上野貴久
巨人時代 | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都足立区 |
生年月日 | 1982年12月9日(41歳) |
身長 体重 | 177 cm 82 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2006年 大学生・社会人ドラフト3巡目[1] |
初出場 | 2010年9月9日 |
最終出場 | 同上 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について |
上野 貴久(うえの たかひさ、1982年12月9日[1] - )は、東京都足立区出身の元プロ野球選手、元社会人野球選手(投手)。左投左打。読売ジャイアンツに所属していた。実弟は千葉ロッテマリーンズに所属していた上野大樹。
来歴・人物
[編集]プロ入り前
[編集]中学時代は地元の軟式野球チームブラックキラーズに所属していた。帝京高時代は控え投手だったが、進学した東洋大学の野球部では1年生春から主戦投手になる。東都大学リーグ通算75試合登板し14勝[1]28敗、防御率3.43、228奪三振。
大学卒業後の2005年はNTT東日本に入社、同社硬式野球部に所属[1]。2006年の都市対抗では、予選で3勝、本戦で1勝をあげた。同年の大学生・社会人ドラフト会議で読売ジャイアンツから3巡目指名を受け[1]入団(契約金1億円、年俸1500万円)。
プロ入り後
[編集]2007年の春季キャンプで、希望枠の金刃憲人・大社4巡目の円谷英俊・同じく6巡目の寺内崇幸と共に、球団としては4年ぶりのキャンプでの新人一軍スタートとなった。しかし、3年間一軍登板なしに終わる。
2010年シーズンは、2軍で40試合に登板し、4勝1セーブ、防御率1.30という成績[2]を残した事から李承燁と入れ替わりという形で9月7日に初めて一軍登録され[3]、同月9日に対横浜DeNAベイスターズ戦でプロ初登板した。
2011年は、二軍で防御率4.41に終わり、結局一軍登板は無く、11月15日に球団から戦力外通告を受けた。
社会人野球復帰
[編集]2012年、プロ入り前に所属したNTT東日本に6年ぶりに復帰した[4]が、この年限りで現役を引退した。
引退後
[編集]今後は同社で社業に就く[5]。
選手としての特徴
[編集]最速144km/hのストレートに、スライダー・シュートを加え左右に揺さぶる投球が持ち味。両サイド低めに集められる制球力も武器としている。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
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2010 | 巨人 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 2 | 0.2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.00 |
通算:1年 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 2 | 0.2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.00 |
記録
[編集]背番号
[編集]- 38 (2007年 - 2008年)
- 62 (2009年 - 2011年)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 『プロ野球カラー名鑑 2008』ベースボール・マガジン社、2008年、14頁。ISBN 978-4-583-61526-4。
- ^ 一軍昇格時の成績。
- ^ 巨人の上野が初の出場選手登録 デイリースポーツ
- ^ “元巨人左腕が6年ぶり社会人復帰「感謝しています」”. スポーツニッポン (2012年2月4日). 2012年2月4日閲覧。
- ^ 引退選手のご挨拶 2013年2月11日閲覧
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 上野貴久 - NPB.jp 日本野球機構