レッド・グレンジ

レッド・グレンジ
Red Grange
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レッド・グレンジ(1925年12月8日)
基本情報
ポジション ハーフバック
生年月日 (1903-06-13) 1903年6月13日
没年月日 (1991-01-28) 1991年1月28日(87歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ペンシルベニア州フォークスビル
身長: 5' 11" =約180.3cm
体重: 175 lb =約79.4kg
経歴
大学 イリノイ大学
所属歴
選手歴
1925 シカゴ・ベアーズ
1926-1927 ニューヨーク・ヤンキース
1929–1934 シカゴ・ベアーズ
コーチ歴
1935–1937 シカゴ・ベアーズ
受賞歴・記録
NFLチャンピオン(2回)
1932・1933
オールプロ選出(2回)
1930・1931
NFL 通算成績
ラッシングTD 21
レシービングTD 10
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR

レッド・グレンジ (Harold Edward "Red" Grange,1903年6月13日 - 1991年1月28日)は、ペンシルベニア州フォークスビル出身のアメリカンフットボールの元選手である。草創期のNFLハーフバック(HB)として活躍した。絶大な人気を誇り、グレンジがNFLと契約したことにより、NFLが現在の地位を占めるに至るきっかけを作ったと言われている[1]

1923年、グレンジの活躍で大学の所属チームを全米選手権に導き、その年から3年連続オールアメリカンに選ばれた。この活躍で全米的な人気を獲得し、1925年10月5日のタイム誌の表紙を飾った。

1925年、大学での最後の試合を終えてすぐグレンジはNFLシカゴ・ベアーズと契約し、1925シーズン途中のチームに合流し、大学に所属しながらプロ生活を始めた。初年度の契約が切れると、グレンジの代理人だったC.C.パイルがグレンジの保有権を主張し、パイルが設立したフットボールリーグのAFLⅠニューヨーク・ヤンキースにグレンジを移籍させてしまった。

全米レベルの人気を有するグレンジを失ったNFL(創立7年目)と新興リーグのAFLⅠの競争は両リーグの経営を危機に陥れた。NFLの多くのチームが経営撤退に追い込まれた一方、AFLⅠもグレンジが出場した試合以外は観客動員が伸びず、AFLⅠは創設1年で解散した。グレンジを取り戻したいNFLは、ヤンキースがNFLに参入することを認め、グレンジはNFLに戻った。しかし、NFLに戻った1927年シーズンにグレンジは膝に深刻な怪我を負い、チームも解散したため、1928年はプレーしなかった。1929年、古巣ベアーズに戻り、1934年に引退するまでプレーし、引退後は3年間ベアーズでコーチを務めた。

弟のガーランド・グレンジ英語版もNFL選手で、1929年から1931年には同じチームに所属した。

関連項目

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出典

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  1. ^ Red Grange, Football Hero of 1920s, Dead at 87”. The New York Times (January 29, 1991). 2020年2月16日閲覧。