八ッ場大橋

八ッ場大橋
八ッ場大橋 川原湯側
基本情報
日本の旗 日本
所在地 群馬県吾妻郡長野原町川原湯-川原畑
交差物件 吾妻川八ッ場あがつま湖
用途 道路橋
路線名 群馬県道377号川原畑大戸線
管理者 群馬県中之条土木事務所
設計者 建設技術研究所
施工者 三井住友建設
着工 2008年(平成20年)
開通 2014年(平成26年)10月1日
座標 北緯36度33分16秒 東経138度42分16秒 / 北緯36.55444度 東経138.70444度 / 36.55444; 138.70444 (八ッ場大橋)座標: 北緯36度33分16秒 東経138度42分16秒 / 北緯36.55444度 東経138.70444度 / 36.55444; 138.70444 (八ッ場大橋)
構造諸元
形式 5径間連続エクストラドーズド橋
材料 PC
全長 494 m
14.3 m
高さ 73.5 m
地図
八ッ場大橋の位置
八ッ場大橋の位置
八ッ場大橋の位置
八ッ場大橋の位置
八ッ場大橋の位置
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
テンプレートを表示
群馬県道377号標識

八ッ場大橋(やんばおおはし)は、群馬県吾妻郡長野原町吾妻川八ッ場あがつま湖)に架かるエクストラドーズド橋八ッ場ダム建設に伴う付替道路として建設された。建設中の仮称は湖面1号橋。同様の付替道路として群馬県道375号林岩下線不動大橋(湖面2号橋)と国道145号丸岩大橋(湖面3号橋)がある。

建設の背景

[編集]

八ッ場ダム建設に伴い、水没地域の住民の代替地がダム湖の右岸(川原湯地区)と左岸(川原畑地区)に分かれることから、これらの地域を結び、生活再建を支援するために計画された橋である。群馬県道377号川原畑大戸線の一部となっている。

概要

[編集]

歴史

[編集]
八ッ場大橋(旧橋)
基本情報
日本の旗 日本
所在地 群馬県吾妻郡長野原町川原湯 - 川原畑
交差物件 吾妻川
用途 道路橋
路線名 国道145号
管理者 群馬県中之条土木事務所
開通 1933年(昭和8年)5月
閉鎖 2014年(平成26年)11月28日
座標 北緯36度33分20.5秒 東経138度42分38.5秒 / 北緯36.555694度 東経138.710694度 / 36.555694; 138.710694 (八ッ場大橋(旧橋))
構造諸元
形式 上路2ヒンジソリッドリブアーチ橋
材料 鉄筋コンクリート
全長 45.60 m
5.5 m
最大支間長 36.00 m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
テンプレートを表示

八ッ場ダム完成以前は国道145号が当地付近で八ッ場大橋と千歳新橋の2か所で吾妻川を渡河していた。このうち、下流側に架かっていたのが八ッ場大橋で2橋ともに府県道中之条上田線として1933年(昭和8年)に完成した[2][3]

八ッ場ダムの工事中止を公約に掲げた民主党2009年(平成21年)8月30日に投開票が行われた第45回衆議院議員総選挙に勝利。橋脚工事の最中で足場が組まれた状態の湖面1号橋は、八ッ場ダム工事是非の象徴的な構造物として報道される機会が増えた。民主党政権(民社国連立政権鳩山由紀夫内閣)が誕生し、本堤の工事はもちろんのこと橋についても建設の可否が不透明な状態となったが、同年12月1日、群馬県県特定ダム対策課は橋脚の入札公告を出し、県として事業を継続する姿勢を示した[4]。一方、国も2010年(平成22年)3月18日前原誠司国土交通相が住民の意向調査[5]の結果を踏まえ、本堤工事とは切り離して生活再建事業の一つとして事業継続することを表明した[6]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 着工当時の完成予定は2014年3月であった。

出典

[編集]
  1. ^ 一般県道川原畑大戸線の八ッ場大橋(湖面1号橋)が開通しました - 群馬県トップページ > 雇用・産業、土木・建築、農林業 > 土木・建築(社会基盤) > (八ッ場ダム関連) (更新日時不明 2015年1月27日閲覧)
  2. ^ 内務省土木試験所『本邦道路橋輯覧』内務省土木試験所、1935年11月30日、80, 85頁。 
  3. ^ 「八場大橋 群馬県」『道路の改良』第15巻第8号、道路改良会、1933年8月、口絵。 
  4. ^ 湖面1号橋の入札公告(asahi.com 2009年12月2日)
  5. ^ 住民意向を調査、国交省/八ツ場、湖面橋建設めぐり(2010年2月23日 四国新聞社)
  6. ^ (2010年3月19日毎日.jp)

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]