乾元大宝
乾元大宝(乹元大寳、けんげんたいほう)は、958年(天徳2年)に、日本で鋳造、発行された銭貨である[1]。皇朝十二銭の最後に鋳造された。
概要
[編集]直径19mm前後の円形で、中央には正方形の孔が開いている。銭文(貨幣に記された文字)は、時計回りに回読で乾元大寳と表記されている(実際には「乾」の字のへんが「卓」つくりが「乚」になっている)。裏は無紋である。量目(重量)2.5g程度の銅の鋳造貨である。
交換比率は記録には残っていないが、それまでの皇朝銭と同様、乾元大宝1枚に対し旧銭10枚の交換比率が適用されたと考えられている。小型で鉛が75%、あるいはそれ以上を占めるものもあるなど品位は非常に低く[2][3]、また製作も悪く銭文の文字が読めないものも少なくなく、流通範囲も狭かったらしい。だが、当時の平安貴族には貨幣流通不振の理由が分からず、『日本紀略』によれば天徳2年4月8日には伊勢神宮以下11社に新造の乾元大宝を奉納して流通を祈願している[4]。
963年(応和3年)に、朝廷発行の最後の貨幣として鋳造を終了している。以後自然貨幣として輸入銭や民鋳銭と混用されることとなる。
銭文の作者
[編集]銭文について、本来であれば当時の代表的な能書家であった木工頭・小野道風が書くべき所、既に65歳となっていた道風は眼病(老人性白内障とされる)が進行して細字を書くことができなかった。さらに、道風に次ぐ能書であった大内記・紀文正も触穢と称して拒絶したため、やむなく図書允・阿保懐之が書くことになった[5]。