元湛
元 湛(げん たん、510年 - 544年)は、北魏・東魏の皇族。広陽文献王。字は士深。
経歴
[編集]広陽王元淵と王氏のあいだの子として生まれた。侍書として召され、羽林監に任じられた。孝荘帝の初年、広陽王の封を嗣いだ。左将軍・膠州刺史に任じられた。東魏の初年、冀州刺史に任じられたが、任地で収奪をおこなって統治を確立できなかった。入朝して侍中となり、行洛州事として出向した。537年(天平4年)10月、西魏の独孤信が洛州に迫ると、元湛は洛州の州城を捨てて逃亡した。後に司州牧を代行した。542年(興和4年)、太尉公となった。544年(武定2年)5月14日、死去した。享年は35。仮黄鉞・大司馬・尚書令の位を追贈された。諡は文献といった。
妻子
[編集]妻
[編集]- 王令媛(523年 - 542年、王翊(王粛の兄の王琛の子)の娘)
子
[編集]- 元法輪