佐倉河村
さくらがわむら 佐倉河村 | |
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廃止日 | 1954年4月1日 |
廃止理由 | 新設合併 佐倉河村、水沢町、姉体村、真城村、黒石村、羽田村 → 水沢市 |
現在の自治体 | 奥州市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 岩手県 |
郡 | 胆沢郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 20.73 km2. |
総人口 | 6,899人 (『岩手県町村合併誌』、1954年1月) |
隣接自治体 | 胆沢郡:水沢町、金ケ崎町、永岡村、南都田村、真城村 江刺郡:愛宕村、羽田村 |
佐倉河村役場 | |
所在地 | 岩手県胆沢郡佐倉河村下河原字西関田45-1 |
座標 | 北緯39度09分45秒 東経141度07分50秒 / 北緯39.16253度 東経141.13058度座標: 北緯39度09分45秒 東経141度07分50秒 / 北緯39.16253度 東経141.13058度 |
ウィキプロジェクト |
佐倉河村(さくらがわむら)は、昭和30年(1955年)まで岩手県胆沢郡にあった村。現在の奥州市水沢佐倉河および水沢卸町・水沢工業団地にあたる。
地理
[編集]沿革
[編集]- 明治8年(1889年)10月17日 - 水沢県による村落統合にともない、佐野村と八幡村が合併して宇佐村に、上葉場村と栃木村が合併して満倉村に、安土呂井村・四丑村・茄子川村・瀬台野村が合併して常盤村になる。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、宇佐村・満倉村・下河原村および常盤村のうち旧安土呂井・四丑・茄子川村域が合併して佐倉河村が発足。
- 昭和29年(1954年)4月1日 - 水沢町・姉体村・真城村および江刺郡黒石村・羽田村と合併し、水沢市となる。
行政
[編集]- 歴代村長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 小野哲之助 | 明治22年(1889年)4月 | 明治30年(1897年)10月 | |
2 | 青木丈左ェ門 | 明治30年(1897年)11月 | 明治32年(1899年)4月 | |
3 | 小野哲之助 | 明治32年(1899年)5月 | 明治32年(1899年)10月 | 再任 |
4 | 青木誠内 | 明治32年(1899年)11月 | 明治34年(1901年)1月 | |
5 | 北郷隆純 | 明治34年(1901年)2月 | 明治35年(1902年)1月 | |
6 | 佐藤寛次郎 | 明治35年(1902年)2月 | 明治37年(1904年)5月 | |
7 | 小野哲之助 | 明治37年(1904年)6月 | 明治38年(1905年)12月 | 三任 |
8 | 小野永之進 | 明治39年(1906年)1月 | 明治44年(1911年)7月 | |
9 | 阿部勝治郎 | 明治44年(1911年)8月 | 大正3年(1914年)5月 | |
10 | 高橋与平 | 大正3年(1914年)6月 | 昭和9年(1934年)7月 | |
11 | 菅原小平 | 昭和9年(1934年)9月 | 昭和10年(1935年)11月 | |
12 | 伊藤栄五郎 | 昭和11年(1936年)5月 | 昭和12年(1937年)2月 | |
13 | 木村三郎 | 昭和12年(1937年)4月 | 昭和21年(1946年)11月 | |
14 | 及川太右ェ門 | 昭和21年(1946年)11月 | 昭和29年(1954年)3月31日 |
交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]現在は旧村内に東北自動車道の水沢インターチェンジが所在するが、当時は未開通。
教育
[編集]- 佐倉河村立佐倉河小学校 - のち合併で水沢市立佐倉河小学校。現奥州市立佐倉河小学校。
- 佐倉河村立佐倉河中学校 - のち合併で水沢市立佐倉河中学校。統合で水沢市立水沢中学校を経て、現奥州市立水沢中学校。
参考文献
[編集]- 『岩手県町村合併誌』(岩手県総務部地方課、1957)