佐竹義敏
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保11年1月13日(1726年2月14日) |
死没 | 宝暦13年3月2日(1763年4月14日) |
別名 | 求馬(通称) |
官位 | 従四位下・修理大夫 |
藩 | 出羽岩崎藩世嗣 |
氏族 | 佐竹氏 |
父母 | 父:佐竹義道、母:佐竹義長の娘・昆 |
兄弟 | 義明、義敏、義忠、蜂須賀重喜、松平直道正室 |
妻 | 正室:佐竹義智の娘 側室:木暮氏 |
子 | 義祇 |
佐竹 義敏(さたけ よしとし)は、江戸時代中期の出羽国岩崎藩(秋田新田藩)の世嗣。通称は求馬。
略歴
[編集]第2代藩主・佐竹義道の次男として誕生した。母は初代藩主・佐竹義長の娘・昆。
兄・義明が佐竹義峯の婿となって末期養子として本藩・久保田藩を継いだため、岩崎藩佐竹家嫡子となった。しかし、家督を継ぐことなく宝暦13年(1763年)3月2日(あるいは2月29日)に38歳で死去した。
嫡子の座は弟の義忠が継承し、第3代藩主となった。