佐久間勝道
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛文2年(1662年) |
死没 | 寛文9年12月26日(1670年2月16日) |
別名 | 大膳(通称) |
戒名 | 白庭宗雪清信士 |
墓所 | 広岳院 |
藩 | 信濃長沼藩世嗣 |
氏族 | 佐久間氏 |
父母 | 佐久間勝豊、本多忠相娘 |
兄弟 | 勝道、佐久間勝親正室 |
佐久間 勝道(さくま かつみち)は、江戸時代前期の信濃国長沼藩の世嗣。通称は大膳。
略歴
[編集]寛文2年(1662年)、信濃国長沼藩主・佐久間勝豊の長男として江戸にて誕生。母は本多忠相の娘。
寛文9年(1669年)12月26日、8歳にして没し、家督を相続することはなかった。
墓所は広岳院に現存する[1]。戒名は白庭宗雪清信士。信濃長沼城下にも勝道供養のために福聚庵が創建されたという[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『断家譜』3
- いいづな歴史ふれあい館特別展図録『飯綱の地をひらいた“殿様”‐佐久間兄弟と長沼藩・飯山藩』2015年