中埜広太郎
中埜[注釈 1] 広太郎(廣太郎、なかの ひろたろう、1858年6月11日(安政5年5月1日[1]) - 1927年(昭和2年)11月7日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(3期)。
経歴
[編集]摂津国島下郡小野原村(のち、大阪府三島郡豊川村、現・箕面市と茨木市)に生まれる[1]。和漢学、弓術、馬術、剣術を学ぶ[1]。農業を営み[2]、新田村(現・豊中市と吹田市)長、町村組合会議員、地押調査委員、徴兵参事員、大阪府会議員、同常置委員となる[1][2]。また、三島実業銀行、三島煉瓦各(株)取締役を務めた[1][2]。
1894年3月の第3回衆議院議員総選挙において大阪5区から自由党公認で立候補したが落選[3]。同年9月の第4回衆議院議員総選挙では無所属で立候補して初当選[4]。1898年3月の第5回衆議院議員総選挙では自由党公認で立候補して再選[5]。同年8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政党公認で立候補して三選を果たした[6]。1902年の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。1927年に死去した。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『衆議院議員列伝』279頁では「中野」。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 『衆議院議員列伝』山崎謙編、衆議院議員列伝発行所、1901年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。