倉敷県

倉敷県(くらしきけん)は、1868年慶応4年)に美作国備中国備後国内の幕府領旗本領を管轄するために明治政府によって設置された。管轄地域は何度か変遷しているが、現在の岡山県広島県香川県に広く分布している。

概要

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現在の倉敷市は江戸時代には天領であった。江戸時代、倉敷代官所が管轄する幕府領(倉敷支配所)および備中国内の旗本領・寺社領だった地域が、明治維新後に倉敷県となった。県域は現在の岡山県倉敷市の大部分および笠岡市新見市高梁市岡山市の一部、倉敷支配所の備後国飛地だった現在の広島県府中市上下町などが相当する。さらには讃岐国多度津藩も含められた。

1871年(明治4年)、備中国、備後国の11県を統合した深津県小田県)が設置され廃止された。

沿革

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管轄地域

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なお相給が存在するため、村数の合計は一致しない。

歴代知事

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  • 1868年7月6日(慶応4年5月17日) - 1868年7月22日(慶応4年6月3日): 知事・内海貞利
  • 1868年7月22日(慶応4年6月3日) - 1868年9月4日(慶応4年7月18日): 不在
  • 1868年9月4日(慶応4年7月18日) - 1869年8月24日(明治2年7月17日): 知事・小原正東(元高知藩士
  • 1869年8月24日(明治2年7月17日) - 1869年9月3日(明治2年7月27日): 権知事・伊勢氏華(元山口藩士)
  • 1869年9月3日(明治2年7月27日) - 1871年12月26日(明治4年11月15日): 知事・伊勢氏華(前倉敷県権知事)

脚注

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関連項目

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先代
倉敷代官所
美作国備中国備後国内の
幕府領旗本領
多度津藩
行政区の変遷
1868年 - 1871年
次代
深津県(備中国)
広島県(備後国)
香川県(讃岐国)