1991-92シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは初優勝を達成したが、決勝のUCサンプドリア戦(1-0)でゴイコエチェアは後半途中から出場している[4]。リーグ戦では4連覇を果たした。1993年のUEFAスーパーカップ、ブレーメン戦の2ndレグでは決勝ゴールを決めて優勝に重要な役割を果たした[5]

1994年夏、アスレティック・ビルバオに移籍し、3シーズンで100試合近くに出場した。

1998年1月には日本・Jリーグ横浜マリノスに移籍し、FCバルセロナ時代のチームメイトであるサリナスと再びコンビを組み23試合に出場した[6]。自身を獲得した同郷のハビエル・アスカルゴルタ監督が退任し、アントニオ・デラ・クルスが監督代行を務めるようになると徐々に出番を減らした。2ndステージ、9月5日、第5節の横浜フリューゲルスとの横浜ダービーではクロスで中村俊輔の決勝点をアシストしたが、9月19日のセレッソ大阪戦で退場処分になって[7] 以降は次第に出場時間を減らし、ベンチ要員となった[8][9][10][11][12]。監督交代の影響もあり、わずか1年でスペインに戻り、セグンダ・ディビシオン(2部)に降格していた古巣のCAオサスナでプレーした後に現役引退した[2]

代表

[編集]

1990年9月12日、ブラジルとの親善試合(3-0)でスペイン代表デビューした。1994 FIFAワールドカップ アメリカ大会予選では最終節を前に、アイルランドが勝ち点17、デンマークが勝ち点16、スペインが13であったが[13]、予選最終節のデンマーク戦で、フェルナンド・イエロの決勝ゴールをアシスト、デンマークに逆転でワールドカップ出場を決めた。1994 FIFAワールドカップ本大会では、スペイン代表の全試合に出場、韓国戦(2-2)ではフリオ・サリナスのゴールをアシスト、自らも1ゴールを決め[14]ドイツ戦(2-2)でも1ゴールを挙げた。1996年UEFA EURO '96を前にした2月7日のノルウェー戦まで[15] の6年間で36試合に出場して4得点を挙げた。

現役引退後

[編集]

2クラブでチームメイトだったホセ・アンヘル・シガンダ(José Ángel Ziganda)監督の右腕としてCAオサスナとアスレティック・ビルバオのアシスタントコーチとして働いた[2]。2009年夏にはヘレスCDのアシスタントコーチに就任したが、2010年初めに監督ともども解任された。

所属クラブ

[編集]
1988-1990 →スペインの旗 レアル・ソシエダ (Loan)

個人成績

[編集]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1998 横浜M 28 J 23 0 3 0
通算 日本 J 23 0 3 0
総通算 23 0 3 0

代表歴

[編集]

試合数

[編集]

[16]


スペイン代表国際Aマッチ
出場得点
1990 4 0
1991 5 0
1992 5 0
1993 5 0
1994 11 3
1995 5 1
1996 1 0
通算 36 4

タイトル

[編集]

クラブ

[編集]

指導歴

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d トヨタカップ 1992年 大会公式パンフレット p.15
  2. ^ a b c d e 日本サッカー史におけるバルサ -FCBarcelona2012年1月12日
  3. ^ CA Osasuna - RCD Espanyol Nov23 1985 Match sheet”. www.transfermarkt. 2020年4月16日閲覧。
  4. ^ “1992 European Cup final: Barcelona – Sampdoria 1:0”. spielverlagerung.com/. https://spielverlagerung.com/2016/03/25/retro-analysis-1992-european-cup-final-barcelona-10-sampdoria/ 8 April 2020閲覧。 
  5. ^ FC Barcelona-SV Bremen Final 2nd Mar10 1993 Match sheet”. www.transfermarkt. 2020年4月16日閲覧。
  6. ^ ゴイコエチェア”. data.j-league. 2020年4月16日閲覧。
  7. ^ 1998Jリーグ 2ndステージ 第6節”. data.j-league. 2020年4月16日閲覧。
  8. ^ 1998Jリーグ 2ndステージ 第9節”. data.j-league. 2020年4月16日閲覧。
  9. ^ 1998Jリーグ 2ndステージ 第10節”. data.j-league. 2020年4月16日閲覧。
  10. ^ 1998Jリーグ 2ndステージ 第11節”. data.j-league. 2020年4月16日閲覧。
  11. ^ 1998Jリーグ 2ndステージ 第12節”. data.j-league. 2020年4月16日閲覧。
  12. ^ 1998Jリーグ 2ndステージ 第13節”. data.j-league. 2020年4月16日閲覧。
  13. ^ 1995年3月号増刊 スーパースターインタビューズvol.1 ビクターエンターテインメント P.58
  14. ^ Spain-South Korea Jun17 1994”. www.transfermarkt. 2020年4月16日閲覧。
  15. ^ Spain-Norway Feb7 1996”. www.transfermarkt. 2020年4月16日閲覧。
  16. ^ Jon Andoni Goikoetxea Lasa - International Appearances RSSSF

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]