三遊亭圓駒
三遊亭圓朝一門定紋「高崎扇」 | |
本名 | |
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生年月日 | 1899年1月11日 |
没年月日 | 1976年1月17日(77歳没) |
出身地 | 日本 |
師匠 | 3代目三遊亭小圓朝 2代目桂小文治 |
名跡 | 1. 橘家正之助 (1916年 - ?) 2. 橘家芝好 (時期不明) 3. 橘家歌好 (時期不明) 4. 三遊亭歌之輔 (? - 1919年) 5. 三遊亭右近 (1919年 - ?) 6. 月の家月松 (時期不明) 7. 月の家圓賀 (? - 1921年) 8. 月の家花鏡 (1921年 - 1924年) 9. 三遊亭小傳遊 (1924年 - ?) 10. 橘家小圓太 (時期不明) 11. 三遊亭圓龍 (? - 1925年) 12. 桂小扇治 (1925年 - 1930年) 13. 三遊亭圓駒 (1930年 - ?) 14. 望月太意七 (時期不明) 15. 望月晴峰 (? - 1976年) |
活動期間 | 1916年 - 1976年 |
家族 | 海老一染太郎 (長男・正親) 海老一染之助 (次男・正秀) 村井正信 (孫) |
所属 | 三遊派 日本芸術協会 |
望月 晴峰・三遊亭 圓駒(さんゆうてい えんこま、1899年1月11日 - 1976年1月17日)は、日本の落語家、長唄囃子。三遊派に属する。本名∶村井 正彦。
概要
[編集]活動時期の詳細は不詳であるが、大正から昭和中期にかけて活動した。師匠は3代目三遊亭小圓朝、弟弟子には3代目三遊亭圓之助、6代目三遊亭圓橘らがいる。
順序は不明であるが、三遊亭圓駒の他にも7代目橘家小圓太、圓龍(亭号不明だが、恐らく三遊亭)と名乗っていたこともある。後に落語家から後の長唄囃子に転向し、望月太意七を経て望月晴峰となったとされる。
5代目古今亭志ん生、2代目快楽亭ブラックと同様に、改名回数が非常に多い。
一般的に知られている遍歴を記載すると、最初は1916年もしくは1917年ころに入門し橘家正之助といい、芝好、歌好、大正半ばころに三遊亭歌之輔、1919年に三遊亭右近、3代目三遊亭圓遊門下で月の家?月松、圓賀、1921年ころ?に月の家?花鏡、1924年に三遊亭小伝遊(小傳遊)、橘家小圓太、圓龍、1925年ころに2代目桂小文治門下で桂小扇治、1930年、31年ころに三遊亭圓駒に改名。
1976年1月に死去しているが、死因は不明、77歳没。
親族
[編集]太神楽の兄弟コンビ海老一染之助・染太郎は実の息子、テレビ東京総務人事局長の村井正信(染之助の三男)は孫に当たる[1][2]。
脚注
[編集]- ^ 海老一染之助さん死去 83歳「ミスター正月」兄弟で傘回し芸 - スポニチアネックス(2017年12月7日)2022年1月31日閲覧。
- ^ 会社情報>役員一覧 - テレビ東京。2022年1月31日閲覧。
出典
[編集]- 『古今東西噺家紳士録』[要文献特定詳細情報]