三田洞駅
三田洞駅* | |
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みたほら MITAHORA | |
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所在地 | 岐阜県岐阜市 |
所属事業者 | 名古屋鉄道 |
所属路線 | 高富線 |
キロ程 | 3.6 km(長良北町起点) |
駅構造 | 地上駅 |
開業年月日 | 1913年(大正2年)12月25日 |
廃止年月日 | 1960年(昭和35年)4月22日 |
備考 | * 1914年に土橋駅から改称。 |
三田洞駅(みたほらえき[1])は、かつて岐阜県岐阜市にあった、名古屋鉄道高富線の駅。
法華寺(三田洞弘法)の最寄り駅であり、賑わったという。
歴史
[編集]1913年、高富線が長良軽便鉄道の路線として開業したのに合わせて開設された。開業時の駅名は土橋駅(どばしえき)であったが、翌年には三田洞駅に改称したことが発表されている。このとき、それまで三田洞駅と称していた隣の駅は上岩崎駅に改称した旨も同時に発表されている(上岩崎駅は1938年に廃止)。開業当初は駅員が配置されていたが、戦後間もなく無人駅となっている[2]。
モータリゼーションが進展する中、高富線は路線や車両の改良が進まず、輸送力が貧弱であったために1960年に路線バスに転換され廃止[3]、当駅も廃駅となった。
- 1913年(大正2年)12月25日 - 長良軽便鉄道の長良北町駅 - 高富駅間の開通と同時に土橋駅として開業[4][5]。
- 1914年(大正3年)9月18日 - 三田洞駅に改称。同時に三田洞駅(初代)は上岩崎駅に改称(いずれも官報掲載日)[6][5]。
- 1915年(大正4年)11月20日 - 長良軽便鉄道と美濃電気軌道市内線が接続され、11月26日より両線で直通運転開始[7]。
- 1920年(大正9年)9月10日 - 長良軽便鉄道は美濃電気鉄道へ合併。同社の高富線となる[7]。
- 1930年(昭和5年)8月20日 - 美濃電気軌道が名古屋鉄道(初代。同年中に名岐鉄道に改称し、1935年より名古屋鉄道に再改称)に合併。同社の高富線の駅となる[7]。
- 1948年(昭和23年)11月1日以前 - 無人化[8]。
- 1956年(昭和31年)7月22日 - 列車交換のための側線を新設[7]。
- 1960年(昭和35年)4月22日 - 高富線廃止に伴い廃駅となる[7]。
駅構造
[編集]島式1面2線の乗り場が設けられ、交換設備も存在した。通常、高富線は当駅で列車交換を行っていた[9]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ 『名古屋鉄道百年史』884頁では「みたぼら」。
- ^ 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、142頁。ISBN 4-87670-097-4。
- ^ 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、24頁。ISBN 4-87670-097-4。
- ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1914年1月12日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ a b “日本鉄道旅行地図帳 追加・訂補一覧 7号 東海”. 鉄道フォーラム. 2016年7月10日閲覧。
- ^ 「軽便鉄道駅名改称」『官報』1914年9月18日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ a b c d e 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、219-230頁。ISBN 4-87670-097-4。
- ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、884頁。
- ^ “廃止から10年・岐阜の電車(平成27年 春季特別展)”. 名鉄のオススメ. 名古屋鉄道. 2016年7月10日閲覧。
- ^ 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 7 東海、新潮社、2008年、53頁。ISBN 978-4-10-790025-8。