五島盛光
時代 | 明治時代 |
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生誕 | 明治6年(1873年)7月23日 |
死没 | 大正12年(1923年)5月30日 |
改名 | 歓十郎(幼名) |
氏族 | 溝口氏→五島氏 |
父母 | 父:溝口直溥、養父:五島盛主(子爵) |
兄弟 | 溝口直正、増山正治、諏訪忠元、五島盛光 |
妻 | 善(堀田正養の三女) |
子 | 五島盛輝、知子(奥田直久夫人)、盛寛、福子 |
五島 盛光(ごとう もりみつ、明治6年(1873年)7月23日[1] - 大正12年(1923年)5月30日[1][2])は、明治時代から大正時代の華族(子爵)。五島家第33代当主。位階は従三位。旧名は溝口歓十郎[1]。
生涯
[編集]旧越後国新発田藩主・溝口直溥の十六男として生まれる。明治26年(1893年)旧福江藩主五島家当主の五島盛主が嗣子無くして卒去したため、翌明治27年(1894年)に養嗣子として五島家を継いだ。同年1月25日、盛光と改名した[3]。明治35年(1902年)、自ら巨費を投じて旧制五島中学校を創設した。明治42年(1909年)、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し、法学士となる。大正10年(1921年)5月14日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[4]、死去するまで在任した[2][5]。大正12年(1923年)東京市本郷区駒込神明町の邸にて薨去。有栖川宮家より弔問の特使を賜り、院議を以て徳川家達(貴族院議長・公爵)から弔辞を贈られる。
栄典
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 大坪譲『五島通史』五嶋襍載刊行會、1917年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 中島功『五島編年史 下巻』国書刊行会、1973年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 五島盛主 | 子爵 (福江)五島家第2代 1894年 - 1923年 | 次代 五島盛輝 |