利用者‐会話:Kanohara

ガンダム00でのリバートについて

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機動戦士ガンダム00の編集に参加していただきありがとうございます。ただ、それ自体はありがたいことなのですが、以前この記事が全保護になった理由が編集合戦であることや、健康緑茶氏が以前から不適切な編集を行い、警告されて今に至っていることをご理解いただいていることと思います。もし再び編集合戦が起き、その当事者が問題解決のための対話を行う気配がなかった場合、残念ながら僕が自ら保護依頼を出さなければなりません。記事のリバートに関しては、それより前に他の方との間で同じ件での書き込みやリバートが起きていないか履歴もチェックしていただき、慎重に行っていただきたいと思います。もしウォッチリストを利用されていないのでしたら、そこに機動戦士ガンダム00してこまめにチェックされることもお勧めしておきます。

もちろん、僕はKanoharaさんが行ったリバートが間違っているとは思いません。ですが、これまでの経緯からこの記事がうまくやって行けるかどうかは荒らしに対処する側の力量にかかっていると考えております。どうぞご理解とご協力をお願いいたします。--KM-0901 2008年10月11日 (土) 08:21 (UTC)[返信]

なるほど、懸念されている点については理解しました。ガンダム00は第2期の放送が始まって注目を集めている記事だけに、多少なりとも編集に関わる者としても気が引き締まります。今回の健康緑茶氏の再三に渡る編集は、果たして嫌がらせ目的と断じて良いものなのか、それとも健康緑茶氏なりに作品を噛み砕いて解釈し、作品に批判的な立場から記事を読み応えのある内容として充実させようとしていたのか、私としては解釈に迷っていたのですが、いずれにせよノーコメントで差し戻しを行ったのは、問題行動を起こしている相手との対話を面倒がって逃げたのだと批判されても仕方ありません。次に差し戻しを行う場合は、差し戻しの理由を明記するか、差し戻しではなく編集内容をルールに即したものに修正するよな方向で対処するよう注意します。--Kanohara 2008年10月11日 (土) 12:52 (UTC)[返信]

機動戦士ガンダム00に関する連絡

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一応ご報告の意味を込めて簡易版を……。

このメッセージは、12月以降ノート:機動戦士ガンダム00にコメントされた方全員にお送りしています。

以前からノートで準備を進めておりました、キャラ・メカニック解説の整理を本格的に始動することになりましたのでお知らせに参りました。これ以降の記事該当部への加筆は整理後の更新に反映されませんので、本文の編集は控え、ノートの議論に参加していただくようお願いいたします。--KM-0901 2008年12月27日 (土) 05:35 (UTC)[返信]

いい加減にしてください(『Supercell (アルバム)』の編集内容について)

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何度も言うようですが、資料はきちんと読んでください。 Supercell (アルバム)への編集内容についてです。まず、被リンク数についてはあくまで「初音ミク」タグのつけられた動画が対象であり、メルトの派生動画で多くを占める初音ミクを用いない「歌ってみた」「演奏してみた」は集計対象にはなっていません。従って「歌ってみた」「演奏してみた」の説明に用いるのは誤りです。このことは確かに文章を一読しただけでわかりにくいですが、初音ミク関連で最も多くの派生動画を抱えるはずのメルトが4位になっていることからも容易に気づけるはずでしょう。また、「N次創作」という単語ですが、この言葉をきちんと理解して用いたのですか。理解しているわけは無いでしょうね。理解していれば[[二次創作物|N次創作]]などという書き方が出来るわけが無い。濱野智史はこのN次創作という概念を二次創作という言葉では言い表せない創作物をさすために用いています。従って、N次創作という単語に二次創作物へのリンクが張られることはありえず、これは明確な誤りです。N次創作という言葉を用いるならばせめて濱野智史がこの概念を説明している著書「アーキテクチャの生態系」を読んでからにして下さい。また、もし文中での使用が必要ならば普及している言葉で無いので注釈も必要になるでしょう。

なお、私が初音ミクの加筆の際に「N次創作」という、おそらく初音ミクにまつわる創作活動を表すには最も都合のいい単語を使用しなかったのにも理由はあります。こう言っては失礼ですが「濱野智史によると」という言い方でこの単語について説明するには濱野智史はまだ研究者として大きな業績を遺しているとは言えないと考えたからです。

長々と書きましたが、要するにきちんと調べず理解もしていない内容を堂々と書くような行為はやめてくださいということです。--アト 2009年3月12日 (木) 09:43 (UTC)[返信]

自分なりに厳密な解釈を試みたつもりですが、解釈が微妙に分かれる所だったかもしれません。確かにニコニコ動画においては、人間が歌った曲には「初音ミク」タグを付けないことが望ましいとする慣習もありますが、ニコニコ動画上で「初音ミク」+「メルト」タグの検索結果を再生数でソートすると「歌ってみた」と題した動画も数多く含まれています。「メルト」+「歌ってみた」の両方のタグを含む動画のうち、「初音ミク」タグを含まない動画は確かに多いものの、「初音ミク」タグを含む場合も少なくありません。このことから、濱崎雅弘氏・武田英明氏が研究対象とした集計結果に「歌ってみた」「演奏してみた」が集計対象に「入っていない」とは考えにくいように思います。また出典となる記事のうち「ユリイカ12月臨時増刊号 総特集 初音ミク」p121にある表2でも、集計に使用したデータには「歌ってみた」「演奏してみた」「描いてみた」などのタグが含まれていることが書かれています。私としてはこれが「メルト」の引用形態を示す完全なデータではないにせよ、その一端を示すものであり、個人的にはそれほど的外れな引用ではなかったと考えています。
ただ、濱崎雅弘氏・武田英明氏の研究には、「初音ミク」動画全体に関してはともかく、「メルト」がどのような形で引用されているのかについては書かれていなかったため、「ユリイカ12月臨時増刊号 総特集 初音ミク」における濱野智史氏の記事p125の記述を出典として、「メルト」が「歌ってみた」「演奏してみた」などの形で利用されていることを付記しましたが、この際原典に忠実な言い回しを心がけて「N次創作」という言葉を使いました。ただ、アト氏も感じておられるようにこれは一般的な言葉ではないため、別種ではあるもののその概念を大まかに理解する上で必要と思われた二次創作物へのリンクを示しています。ただ、これは蛇足だったかも知れません。
自分なりに出典に目を通した上で記述を試みたのですが、その上で出典となる文章をうまく咀嚼できていないとアトさんが考えるのでしたら、それは文章力不足だと考えます。ニコニコ動画上で「メルト」を題材にした「歌ってみた」などの関連動画が盛んに作られており、その数が初音ミク関連動画の中でも特に多く特筆に価することを、もっと的確な表現で示すことができるのであればそれが望ましく思います。--Kanohara 2009年3月12日 (木) 13:18 (UTC)[返信]
まず対象となっていないとする根拠として、派生動画の類型として初音ミク曲の「歌ってみた」についって一切触れられていないことが挙げられます。まあ、しかし、これは記事をきちんと読まなければわからないことかもしれないのでまだいいでしょう。しかし、P121の表2を理由に挙げるの論外です。本当に全く資料が読めていないのですね。今一度該当の表を良く見てください。表2のタイトルは「創作活動の分類に用いたタグの例」。そして、その表の「歌ってみた」「演奏してみた」の左側にはどのような分類が書いてありますか?この記事では「歌ってみた」「演奏してみた」をどのようなタイプの動画として分類していますか?もちろん、これらの中に初音ミク曲から派生した人間による「歌ってみた」なども混在していることでしょうが、しかし、この記事では「歌ってみた」「演奏してみた」は初音ミクを用いたカバー曲を示すものとして扱われており、従ってこの記事を参考文献にして書く以上はメルトから派生した人間による「歌ってみた」「演奏してみた」が集計対象で無い前提で書かなければならないことは明白です。
ウィキペディアが百科事典であることを肝に銘じ、きちんと調べ、資料を理解し、多くの人が読むものであることを前提として責任ある編集をお願いします。それが出来ないのであれば金輪際ウィキペディアの編集にかかわるのはやめてください。--アト 2009年3月12日 (木) 13:51 (UTC)[返信]
「歌ってみた」「演奏してみた」を「調教」に分類するのは、初音ミクファンの感覚では違和感のある表現かも知れませんが、これは便宜上の分類かも知れず、出典元の著者は除外したとも除外していないとも書いていません。この中から人間によるカヴァーが除外されているとする根拠はアトさんの憶測に過ぎないと考えます。ただ、これは私としても少々迷うところだったので、私は「歌ってみた」が何を指し示しているのかを明言することは避け、「人間による歌唱」などと言い換えたりせず引用しています。ただ「歌ってみた」という表現は曖昧な表現であり、もっと具体的な出典が必要だと考え、後から出典を追加しました(この時、アトさんの編集とタイミングが重なってしまったのは偶然です)。しかし、これは確かにあまり良い出典の使い方ではなかったかも知れません。よりよい文案や適切な出典があれば私としても歓迎します。
それから敢えて苦言を。アトさんが多くの出典を収集しそれを読み込んでいることや、その知識を元に精力的な執筆活動を行っていることは、私としても深く敬意を払っていますし、そのことはアトさんが強い矜持を持つに値すると考えます。ですが我々はもう一度、礼儀を忘れない善意にとる、といったガイドラインを読み返し、一度深呼吸する必要があるのではないかと考えます。--Kanohara 2009年3月12日 (木) 17:37 (UTC)[返信]
くだらない言い訳は結構です。私自身自分なりに礼儀を尽くそうと努力してきたつもりでした。ですから長い間Kanoharaさんに対する直接の批判も避けてきました。記述内容に対する指摘を繰り返していればKanoharaさんの編集内容もきっと改善するであろうと考えました。しかし、いつまでたっても、直接の指摘を行ってすらこのようないい加減な加筆を繰り返されるようでは一体私はどうすればよいというのですか。私だって仕事もあるしウィキペディアの編集以外にすることはあるんです。なぜ自分の意思で行う編集だけでなくこのような対応に時間をとられねばならないのですか。ただ、Kanoharaさんがご自分の行う編集に対してもっと慎重に対応してただければよいだけなのに。わからないことは書かない、ただそれだけを気をつけていただければ良いだけなのに。
上記反論についてですが、私は集計対象になっていないと言っているだけで「歌ってみた」が除外されているとは一言も言っていないはずですが。もう一度記事をよく読んでください。創作カテゴリの説明はP117の冒頭をご覧下さい。また、人間、初音ミクによるもにかかわらず「歌ってみた」への派生の有無についてはP121の図6をご覧下さい。「作曲」→「調教」の矢印が存在していないことが見て取れるかと思います。この矢印は30以上あるものしか表示されていませんから、当然30本未満で存在していることは考えれますが、少なくとも記事の趣旨として無視できるレベルと判断されているのは確かでしょう。改めて言いいますが、この記事ではメルトから「歌ってみた」への派生は一切取り扱われていないのです。除外されているかどうかなんて当然わかりませんよ。細かな集計方法が全て書かれているわけではありませんからね。ただ、この記事が「歌ってみた」「演奏してみた」への派生は扱っておらず、メルトから「歌ってみた」「演奏してみた」への派生のを説明するためには何の役にも立たないのは明らかな事実です。
「出典元の著者は除外したとも除外していないとも書いていません。」その通りです。しかし、これは出典として使うべきでないことの理由になるでしょう。--アト 2009年3月13日 (金) 00:51 (UTC)[返信]
追記。とりあえずSupercell (アルバム)‎からは該当部分は除去させていただきます。該当記事ではメルトについては本文でなく表中に書いてあるに過ぎず、また、除外の有無はともかくとしても「歌ってみた」を基本的に含まない「メルト」にとって著しく不利な集計方法のものをわざわざ注釈を使ってまで書く理由は無いでしょう。--アト 2009年3月13日 (金) 01:01 (UTC)[返信]
アトさんは一度冷静になってから、もう一度p121の図6をご覧下さい。確かに「作曲」→「調教」の矢印は存在していませんが、「作曲」→「作画」や「作曲」→「不明」の矢印も存在していないことについて、自分で指摘しておいて不思議に思わなかったのでしょうか。図6に「作曲」→「調教」の矢印が存在しないことは、「メルトから「歌ってみた」への派生は一切取り扱われていない」というアトさんの主張を裏付けるものではありません。他人が資料をよく読んでいないという思い込みに囚われ、それを指摘しようとするあまり、自分が資料をよく読まずに誤った指摘をしてしまうなど、アトさんらしくないミスだと思います。--Kanohara 2009年3月13日 (金) 09:59 (UTC)[返信]
上記はKanoharaさんの意見に対する回答ですから人による「歌ってみた」「演奏してみた」が調教に含まれている可能性という意見を前提としたものです。当然不明に分類されていることもありえなくは無いでしょう。私が言っているのはあくまで記事が取り扱っているかと言うことであって、この数字の中にメルトから歌ってみたへの派生が含まれている可能性を否定しているのではありません。しかし、これは含まれている可能性があると言うだけです。記事自体が初音ミク曲から歌ってみたへの派生を特筆すべきものとして取り上げてはいないし、図を見ても歌ってみたが含まれることを見て取ることは出来ない、そして何よりメルト自体はごく小さく扱われているに過ぎない。にもかかわらずなぜそこまで無理をしてメルトの記事と絡めなければならないのですか。--アト 2009年3月13日 (金) 11:41 (UTC)[返信]
私はあくまでも一貫して「歌ってみた」「演奏してみた」は集計対象となっていないと言っているだけです。集計方法がメルトの派生作品に多く見られる人による「歌ってみた」「演奏してみた」を排除されるものあることはご理解いただけているはずです。この記事は人による「歌ってみた」「演奏してみた」を集計することは目的としていないという言い方をしてもいいかもしれません。メルトの派生を説明するにはこの記事は適していないのです。--アト 2009年3月13日 (金) 11:51 (UTC)[返信]
ユリイカ12月臨時増刊号p121の図6には「作曲」←「調教」の矢印が存在しており、「メルト」←「歌ってみた」の派生がここに含まれている可能性があることについてはご確認頂けたでしょうか。この件は水に流すとして話を進めます。
さて、仮に我々の争点となっている記述が「メルトには多くの関連動画が作られていると言われるが、実際は大したことがない。その根拠はユリイカ別冊のp119の表1である」という内容であるのなら、人間による「歌ってみた」「演奏してみた」の多くが集計対象から外れている可能性は一考に値するかも知れません(ハンデを受けているのは「みくみくにしてあげる」も同じだと思いますが)。ですが、p119の表1で「メルト」の上にいるのは「みくみくにしてあげる」「ロイツマ」「MMD」の三つだけで、この出典は「メルト」がこれらの動画に比肩していることを示すものです。人による「歌ってみた」「演奏してみた」が含まれているか否かは、私としては正直どうでもいいことで、パッケージに書かれている文面「関連動画の再生数が1300万を突破した」という文面でも「関連動画」がどのようなジャンルを指しているのかは示されていません。ただ、メルトと言えば「歌ってみた」の素材として知られている[1]ので、別の出典を添えるなどして何らかの形で言及することは望ましいことだと思います。個人的には、ユリイカ12月臨時増刊号p114-124の出典は、「歌ってみた」だけに留まらない「メルト」の影響力の具体的な大きさを示す出典として相応しいと思いますが、こうして記述を巡って解釈が分かれている以上、もっと執筆者の意図が伝わりやすく、もっと出典に即した書き方であるべきだとは思っています。--Kanohara 2009年3月13日 (金) 15:25 (UTC)[返信]
まず、P121の図6について矢印の方向を見間違えていたことについてお詫びいたします。
さて、ユリイカの記事ですが、これはメルトについては表中で軽く触れられているだけに過ぎず、実際のところメルトにどのような派生動画が存在するかについては全く触れられていません。記事はあくまでも参考文献で証明できる範囲内の内容で無ければなりません。記事の趣旨としては単に作曲の動画が多くのリンクを集める傾向にあることを示すために用いられているだけです。メルトの派生の多さ、多様さについて説明するのが目的であるならばこちらの記事での触れ込みを引用する方がより具体的にメルトについて触れられているため(若干オーバーな表現ではあるものの)、参考文献としてよりふさわしいと考えます。ユリイカの記事は初音ミクというジャンル内での引用の循環を分析する趣旨のものであり、初音ミクから離れていった派生動画を扱うものではない。従って派生動画の類型の全てを扱っているわけではない。初音ミクの編集やみくみくにしてあげる♪【してやんよ】の投稿の際にこのユリイカの記事を参考文献として使用しなかったのもそのあたりの事情を考慮してのことです。それに、ユリイカの記事を参照していてはどうしても「メルトには多くの関連動画が作られていると言われるが、実際は大したことがない。その根拠はユリイカ別冊のp119の表1である」という印象を与える懸念は拭えないかと思います。とりあえず私としてはメルトの派生の多様さを示すのには上記の記事を使用すべきと考えますがいかがでしょうか。--アト 2009年3月13日 (金) 17:02 (UTC)[返信]
有益な出典はどんどん追加すべきだと考えます。アトさんが挙げた出典を使うことには何の異論もありません。ただ、確かに「メルト」に関して多くの関連動画が作られていることは漠然とした実感として知られており、またそれらの関連動画の再生数を1300万であると公称していることは出典があるとしても、初音ミクのオリジナル楽曲を歌ってみたり演奏してみたり、その他様々な形で引用するすることは「メルト」に限らず行われていることでもあります。「メルトが初音ミク関連動画の中でも、特に多くの関連動画が作られている楽曲の一つ」であることを、漠然とした実感ではなく具体的にどの程度凄いことなのか(あるいは凄くないのか)を、他の動画と比較した数値によって示している出典として、ユリイカ別冊p119の表1は説得力のある資料だと考えています。もっとも、こういった具体的な数字を出して作品同士を比較することはファンの感情を左右しやすく、無駄な争いを避けるためという意味では「メルトはみくみくに比べて関連動画数で劣る」と受け取れる資料の扱いには慎重になったほうが良いのかも知れません。
個人的には、該当記事上の「作品の引用が盛んに行われている楽曲の一つ」という箇所の出典に追加する形で、ユリイカ別冊p119を(注釈文は書かずに)参考文献として追加するということで解決としたいと思うのですが、どうでしょうか。--Kanohara 2009年3月14日 (土) 19:00 (UTC)[返信]
出典の一つとして加えることには賛成です。より理解を深めたいと考え参考文献をたどる読者のためには異なる観点の資料を併記することも意義があることでしょうし。--アト 2009年3月14日 (土) 19:54 (UTC)[返信]

(インデント戻します)では、ひとまず我々二人の間では合意に至ったものとして、supercell (アルバム)の記事には、p119に限定する形でユリイカ別冊に関する出典を復活させました。私としてはこれで解決に至ったものと考えますが、該当記事について更に文面の推敲を重ねる場合や、他の方などから異論があった場合など、これ以上記事の内容に踏み込んだ話になる場合はノート:Supercell (アルバム)の方で話し合いを行いたいと思います。また、今回のこと以外で私の編集姿勢に対して苦言や提言がある場合は、新たなセクションを立てて行うようお願いします。--Kanohara 2009年3月14日 (土) 20:32 (UTC)[返信]

編集ミスフォローのお礼

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高徳院編集で出典を付記した際に出典節がなかったことを見落としていたのをフォローしていただきありがとうございました。そこそこのボリュームがある記事なのでこれまで全く出典が無かったと思いませんでしたが、日本語版ではままあることで驚くよう様なことでもないのが悲しい現実ですかね。--ドンアイルボン 2009年5月6日 (水) 14:06 (UTC)[返信]

こちらこそ、普段関わっていない記事で出過ぎた真似をして恐縮です。たまたま調べ物をするために該当記事を読んでいたところエラーが出ているのに気がついたので、修正させて頂きました。--Kanohara 2009年5月6日 (水) 14:35 (UTC)[返信]

神無月・京四朗の件にて

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Kanohara さんはじめまして。四ギコと申します。 最近離れていたのですがノートなどがえらい事になっていたのであわてて戻ってきました。 それとわたしの言いたいことを論理としてまとめて頂きありがとうございます。それと合意などに向けてすいませんがもう少し協議に参加していただければ助かります。--四ギコ 2009年5月25日 (月) 14:23 (UTC)[返信]

ご足労ありがとうございます。私としてはまあ、今回のことでは恐らく四ギコさんとも相容れない部分もあると考えられ、過度に馴れ合うつもりというのもないのですが、状況が状況だけに合意形成に向けてはより多くの参加者が求められると感じています。議論についてはもうしばらく様子を見ながらも参加する予定でいます。--Kanohara 2009年5月25日 (月) 16:10 (UTC)[返信]

要約欄での記入について

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こんにちは。本文および要約欄でのご記入投稿はできる限り丁寧な言葉でお願い申し上げます。こうした投稿も、場合によっては荒らし投稿とみなされるおそれがあります。もしテスト投稿がしたければ、テスト専用ページWikipedia:サンドボックスの使用をおすすめします。このほか便利な機能をいろいろ紹介するガイドブックもご参照ください。あなたのウィキペディア・ライフが充実したものでありますように。--~~〜〜以上の署名の無いコメントは、119.239.245.93会話/whois)さんが[2009年7月4日 (土) 14:49 (UTC)]に投稿したものです(Kanoharaによる付記)。[返信]

ご忠言ありがとうございます。留意したいと思います。なお、119.239.245.93さんが発言した#いい加減にしてください(『Supercell (アルバム)』の編集内容について)の節は既に終了した議題であるため、119.239.245.93さんの発言はこちらに移動させて頂きました。
さて、119.239.245.93さんが『Supercell (アルバム)』の編集内容に関する節に発言を投稿したことや、その節での対話相手であるアトさんの会話ページに同様の文章が投稿されている様子であることから、119.239.245.93さんの苦言は恐らくSupercell (アルバム)もしくは初音ミク関係での投稿に関するもので、編集合戦に近い状態になった状況での、要約欄での断定口調や、ノートに持ち込むべき議題を要約欄で行っていることなどを咎めているのではないかと想像しますが、正直なところ119.239.245.93さんの真意を汲めているかどうが自信がありません。後学のためにも具体的にどのあたりの投稿が問題だと感じたのかを指摘して頂けると助かるのですが。--Kanohara 2009年7月4日 (土) 19:00 (UTC)[返信]

「けいおん!」の反響に関する記述について

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確かにプロジェクト上では冒頭部に反響等を書くことが求められてはいます。ですが、本件は漫画自体と言うよりも、アニメ化されて以後の反響があまりにも多すぎるため、アニメの節に儲けた方がいいと判断しました。もっとも、今回貴方が誘導のリンクを貼られた形でいいと思います。ですが、他の作品でもメディアミックス展開がなされた場合、このようなケースが今後増えるでしょうし、その点は柔軟に検討されるよう、ご勘案願いたいと思います。場合によっては、関連する複数のプロジェクトでその取り扱いをどうするか協議する必要があるのではないでしょうか。--Tmatsu 2009年7月8日 (水) 17:35 (UTC)[返信]

ご意見ありがとうございます。ただ記事の冒頭部に関してはウィキプロジェクト 漫画に限ったことではなく、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#概要文でも、概要の節は「記事の要点を示し、記事の主題がなぜ重要であるのかを示す」節であると説明されており、漫画以外のウィキプロジェクト、
でも、作品の社会的影響は冒頭文もしくはその直後の概要節に書くという方針になっているようです。これらのガイドラインを読む限り、その作品から派生したメディア展開で大きな反響があった場合は、やはり記事全体の導入となる概要節で触れるべきだと解釈しています。実際のところは多くのサブカルチャー記事で無視されていますが、個人的には理に適ったフォーマットに感じられ、Wikipediaが「百科事典」を目指すためにはなるべく取り入れるべき方針だと考えています。まあ、漫画、アニメ、ノベライズ、ゲームそれぞれで大きな社会的影響があったような作品や、作品の社会的影響が広範囲に及んでいるような作品の場合、全てを概要節に書ききれず、何を筆頭に取り上げればよいのか意見が分かれることはあるでしょう。そのような場合は柔軟に対応しなければならないというのは仰る通りだと考えます。--Kanohara 2009年7月8日 (水) 20:13 (UTC)[返信]

ノート:かなめもの件

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こんにちは、ish-kaです。ノート:かなめもで返答するか迷ったんですが、本筋から外れそうなのでお邪魔します(かなめもに限った話じゃないと思うし)。

(特にサブカルチャー分野においては)「本編」を「一次資料」として扱うのはちょっとどうかなあ、と思います。実際問題、WP:NORの一次資料としてどういったものを扱うか、というリスト内に「本編」はありません。あくまで「記述対象についての」「情報やデータ」を提供するもの=一次資料という等式で考えるべきではないかなと。これは、たとえば、「アニメ本編についての公式ホームページ」などが相当すると思います。

ちなみに、「これ脚注であって出典じゃないよね?」については、まんまそのとおりの意味です。「脚注」は注釈を含みます(たとえば、こんな感じに。……って部分が脚注でしょう)が、「出典」は「その記述の元となった文章が存在するソースを示す」ということですから、これは明確に違います。「書いてあることの『脚注』であって、書いてあることの『出典』じゃないよね?『出典』だとしたら、『本編を一次資料として扱って出典にする』のはまずかろうよ」というのが文意になるかと思います。ちなみに、意味的には「(出典=資料=参考)≠脚注」かな。

「ちなみに」以降は蛇足ですが、こんな感じでしょうか。

ここからさらに蛇足。「本編=一次資料」はちょっとどうか、と言っておきながらなんですが、そういう記述があったとして、その記述を積極的に取り除くか、と言われると、それは俺はやらないです(やる人はいると思う。Konoharaさんもおっしゃってるとおり、独自研究のおそれ、といって除去しようとする人はいる)。ただ、「本編から抜き出すのではなくて、それについて言及された資料に換えてくれ」ということはあります。「項目の整理を行うのならば、そのあたりも手を加えてもらえればいいんじゃないかな」と言っていますが、このことです。少なくともかなめもについては、本編に頼らなくても、参考資料くらい本屋に行けばいくらでも手に入るだろうし。--ish-ka [email protected]! (talk/wikimail/contributions)2009年7月13日 (月) 07:38 (UTC)[返信]

ish-kaさんが例示された「WP:NOR#一次資料と二次資料」には、一次資料の例として「映画」が含まれています。ish-kaさんはこれを「記事の言及対象について扱ったドキュメンタリー映画」のような意味に解釈しているのかも知れませんが、私はフィクションの娯楽映画のようなものも含まれていると考えており、漫画本編も「……といった、情報」の範囲に分類されるものと解釈しています。その点ではish-kaさんとは単語の解釈を異にしているようですね。一次資料(一次情報源)の定義については「Wikipedia:信頼できる情報源#情報源」もご覧頂ければと思いますが、個人的には漫画本編は、一次情報源として定義される「ある事柄の状態について直接の証拠となるドキュメント」に含まれるものだと考えます。少なくとも、私がWikipediaにおいてフィクションを取り扱っている各種議論を見聞きしてきた範囲では、「作品本編=一次資料」という定義は浸透しているものという印象を受け取っています。
漫画本編を「一次資料」と定義した上で、そのような一次資料を使用することに対して賛否があることはよく承知しています。かつては「一次資料(作品本編)に基づいた情報はWikipediaに載せるべきではない」という意見がWikipediaを牽引していた時期があり、その後も大きな方針の転換が繰り返され、現在も活発な議論が継続中であるようです。
私自身の一次資料に対するスタンスは「ノート:かなめも#これは出典じゃないよね?」にも書きましたが、まあ一次資料における解釈の分かれるような内容に編集者独自の見解を加えたり、感想を書いたりするような編集はNGであるとしても、作中で事実として扱われている内容については、作品本編を「出典」として使ってよいと考えています。ただし、作中で多くの謎が提示されたり、信頼できない語り手が登場する作品の場合や、台詞ではなく表情や仕草によって登場人物の心情などが表現され解釈の余地が残されるような作品、しばしば作品解釈を巡って編集合戦が行われているような面倒な記事については、積極的に二次資料を使うのが望ましとも考えています。
なお、「かなめも」の記事における脚注節は「注釈」ではなく「出典」に属するものだと考えていますが、あちらのノートで述べたように、この作品についてはさほど詳しくないので、出典に基づいた記述が正確なのか否かは判断を控えます。--Kanohara 2009年7月13日 (月) 20:02 (UTC)[返信]
特に述べられていますので、それにあわせると、「一次資料で、映画・ビデオ(つまり映像)に属するもの」というのは、例えば「ある物理現象があって、その現象が収められた映像(難しく考えなくても、NHKの映像ライブラリーとか)」といったようなものをあらわすと考えます。記述対象は記述対象であって、どこまで行っても一次資料にはなりえない、という解釈をしています(つまり、「かなめも」という漫画作品が記述対象であって、そのコミックスは「かなめも」である以上、どこまで行っても「記述対象」であって「一次資料ではありえない」という解釈です)。だもんで、「私がWikipediaにおいてフィクションを取り扱っている各種議論を見聞きしてきた範囲では、「作品本編=一次資料」という定義は浸透しているものという印象を受け取っています。」というのも知っていますが、「その定義、それはちょっとどうなのよ?」と思っている、というところです。実際下書きレベルで、本編から抜き出してひとつの記事を構成したこともありますが、「客観的に見てみるとどっからみても独自研究にしか見えなかった」とか、「これが許されるなら、きっと本編から抜き出しでいくらでもどうとでも(執筆者主観で)書けてしまうだろうと考えてゾッとした」っていう経験もあったりするんですよ。書いた本人ですらそうなのに、それを知らない人が見たら何をか言わんやだろう、と。そういう経験もあるので、「解釈の余地が残る・分かれる作品」でなくとも、二次資料を使うべきで、さらに言えば、作品本体を一次資料として使うべきではないと考えている(そして、方針文書のひとつの解釈として、それは間違いではない)、と思っていただければ、大体あっています。
このあたり解釈の問題だと思うので、例えば俺のほうから(もしくは誰かが)「これは絶対に出典になりえん!削除だ削除!」などと強弁しないかぎり衝突したりしないと思うんですけど、とはいえ、「本編から抜き出すのではなくて、それについて言及された資料に換えてくれ」というのは必要なわけで。それがあの節だと考えていただければよいんだろうと思います。--ish-ka [email protected]! (talk/wikimail/contributions)2009年7月14日 (火) 00:35 (UTC)[返信]
作品本編は記述対象であって資料と言い表せるものではない、というish-kaさんの解釈はよく分かりましたが、私は異なる解釈をしています。例えば、まだ漫画の作者にとって構想中の出来事でしかない、あるいは原稿段階にある未発表の作品における作品世界内で登場人物が見聞きしたことは、ish-kaさんの仰る「ある物理現象」と同等の、「一次資料には為り得ない記述対象」であると言えるかも知れません。ですがその架空の出来事が、著名な出版社を通じて印刷物と言う形で写し取られ、書籍という形で発表されれば、その出版物は「一次資料」と見なせるだろうと解釈しています。
まあいずれにせよ、個人的には、ish-kaさんが「記述対象」と表現しているものは、Wikipedia上でフィクションを扱う議論において「一次資料」「一次情報源」と呼称されているものの同意語で、私とish-kaさんの見解の違いは語彙の選び方の違いでしかないという印象を持っています。ish-kaさんが仰る「一次資料(=作品本編、記述対象)から抜き出しで幾らでも執筆者主観で書けてしまう」「二次資料があるならそれを使うのが望ましい」「一次資料であるからと言って記事から排除することはないが、一次資料(=作品本編、記述対象)だけを出典として使うことは好ましくないので、それについて言及された二次資料に換えていくべき」といった趣旨の意見については、我々の間であまり大きな認識の違いはないようです。
個人的には「作品本編=一次資料」と定義してしまったほうが、作品本編を出典として使ってはいけない状況を「Wikipedia:検証可能性」「Wikipedia:信頼できる情報源」に照らし合わせて判断することができ、グレーゾーンに置いておくよりは合理的だと考えます。もしその解釈に異論があり、私個人ではなくWikipedia全体における意識を変えていきたいとish-kaさんが考えておられるなら、今のうちに「Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)」におけるノートでの議論に参加して、ish-kaさんの解釈を広く訴えていくべきかと存じます。--Kanohara 2009年7月14日 (火) 06:56 (UTC)[返信]
ふむう。俺としては「決定的に解釈がちがう」と感じるのですが、ただ、最終的な部分(「一次資料(=作品本編、記述対象)から抜き出しで幾らでも執筆者主観で書けてしまう」「二次資料があるならそれを使うのが望ましい」「一次資料であるからと言って記事から排除することはないが、一次資料(=作品本編、記述対象)だけを出典として使うことは好ましくないので、それについて言及された二次資料に換えていくべき」)については、一致してるんですよねえ。これはこれで面白いというか不思議。たぶん、「一次資料として扱えない」とすると「独自研究」の線で考えられて、「一次資料として扱える」としても「二次資料を使ってくれ」という線で考えられるから、結果として「原作(一次資料)からの記述を排除できる」ということになるんだろうなあ。
まあ、最終的な部分があってれば、元々の解釈が違ったところでかまわんと思う(というか、そんなとこまですり合わせる必要がない)んで、そこが問題にならないなら(早々ないはず)、確かに細かい話なのかも。個人的には「作品本編は記述対象であって資料と言い表せるものではない、というish-kaさんの解釈はよく分かりました」ということですんで、そういう解釈もあるってのが伝えられればOKです。
Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)含め、「なるほどそうね」っていう部分も多々あって、勉強になりました。お付き合いいただいてありがとうございます。--ish-ka [email protected]! (talk/wikimail/contributions)2009年7月14日 (火) 08:22 (UTC)[返信]
超蛇足。またしても解釈の問題なので賛同をいただく必要はないです。
「記述対象」という語句の話ですが、「項目が扱っている対象」のことです。今回の場合、「かなめもという作品群(コミックス・アニメその他の、いわゆる作品本編)」が「記述対象」ですね。ですので、脚注の項にあげられていた内容は「一次資料からの出典」ではなく、「項目が扱っている対象からの抜き出し=独自研究」と解釈しています。この場合、一次資料となるのは「アニメの公式ホームページ」などで、二次資料となるのは「各種アニメ雑誌の記述」と解釈します。
Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)の視点(Kanoharaさんの視点にも近いと思いますが、あってます?)から行くと、「かなめもという世界(観)・設定・プロットなど」が「記述対象」で、それが描かれた「コミックス」や「アニメ」は一次資料、それに言及している(公式ホームページや各種アニメ雑誌)のが二次資料、ということになるのかな。
こうして考えてみると、着地点が同じになるのは、まあ当然といえば当然のような気もしますね。現状についても、まあ後者の方があっている気もします(枠組みとしてはちょっと緩い、というか枠が大きい)。書き手としては、その大きい枠に甘えちゃいかんなあと思いつつ。これがガイドラインになるなら、書き手としては非常に楽です、実は。どっちかっつーと、怠惰な方向で。以上蛇足でした。--ish-ka [email protected]! (talk/wikimail/contributions)2009年7月14日 (火) 08:51 (UTC)[返信]
私の解釈については、概ねその通りです。個人的には、「出典」や「資料」というのは、広く公開されており読者や執筆者が誰でも入手可能で、記事に書く上で参考になるものという程度の緩い意味で受け取っており、出版された漫画はこれに当てはまると考えています。逆に言えば、例えばこれが公開停止どころか作品が存在していた痕跡すら抹消されようとしている「悪魔と俺 汁だく」のような漫画作品となると、参照可能な「一次資料」が存在しない状態となるため、作品本編を出典として記事を書くことは無理だろうと考えています。そのような作品の記事では、報道機関などを通じて発表された二次資料のみを用いて記事を書くことになるのでしょう。--Kanohara 2009年7月14日 (火) 10:27 (UTC)[返信]

出典の転用

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こんばんは(またはこんにちは)、t-forcesです。この度、KanoharaさんがGA 芸術科アートデザインクラスで行われました評価に関する出典先を拝見したところ、同作連載誌のまんがタイムきららCarat女性に人気があるという短いながらも有益な情報が目に入りました。早速、そのあたりの加筆を考えたのですが、他人(ひと)がせっかく見つけてきた出典を丸ごと流用するのもなんだか…という気も少しありまして、Kanoharaさんに先述の出典とともに女性から人気について執筆して頂けないかとお願いに来ました。 ---t-forces 2009年7月18日 (土) 18:59 (UTC)[返信]

これはどうも。わざわざ足を運んで頂いたことは感謝しますが、正直なところまんがタイムきららCaratに関してはそれほど詳しくはないので、できればもっと詳しい方に加筆して頂いた方がよいのではないかと存じます。私の利用者ページに{{User Publicdomain}}が貼ってあるように、あまり履歴に自分の名前を残すことにはこだわりがありません。もちろん真に評価されるのは、信頼できる媒体で作品の評価を書いて下さった新聞記事の執筆者の方であるのは言うまでもありません。
毎日.jpの記事における「まんがタイムきらら」関係の記事だけでも他に幾つかの記事(と言っても「ひだまり」「けいおん」の記事がほとんどですが)がありますが、自分が詳しく知っていて執筆意欲のある記事に加筆するのが手一杯で、興味を引く記事を見かけてもなかなか加筆できないでいるのが実状です。この件に限らず、私の追加した出典に私が取りこぼした有益な情報がありましたら、どんどん追加していって下されば幸いです。--Kanohara 2009年7月18日 (土) 21:14 (UTC)[返信]
お返事ありがとうございます。Kanoharaさんのお返事を受けまして、先述の出典を流用させて頂きました。まんがタイムきららCaratまんがタイムきららで加筆してみましたが、ほとんど後から詳しい方が徐々に地ならししてくれれば…という他力本願な感じで書いてみました(投げやりっぽいですが、私も『まんがタイムきらら』系雑誌の評価云々は詳しくないので) 。 ---t-forces 2009年7月19日 (日) 06:56 (UTC)[返信]
拝見しました。t-forcesさんの方で示された出典については初耳だったのですが、一見すると矛盾したデータを示す出典があるというのは興味深いですね。広く出典を当たって中立的な観点から書いてくださる熱意のある方に任せて良かったと思っています。--Kanohara 2009年7月19日 (日) 08:58 (UTC)[返信]

貴殿の行動について

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貴殿のように明確に提言提案されることはすばらしいと思う。しかし貴殿の提言を見るに、文章が長く演説のようになっている嫌いがある。できることならば、簡潔かつ明確にまとめていただけるよう願いたい。もしくは長く訴えたいほどWikipediaに対して情熱を燃やされるのであれば、管理者に立候補されてはいかがだろうか。是非とも管理者に名乗りを上げられることを期待したい。以上の2点検討いただければと思う。今後も貴殿の活躍を願う。ぶしつけな文章失礼。--113.152.76.115 2009年7月23日 (木) 12:19 (UTC)[返信]

ご忠告ありがとうございます。記事に何かを加筆を行う場合にも通じるものがありますが、意見の異なる相手に自分の主張を伝える場合、その根拠がうまく伝わらなければ言葉を重ねる意味がありませんが、それを短くかつ伝わるように書くことはなかなか難しいものがありますね。なお、最近はたまたま時間があるので精力的に活動していますが、管理者となると現在のように「マイペースに、やる気がある時だけ投稿」という姿勢で続けることが難しくなるので、その予定はありません。--Kanohara 2009年7月23日 (木) 14:53 (UTC)[返信]

あなたの出典の明記方法に関する議論について。

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あなたの仰る所によれば、あなたはWikipediaにおいて漫画などの内容について記述する際、「独自研究でないこと」「著作権違反にならないこと」の二つの問題が起きないように非常に気を使っておられるようです。そのために、あなたは記述に出典を明記することで問題を回避しようとしておられます。その際のスタンスとして、『一文に多くの出典がついている場合については、ケースバイケースかと。どうしても複数の出典の列挙が必要になるような記述もあります。指摘の箇所の場合は、以前からあった記述に出典を追加したものと見受けますが、「○○な場面は覚えてるけど、××な場面なんてあったっけ?」という疑問を持った執筆者との編集合戦に予防線を張る意味でも有効かと感じました。また、作中で約束事のように繰り返されており、議論の余地のない事実については、個人的には出典は不要と考えますが、連載・単行本・アニメ化などで執筆者の情報量に差がある作品で、作品の後半になるにつれて頻出してくるような設定の場合だと、自分が自明の理だと思っていた記述を消されてしまったり、取るに足りない記述だと思い込んでうっかり消してしまったりといった経験もあります。また、台詞などの作中表現を根拠として執筆を行う場合に、文章の一部が一致してしまうと、前述のように著作権侵害が指摘される場合もあります。』(ノート:かなめもでのKanohara氏の発言より)などを考慮して出典の明記のさじ加減を行っておられます。しかし、それはあなた個人の根拠によるさじ加減ではないでしょうか?例えば、「Aは明るい性格である」「Bの生年月日は○月△日」「CとDは付き合っている」「Eという登場人物が存在する(多くの場合名前だけでこの文意を表しますが)」などの記述を記述する際、どの記述には著作権法違反の可能性があるから出典を明記し、どの記述には今後の議論を回避するために出典を明記する、あるいはしない、といった判断をすべてあなたが個人で判断しておられます。あなたが今までに提示されてきた出典の明記をすべきという根拠はすべて別の個々の事案についての結果に過ぎず、問題となっていない段階ではただの今後の可能性に過ぎません。すべての記述にすべて出典の明記がされていないあなたの行動の現状から見ると、今後の可能性を排除するかしないかの判断をあなたが個人の基準でしておられるとしか考えられません。あなたの行動は守るべきルールを参考にしておられるかもしれませんが、その行動は特定のWikipediaのルールがあなた、あるいはほかの執筆者のに対して強制している行動ではありません、であるからこそ、あなたのさじ加減が存在しているのです。そして、今回のように執筆者間で表現方法に差異があった場合には執筆者間での話し合いと合意が推奨されます。現段階において、あなたはあなたの出典の明記方法に対して、多くの他の執筆者の方が懐疑的な考えを持っておられるということをよく考えられてはいかがでしょうか。--122.102.247.88 2009年7月28日 (火) 19:31 (UTC)[返信]

私も可能であれば、なるべく多くの記事に記述の根拠となる出典をつけて回りたいのですが、出典を明示する作業はたいへん労力や、書籍文献を集めるための出費がかかるため、なかなか手が出せないのが実状です。私が匙加減で出典をつけるかつけないかを選んでいるように見えるのであれば、それは単なる私の努力不足です。その意味で、かなめもの記事に、自分で加筆した内容以外にも膨大な出典を追加して下さったT-ASL921 forcesさんの労力は賞賛されるものだと考えています。
ノート:かなめも」やこの利用者ページでの出典を巡る議論は、どうやら2ちゃんねる掲示板のウィキペディア関連スレッドでも注目を集めてしまったらしく[2][3]、少し経ってからこのことに気がついて恐々としています。スレッドの方は怖いのであまり詳しく見ていませんが、趣味一般板の方ではかなめものノートでの議論に劣らぬ賛否両論の意見が交わされていた様子でした。この手の議論は以前からヒートアップしやすく、昨晩もちょっと調べものをしていたら、過去において「勇者王ガオガイガー」の記事に貼られた多数の{{要出典}}を巡ってノートで壮絶な議論が行われ、その結果賛否の立場から議論に加わった複数の論者が長期間ないし無期限の投稿ブロックとなったという事例に行き当たりました。
自分の場合、余程眉唾な記述に思えるような内容でない限りは{{要出典}}を乱用しないようにしていますが、ある日突然現れて、常識とも思えるような記述にまで{{要出典}}を貼っていき、一週間以内に出典が示されなければ問答無用で削除する、といった編集を行う人は少なくありません。このような行為に対してノートの合意や暗黙の了解などは無力です。最近だと私も「主人公」に貼られた大量の要出典を何とかしようと躍起になっているのですが、力及ばず歯がゆい思いをしています。
自分が執筆に関わった記事をこういった議論に巻き込みたくはありませんし、そのためにも可能な限り出典は必要だと感じています。出典が追加されていない記述は、単によい形で出典を示せなかった私の努力不足か、あるいは「まさかこの記述に文句をつけて来る執筆者はいないだろうから、大丈夫」という「匙加減」によるものかも知れませんが、私はそれらの記述に別の誰かが出典を加えることを否定しません。執筆者による匙加減が存在していることは、出典を剥がしてよいとする根拠にはならないと考えます。--Kanohara 2009年7月29日 (水) 01:21 (UTC)[返信]
なお、それでも私の発言内容や編集態度などに問題があるとお考えであれば、Wikipedia:コメント依頼などで意見を広く求めていただければと思います。--Kanohara 2009年7月29日 (水) 01:41 (UTC)[返信]

GA劇中のアレ

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どうも、t-forcesです。先程、GA 芸術科アートデザインクラスでのKanoharaさんの編集を偶々お見かけしたのですが、「色彩戦隊イロドルンジャー」に関しては、私ももう少し何かできないかと思いつつも行動に移れずにいたので、この度、Kanoharaさんのほうでそれらを含め上手くまとめて下さったことで、とても気がスッキリしました。大それた用件でもないのですが、時刻が時刻ゆえ気分が良くなったのか失礼ながらもお邪魔してしまいました(すみません)。今後も同記事またそれに限らず、どうぞよろしくお願いしたします。失礼します。 ---t-forces 2009年9月15日 (火) 20:28 (UTC)[返信]

どうも。「色彩戦隊~」は原作では小さな扱いで、しかしアニメ版では無視できない存在でもあり、いずれにせよ作品世界からはやや浮いた存在でもあるので、私も何とかできないかと考えていました。まあ、節を分けて記述することで、説明を追加しつつ残すのは妥当だったと考えていますが、他の一度きりの劇中劇(黒いポスカラの話や紙芝居のエピソード、トモカネの夢の話、または『火星ロボ大決戦!』の1コマ客演など)まで追加すると過剰だと思うので、その辺りは他の執筆者の方の匙加減に期待します。ここ数週ほど同記事からは遠ざかり気味であったのですが、時間が取れればまた執筆や推敲に参加する予定でいます。その時はよろしくお願いします。--Kanohara 2009年9月16日 (水) 06:41 (UTC)[返信]

括弧付きのリダイレクトに付いて

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目蒲東急之介です。さて朝日岳 (那須岳)那須岳にリダイレクトされていましたが、Wikipedia:リダイレクトでは括弧付きのリダイレクトを作成しない事になっております。以後は括弧付きのリダイレクトを作成しない様によろしくお願い申し上げます。今後もより良い記事のご執筆に期待しております。--目蒲東急之介 2009年9月30日 (水) 16:43 (UTC)[返信]

そうでしたね。余笹川などからリンクされているのを見かけたので、需要があるのだろうと思ってリダイレクトとしたのですが、そのことを失念していました。那須岳の記事には既に朝日岳の画像が何枚も掲載されており、その気になれば記事化することもできるのでしょうけれど、山岳のことにあまり詳しくない私が書いてもスタブ未満にしかならないでしょうし、(個人的な思い入れを別にすれば)那須岳の記事から独立させる程の特筆性がある峰とも思えないので、当面の間は朝日岳朝日岳 (那須岳)へのリンクを那須岳へ張り替えることで対処した方が良さそうです。お手数をかけました。--Kanohara 2009年9月30日 (水) 17:06 (UTC)[返信]
とんでもないです。ご理解して頂いた事に深く感謝します。--目蒲東急之介 2009年9月30日 (水) 17:16 (UTC)[返信]

塩原温泉郷

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あなたは塩原温泉郷を今年に入って何度か編集されていますが、本項は初版から「塩原温泉について」での記述と同一の表現の投稿が繰り返されており、記事自体が削除され、あなたのせっかくの編集が水泡に帰する可能性もあります。--동아 일본 2009年11月2日 (月) 04:17 (UTC)[返信]

お知らせありがとうございます。塩原温泉郷塩原温泉公式ページの記述の類似については、以前私のほうでも個人的に調べたことがあるのですが、インターネット・アーカイブの記録を見る限り、ウィキペディアの方がオリジナルであり塩原温泉公式ページの方がウィキペディアからの転載であろうと考えています。詳しくはノート:塩原温泉郷#塩原温泉郷公式ホームページとの表現の同一性の方に書いておきましたが、ウィキペディアの記述の側を著作権侵害で削除する必要はないだろうと考えています。--Kanohara 2009年11月2日 (月) 07:26 (UTC)[返信]


ちょっと一言

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Wikipedia‐ノート:キャラクターの記述に対するガイドラインでの主張ですが、作品の本質を執筆者の私見で決めるのは「独自研究」です。例に挙がっている『とらドラ!』に限って言っても『とらドラ!』が「登場人物ごとに細分化されたエピソードが作品の本質」とは当方には思えません。また、宮台真司の寄稿文にKanoharaさんが『なるほどと頷ける部分』があったからと言って、それを一般論のように扱うのも間違いだと考えます。それと、上の方でノート:かなめも(というより出典・注釈の付け方)に関して何か言われているようですね。こちらの件に関してはプロジェクトで指針を示して欲しいと依頼しておきました。--駄ニメ 2009年11月10日 (火) 01:21 (UTC)[返信]

Wikipedia‐ノート:キャラクターの記述に対するガイドラインでの主張に対する反論であれば、そちらのノートページの議論に書いて頂ければと思います。なお、作品記事において何を記載すべきで何を記載すべきでないかを判断することは、確かに執筆者の私見に頼るところが多いものがありますが、私見に基づいて情報を整理することは、ウィキペディアで禁じられている独自研究に当たらないと考えます。自分が作品の本質であり特記に値すると考えることは、出典が示され他の編集者との衝突がなければ自由に書いてもよいのです。これについては以下の記述をご覧下さい。
なお、現存する一次資料や二次資料から情報を集めて整理する調査は、もちろん強く奨励されています。そうした記述は「独自の研究」には当たりません—それは「情報源に基づいた調査」であり、百科事典の執筆の基本です。 — Wikipedia:独自研究は載せない
とらドラ!』に関しては、議論の相手であるIPユーザー氏とは以前「ノート:とらドラ!」で同じ議題について話し合ったことを示しただけであり、今回の議論では例示として挙げたわけではありません。なお『とらドラ!』において登場人物同士の複雑な人間関係が主要な特徴となっていることについては私論や独自研究ではなく、駄ニメさんが差し戻しによって編集除去した部分で示されていた外部の出典で言及されていることです。駄ニメさんがそう思わないというのであれば、「とらドラ!においては登場人物ごとのエピソードは重要視されていない」と評されている出典を示して、記事に書き加えれば宜しいかと思います。
かなめも』の件は、私が編集に参加していた「初音ミク」や「機動戦士ガンダム00の登場人物」における刹那・F・セイエイの項目と比べると、それほど多いとは感じず、また脚注の多用はウィキペディアのルールに従えば是であると考えますが、その理想を突き詰めると結果文章が読みづらくなってしまうという現実があり、ウィキペディアの構造に根ざす根深い問題であると考えています。これに関しては一応、ログインユーザーであれば個人が「Help:外装の詳細設定」に従って、以下のようなユーザースタイルシートを個人設定に追加することによって、記事中にある脚注表示のすべてを非表示にすることが可能です。
sup.reference {  display: none; } 
どうしても脚注が目障りであるという方は、これを試してみることをお勧めします。これをもっと推し進めて、クリック一発で脚注を非表示にするような機能が個人設定に実装されれば、今回のようなことは穏便に解決するかも知れません。--Kanohara 2009年11月10日 (火) 08:48 (UTC)[返信]
どうも。お世話様です。噛み合わないのは分かっていますので見解の相違について議論するつもりはありません。単に「あなたとは違う意見もある」という事を知って欲しかっただけです。それと、「とらドラ!」に関してですが、毎日jpの記事の事でしょうか? だとすると、ネット新聞の単なる新作アニメ紹介記事を元にして記述するのは止めた方が良いです。出典があれば何でも書いて良い訳ではありません。公式情報ではない情報は、ちゃんと他に同様の事が書いてある出典を見付け、複数のソースで確認してから「○○○が主要な特徴」と書くのが良いでしょう。
項目の主題が参考文献に入るかどうか?については井戸端会議に質問しておきました。--駄ニメ 2009年11月11日 (水) 01:56 (UTC)[返信]
違う意見があることを述べたいのであれば、ここではなく議論が行われている該当のノートなどで述べてくださればと思います。
さて「新聞記事を元にして作品記事を記述するのは止めた方が良い」という意見ですが、私はそうは思いません。特に作品の評価に関する場合、製作者側から発表された「公式情報」は自己宣伝である可能性もあり、例えば「全米が泣いた」のような宣伝文句を事実であるかのように書くことには問題があります。「Wikipedia:信頼できる情報源」における「情報源の評価」「オンラインや自己公表された情報源を使うこと」もご覧下さい。フィクションの記事においては個人サイトやブログ、掲示板の類を出典とすることは認められていませんが、評論家による評価や分析などは役立つ情報の典型例とされています。新聞の紹介記事などは信頼できる情報であると考えます。
なお、『とらドラ!』に関しては、記述の根拠となる出典は一つだけではなく複数を挙げたつもりです。まあ、その議論はノート:とらドラ!の方にお願いします。--Kanohara 2009年11月11日 (水) 12:55 (UTC)[返信]
どうもご理解いただけていないようですが、Kanoharaさんの編集姿勢に関する話で、各個の議論の話ではありません。
『「新聞記事を元にして作品記事を記述するのは止めた方が良い」という意見』とは何の事でしょうか? 当方は「ネット新聞の単なる紹介記事」を元にした記述はしない方がよい、と書いたのですが。紹介記事は出版元から配付される資料(プレスリリース?)を基に、単純に紹介を目的に書かれていますので作品の評価でもなんでもありません。「こういう内容である」と書くのであれば、出版元の公式資料か複数のソースで確認できる事を書くべきです(Wikipedia:信頼できる情報源#複数の情報源を確認する)。また、公式発表が自己宣伝であるかどうかをウィキペディアの執筆参加者が判断する必要はありませんし、事実かどうかを判断するのはやってはいけない事です(Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」)。(ネット記事の全般を「元にしない方がよい」と言っているのではなく、ネット記事でも誰が書いた批評・評論かが分かれば、何も問題はないと考えます。記名のない批評・評論は、ウィキペディアにわざわざ取り上げる価値はないでしょう。)
出典の提示の仕方にも問題があります。とらドラ!で言えば、記述の一部にいちいち注釈を付けず、「毎日jp.のまんたんウェブによれば云々」と書けばいいのです。自分の意見と対立する相手への反論のためではなく、単なるいち執筆者としてWikipedia:出典を明記するをもう少し読んだ方がよいのではないでしょうか?--駄ニメ 2009年11月12日 (木) 01:05 (UTC)[返信]
私は、ちゃんとした企業名が明示されているネットニュースは、「記名のない批評・評論」などではないと考えます。無責任な一個人の発言ではなく、新聞社の名を背負って発表されたきちんとした作品評であるのだから、それが作品出版社から配布される資料を基にしていようがいまいが「ある人やグループがある意見を表明したということが検証可能な事実」であると考えます。重要なのは事実かどうかよりも検証可能かどうかです。駄ニメさんの表現をお借りすれば、ネット新聞の紹介記事が出版元のプレスリリースに基づく情報であるかどうかをウィキペディアの執筆参加者が判断する必要はないということです。また、公式な情報として発表された「全米が泣いた」「感動超大作」のような宣伝が自己宣伝であることは自明であり、個々の編集者が判断する余地などないと考えます。
出典の提示の仕方については、どちらの方法でも脚注を参照すればわかることであり、「Help:脚注#スタイルと用法」などに照らしても何ら問題がないと考えます。駄ニメさんは今までの標準名前空間への編集全てを拝見したところ、少なくとも現在のログインネームでは、他記事からの転記を除いて脚注を一切使わないというスタイルを貫いておられるようですが、個人的には駄ニメさんの言うような方法が見やすいとか合理的であるとかいったことは感じません。--Kanohara 2009年11月12日 (木) 02:17 (UTC)[返信]
ノート:かなめもの投稿コメントと本節の投稿コメントを読んで虚しくなりましたのでこれで、これで終わりにします。長々と書き込みを続けた事をお詫びします。
ノート:かなめもの投稿コメント、『推敲と称して出典だけを除去するような編集』という、まるで当方が出典・脚注を除去するためだけに推敲を画策しようとしているようなコメントは悪意としかとれませんので撤回を求めます。
本節の投稿コメントについては「ネット新聞は速報性が最重要で、時間によって内容が変わっている事が少なくない事」や「某大手新聞社の英語版ニュースが変態記事を配信していた」という事だけ言っておきます。
ついでですが、現時点での投稿に脚注を使っていないのは、単に使う必要がないだけであって、「脚注を一切使わないというスタイル」を取っている訳ではありません。--駄ニメ 2009年11月13日 (金) 00:32 (UTC)[返信]
『推敲と称して出典だけを除去するような編集』などとは言ったつもりはないのですが、そう受け取られたのでしたら、その発言のうち『推敲と称して』と受け取られた部分に限っては撤回しておきましょう。その点に関しては「ノート:かなめも」の方でコメントしておきました。
毎日新聞の毎日デイリーニューズWaiWai問題に関しては私憤を感じるところもありますが、もし、それを出典が信頼できない根拠だと言うのであれば的外れで、根拠ではないというなら、わざわざ引き合いに出すことの無い無関係な話題です。私は十分に信頼できる情報であり、また時間で内容が変わるような内容ではないと判断しましたが、記述の根拠となる出典が毎日新聞社であることや、出典の日付やaccessdateは脚注に明記してあり、それを見て信頼できる情報だと受け取るか否かは読者次第です。サブカルチャー関係の記事に関しては、まんたんウェブは十分に信頼できる情報源であると考えますし、また「とらドラ!」の文案に関しては、毎日.jp関係の出典には全て、それと同等の別の情報源を追加しています。別に、対立する意見があり争点になっている訳ではないのですから問題ないと考えます。--Kanohara 2009年11月13日 (金) 19:00 (UTC)[返信]

ノート:とらドラ!コメントに関して

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最後と言いつつ、あまりに酷いので再度来ました。

  1. ノート:とらドラ!のコメント『駄ニメさんは現在のログイン名での通算編集回数こそ50回に満たないものの、他の会話ページの議論でも私や他の方に対して「方針への無理解」を繰り返し説いておられるので、IPユーザーとしての活動もしくは他のログイン名での活動歴(もちろん、多数派工作などの不正利用を行わない限り、ウィキペディアにおける多重アカウントは認められています)が長い方であるとお見受けしますが、』の部分は「とらドラ!」関連の議論とは全く関係の無い事です。除去するか取消線で修正を求めます。当方の編集回数やノートでの発言がKanoharaさんのした「誤解を招くコメント」と何の関係があるんですか? ()内のコメントは、まるで不正をしているのを知っているぞ、とでも言っているようで、非常に不愉快です。
  2. 当方は「方針への無理解」を説いてなどおりません。「方針やガイドラインにはこう書いてある。だからこうだろう。」という当方の見解を元にコメントしているだけであって、例えばKanoharaさんが方針を正しく理解していない=方針やガイドラインの解釈が間違っている、といった主張はしていません。推測を元に批判とも取れる、議論そのものとは無関係のコメントを展開するのは、今後止めていただきたい。当方はなるべく他者の発言は善意に取るように努力しているが、議論に必要ない事をわざわざコメントに書くKanoharaさんには明確な悪意を感じる。
  3. それと、これは本来書かない方が良い事だがあえて書きます。文意を理解する力=読解力を高めてください。「多数決が有効」はイコール「多数決で決める」ではありません。『議論の参加者全員が納得できるような解決を目指すべきであるという意味』とKanoharaさんにわざわざ教えてもらうまでもなく、『多数意見に異論者が同意すれば議論はそこで終わる(=多数決は論争の解決手段として意味がある)』=「多数決を元に意見を調整し、合意を目指す事が出来る」と当方自らそう言ってます。--駄ニメ 2009年11月13日 (金) 09:37 (UTC)[返信]
コメント では「ノート:とらドラ!」における、指摘のあった部分には取り消し線を引いておきましょう。それで気が済むというのなら、気分を害した点については申し訳なかったと謝罪しておきます。
ですが、駄ニメさんにも撤回して頂きたい発言が三箇所ほどあります。まず2009年11月10日 (火) 01:29 (UTC)における「多数決でもして」という発言は不適切です。それから2009年11月12日 (木) 03:43 (UTC)「(=ウィキペディアでは多数決は有効じゃないから俺は多数意見には従わないぞ)、とKanoharaさんは言っているように思えるのですが。もしそうだとすると、共同作業をするウィキペディアの参加者としてどうなんでしょうか?」という発言も、撤回して頂きたい。私には、駄ニメさんがウィキペディアでの編集経験が浅い方なのか、はてまた経験豊富な方なのかは分かりません。ですが駄ニメさんの真意がどうあれ、ウィキペディアで多数決が有効ではないことを言われるまでもなく知っているのなら、なおさら「多数決」という表現を出したのか、理解に苦しみます。ウィキペディアにおいては、多数決と合意形成は意味が異なります。ウィキペディアで多数決が有効でない理由の一つが、ソックパペットによる議論かく乱が比較的容易なことであることはご存知のはずです。私は、ソックパペットによる多数派工作の現場には二度ほど居合わせ、被害を被ったことがありますが、あれはひどいものです。この点は、もし駄ニメさんが編集経験が浅い方であるのなら釘を刺しておかなければならない点だと感じましたし、そうでなくとも別に痛くない腹であるならなおさら、投票のことを持ち出すのは迂闊であり、駄ニメさんのためにもなりませんと、老婆心から申し上げます。そして最後に、駄ニメさんの2009年11月10日 (火) 01:29 (UTC)における、「Kanoharaさん以外の議論参加者の方はノート:かなめもやKanoharaさんの会話ページの出典その他に対するKanoharaさん主張を参考にすると良いでしょう。」という発言はこの議論に無関係で、また駄ニメさん自身にはどのような編集履歴があるのかを明かさないまま、あたかも私が過去に何か問題のある行動を起こしたかのような発言であり、個人的には痛くない腹であるとはいえ、愉快に感じませんでした。この発言については不適切であったことを認めて頂きたく思います。
読解力について。駄ニメさんは繰り返し私に対し、自分の主張に関係があるというガイドラインへのリンクを示していますが、私には駄ニメさんの主張を裏付けるような文面がどこに書いてあるのか、何度読んでも理解できず、解釈の違いと言ってもその解釈の根拠がわからず、いまだに会話が噛み合わないものを感じています。どうやらお互いにどうやら相手に対する不信感があり、双方の発言を素直に受け取ることができないのではないかとも感じていますが、だとすると一度、お互いに頭を冷やした方がよいのかも知れません。--Kanohara 2009年11月13日 (金) 19:00 (UTC)[返信]
  1. 「多数決でもして」という発言が不適切とは思いません。きっちり結論が出てない事はきっちり結論を出すべきで、議論で結論がでないなら多数決で意見の調整を試みるのは当然です。いつまでもぐだぐだと議論を続けるのは無意味ですし、一部の参加者が勝手に結論づけて行動を起こすのも間違っています。「多数決」に関するKanoharaさんの私見には論を挟みませんが、それがウィキペディア全体の意見であるか不明な以上、同意する理由はありません。
  2. 2009年11月12日 (木) 03:43 (UTC)の発言はKanoharaさんの「余計な一言」に対するコメントです。わざわざ「多数決は」と一言付け加える必要性を感じませんし、そうやって必要のない一言を加える事で「悪い印象」を与えるのも事実です。悪い印象を与えるのがイヤなら余計な一言を付け加えなければ良いだけです。撤回はしませんが、悪意と取ったコメントをした事については謝罪します。
  3. 2009年11月10日 (火) 01:29 (UTC)の発言は、Kanoharaさんが同様の主張を他の場所でも展開している事実を指摘する事で、他の議論参加者に余計な議論をしなくて済むようにした配慮です。あちこちで延々と同じような主張を繰り返す事に意味があるとは当方には思えませんので、意見の異なる参加者がどのような持論を展開しているのを参考にでき、間接的に該当する議論に関係します。各所で同じ主張を繰り返すという事は持論が固まっているという事です。「この人は、このような持論でもって議論を展開する」事が分かるのは、議論している当事者にとって有効です。「相手を知る事」が不適切とは思いません。Kanoharaさんも他のノートで当方と意見が異なった場合、「駄ニメはこういう主張を他で展開しているから参考に」とコメントすればいいんじゃないですか? 当方は間違っていると感じれば持論を簡単に変えますので有効かどうかは分かりませんが。それと、同じ主張でもっていくつか議論を繰り返しているという事は、Kanoharaさんとは意見が異なる参加者が複数いるという事だと思います。私見による判断で同じ主張を繰り返すより、該当する方針・ガイドラインのノートページで正しい解釈について議論して、ご自身の主張が正しい事を証明した方がいいのではないでしょうか?
  4. その他の点については申し上げる事は何もありません。--駄ニメ 2009年11月14日 (土) 01:38 (UTC)[返信]

ノート:かなめもへのコメントをお願いします。

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すいません、また来ました。ノート:かなめもの「出典・脚注に関する要不要の線引き」に関してコメントをお願いします(こちらへのレスは不要です)。出典・脚注は検証可能性を満たすための物であり、出典・脚注によって検証して記述の正確性が証明されます。かなめもの出典・脚注に関して実際に必要か否かを問うた際、提示されている出典・脚注で検証せずにアニメ版を見て「ほとんど必要」とするのは間違っていますし、実際の状況を確認せずに「言及されているならあったほうが便利」などという消極的な理由で是とするのも間違っていると思います(ウィキペディアには検証可能な物しか記述できないという立て前があります。であれば記述は全て言及されているはずだから、一文一句読点毎に出典・脚注が付いてなければおかしい事になります。実際に付いている物と付いてない物、付ける付けないの線引きは何処ですか?)。また、アクセスの不便さやコストを楯に実際に検証しない人に「あったら便利だから」と配慮する必要も無いと考えます。記述に疑問を持った人が実際に検証する事を前提に、出典・脚注の要不要は判断されるべきだと思います。--駄ニメ 2009年11月19日 (木) 23:40 (UTC)[返信]

遅くなりましたが、ノート:かなめもの方にコメントしておきました。個人的には、出典は可能な限り一文一句読点毎に付けるべきものであり、またアニメ版だけしか見ていないような人にも、その記述が検証されたものであることが分かるような形で示すべき種類のものだと考えますが、まあその意見に対する返答はあちらのノートでお願いします。--Kanohara 2009年11月23日 (月) 00:17 (UTC)[返信]

ノート:かなめもにおいて『発言をことごとく悪意に受け取り』と発言されていますが、当方が「ことごとく悪意」に受け取っているという事実はありません。悪意としか取れない事に関しては悪意と受け取っていますが、ほとんどの場合、単純に「意見が合わない」だけです。『ルールを理解した上でそれなりに上手くやってきた』と前振りしておいて(当方が)『発言をことごとく悪意に受け取』っていると断言するのは、暗に「悪いのは俺じゃなくてお前だ」という事を示します。これが「悪意」かそれとも「文意を理解できなかったための不用意な発言」なのかは知りませんが、もう少し言葉を選んで発言した方が良いのではないかと思います。それと、当方ロム歴の方が長いのですが、本文よりもノートの議論の方を楽しんでいたクチなので方針やガイドラインについては「それなり」に知っています。執筆活動が長くない事を理由に、相手を下に見るような発言も(その気はなくとも)控えるべきでしょう、「あまり善意に受け取れていない」のだとしても。--駄ニメ 2010年1月4日 (月) 03:21 (UTC)[返信]

コメント 「発言を悪意に受け取られている事実はない」と言いつつ、こうした発言をする駄ニメさんを、私は悲しく思います。あと「本文よりもノートの議論の方を楽しんでいたクチ」というのはウィキペディアではあまり推奨される行為とは言えないので、大っぴらに公言することではないと思います。--Kanohara 2010年1月11日 (月) 00:25 (UTC)[返信]
「こうした発言」がどれを指すのか分からないので何が悲しいのか判断できません。また、実際に編集に参加しないROM者がウィキペディアをどのように利用する(楽しむ)かは、ウィキペディアで推奨されるかどうかに関係しません(「ROM歴が長い(からそれなりに知っている)」「楽しんでいた(過去形)」と書いてあるのに、現在「本文より議論を楽し」んでいると思っている辺り、やはり少しナニな感じがしますね)。--駄ニメ 2010年1月11日 (月) 02:35 (UTC)[返信]

説明をお願いしたい。

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時間ができたので改めてノート:かなめものコメントを読んだのですが、全く意味が分からない部分があるので説明をお願いしたく。『自分に都合が悪い意見については「極めて一部の意見」「ウィキペディア全体の意見ではありません」と切り捨てておきながら、舌の根も乾かぬうちに相手を「ウィキペディア全体やほかの記事の話に置き換えて自説の正しさを主張する」などと平然と言ってのけ、それらの結論として相手を「矛盾しているので説得力がない」と批判する駄ニメさんのダブルスタンダードには、正直なところ開いた口が塞がりません。』とのコメントですが、どの辺がダブスタなんでしょう? 「極めて一部の意見」とは「ノートページでの意見、または井戸端会議の意見」です。それは公式方針やガイドラインではないので、「ウィキペディア全体の意見ではありません」。だから「全体の意見は方針やガイドラインに依るべき」という結論になります。その結論から「(一部の意見を)ウィキペディア全体やほかの記事の話に置き換えて自説の正しさを主張する(ので話にならない)」という話になります。「舌の根も乾かぬうちに(すぐに前言に反した事を言う様を表す慣用句)」もなにも「同じ事」を言ってます。それと「まとめ」部分(結論ではない)の「(言動が)矛盾しているので説得力がない」という批判が、なぜダブスタ(類似した事象に対し異なる姿勢を取る事)になるんでしょうか? まとめ部分の「矛盾」は「言及されているなら出典・脚注は全て必要であると主張しているのに実行していない」事です。つまり、前者とは全く別の事を言っています。と言うよりも、ちゃんと「ウィキペディア全体やほかの記事の話に置き換えて自説の正しさを主張するが、(まとめて出典を提示するのは)全体としては方針・ガイドラインに反していないし(グレーゾーンかも知れないが「簡単に原典にあたれる」から原典からの出典・脚注はいちいちしないのもアリ、という意見も井戸端会議で出ている)、他の記事は他の記事で執筆方針が異なるのでそれらを根拠に正しさを主張されても「それは他の記事の話でしょ」としか言いようがない。」と書いてあるんですが、前者と後者の話が別の話だと分からなかったんでしょうか。そうでないならば、どの辺がダブスタになっているのかの説明を願います。--駄ニメ 2010年1月5日 (火) 12:27 (UTC)[返信]

コメント フィクション作品の記事であっても全ての記述に出典が必要であるという、私の主張の根拠となるガイドラインは「Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)」をはじめ、幾つも示したつもりです。その上で駄ニメさんは、ノートで話し合われているのは「かなめもの出典・脚注が多すぎないか?」という話であって私の主張は「全体の話にすり替えて混ぜっ返していただけ」に過ぎないという指摘をしましたが、それに対して私は、井戸端やノートページの意見においても、現在の脚注の量が多すぎるわけではないという意見が出ているという事実を指摘したまでです。駄ニメさんの言う「極めて一部の意見」も「執筆方針が異なる他の記事」も「ウィキペディア全体やほかの記事の話」も、同じことを言っているという指摘なのですから、これは別に「置き換え」でも何でもありません。
駄ニメさんは以前の発言で「ここでの議論は実際にかなめも本文の大量の出典・脚注が必要かどうか?という話であって、ウィキペディア全体での話でありません」「「ウィキペディアの方針・ガイドラインからすればこうだ」という話だけして、後は他の参加者に任せるべき」といった発言を繰り返しておられました。「ウィキペディア全体やほかの記事の話に置き換えて自説の正しさを主張する(ので話にならない)」という発言も同じ文脈にあるものと思いましたが、その真意が違っていたとするなら(違っていたとしても、駄ニメさんの「極めて一部の意見」発言は、以前の駄ニメさんの主張とのダブルスタンダードに思えますが)、これは別に「置き換え」でも何でもないのですから、私は別に非難されるいわれも何もないということになります。
繰り返しますが私の主張は「私が理想としていても実際にはなかなかできない、脚注の徹底を成し遂げている『かなめも』の記事は賞賛に値する、それを以前の状態に戻すなんてとんでもない」というものです。別に「自分にできないことを皆はやれ」と言っているのではありません。脚注の除去に反対しているだけです。私の執筆能力が自分自身の理想に及ばないことは無関係であり、矛盾でも何でもありません。駄ニメさんは「グレーゾーンかも知れないが(中略)アリ」と言って持論の正しさを主張しますが、既に真っ白であるものをわざわざグレーゾーンに戻さなければならない根拠についてはガイドラインにもなく、ノートや井戸端の議論でも理路整然とした意見は出されておらず、納得できないものを感じています。
駄ニメさんはこの利用者ページで多数決の有用性を長々と説きながら、その後「ノート:かなめも」でいざ他の意見が多数と見ると、それを「極めて一部の意見」であるとして軽んじる発言をしておられます。もちろん以前別のノートで私が駄ニメさんに「自説が少数意見でも、自説に理があり、きちんと説明すれば多数派も分かってもらえるという確信があれば、合意に向けて少数意見を展開してもよい」と語ったように、納得がいかないのであれば幾らでも主張を展開して下さればよいのです。ですが駄ニメさんの態度を見ていると、あの熱弁は一体何だったのかという思いもあり、やや釈然としないものを感じているというのも個人的な感想ではあります。--Kanohara 2010年1月5日 (火) 16:35 (UTC)[返信]
だいたい理解しました。
かなめもページでの「かなめも記事に出典・脚注が多すぎないか?」という話は、かなめもページのみの話です。ウィキペディア全体としての「出典・脚注の話」ではありません。井戸端会議は、会議に参加者しているウィキペディア全体の利用者の中の一部の意見であり、それはウィキペディア全体的に見て「議題に上がっている件はどうか?」という話です。ウィキペディア全体の意見ではありません。当方の主張する『「ウィキペディアの方針・ガイドラインからすればこうだ」という話だけして、後は他の参加者に任せるべき』は、記述の通り「公式な方針やガイドライン」を基準にする事であり、井戸端会議や該当ページの意見を「公式方針やガイドライン」として扱う事ではありません。井戸端会議の意見を全体の意見に置き換えるとは、「公式方針やガイドライン」ではない「井戸端会議(等)の意見」を全体の意見=ウィキペディアの公式方針やガイドラインに相当する事として扱う事です。Kanoharaさんが「井戸端会議の意見」を「公式方針やガイドライン」と同等に扱っているのが問題である、という事です。
『既に真っ白であるものをわざわざグレーゾーンに戻さなければならない』:控えめに「グレーゾーン」と表現しただけで、脚注機能を利用した出典の提示を排除して、その他の出典の提示方法(かなめもの場合は「書籍情報」節の一覧を出典とする事)に置き換えるのも出典の示し方にちゃんと書いてる方法なので、実際には「真っ白」です。「戻す」のではなく「書き方を変える」が正しい。--駄ニメ 2010年1月7日 (木) 00:56 (UTC)[返信]
追記)申し訳ないが「いざ他の意見が多数と見ると、それを「極めて一部の意見」であるとして軽んじる発言」とやらの説明をお願いしたい。当方はKanoharaさんが井戸端会議(等)の意見を「ウィキペディアの方針やガイドライン」同等として扱っているから、それは一部の意見だから全体的な話(この場合は「脚注の量を全体的に減らすべきという主張には根拠がない」とするKanoharaさんの意見)ではない、という話であり、ノート:かなめもで『他の意見が多数』だから云々という話ではありません(ノートページでの「他の意見」を軽んじているわけではなく、あくまでKanoharaさん個人の姿勢の問題)。--駄ニメ 2010年1月7日 (木) 01:10 (UTC)[返信]
コメント 私は「かなめも記事に出典・脚注が多すぎないか?」という意見に対しては、「かなめもページの話」として相談を持ちかけられた井戸端の方々の意見や、ノートに来ていただいた方の「かなめものページに関しては、脚注が多すぎるということはない」という意見を引き合いに出して反論していますし、またウィキペディア全体の意見が求められている箇所に関しては、ウィキペディア全体に関わるガイドラインを引き合いに出して反論しているつもりです。ただし個人の意見とガイドラインが対立する場合は、利用者が従うことが推奨されているようなガイドラインに基づくべきだと私は考えますので、例えば「脚注が多すぎる記事は、私には見づらく思えるから修正すべき」といった主観的な意見に対しては、ガイドラインを引き合いに出して反論することもあります。
「グレーゾーン」「真っ白」という表現が不本意であるのなら、Wikipedia:出典を明記するでは「なるべく脚注機能を使用することが推奨され」ているのに、推奨されている訳ではないもう一方の方式にわざわざ書き換える根拠についてはガイドラインで示されていない、と言い換えましょう。
「極めて一部の意見」について。井戸端で駄ニメさんからコメントを求められ、真摯な意見を述べたのに、その相手から「極めて一部の意見」と言われたら、コメントを寄せた方はがっかりするのではないかと思いますよ。--Kanohara 2010年1月11日 (月) 00:25 (UTC)[返信]
当方は「一部の意見」は「一部の意見」として尊重しますが、その「一部の意見」を「全体の意見」としては受け止めません。全体の意見であれば、方針やガイドラインで議論され記述が変更されると見るべきでしょう。一部の意見を当方が尊重する事と、一部の意見を全体的な意見として相手への反論として利用するのは、話が違います。また、「推奨される」のは単にガイドラインとして出典情報には脚注機能を利用する事が推奨されているだけであり、推奨されている事を理由に全ての場合に於いて脚注機能を利用するべきであるという話にはなり得ません。時と場合により、よりよい出典の提示をすればいいのです。それに「脚注機能が推奨されている」事をお題目に、その他の方法が「推奨されていない」というのは暴論です。「その他の方法が推奨されていない」のではなく、「脚注機能が推奨されているだけ」です。間違ってはいけません。全て時と場合により判断しなくてはならず、そうするべきなのです。--駄ニメ 2010年1月11日 (月) 02:35 (UTC)[返信]

編集フォローありがとうございました。

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ドラマ記事での私の未熟な編集(改行)にお手を加えていただきありがとうございました。編集を始めてからだいぶたつのですがレイアウト用テンプレート←(これが内部リンクできない未熟さ^^;)の存在を知るきっかけになりました。未熟者ゆえ何かお気付きの点がございましたらまたよろしくお願いします。お手数かけました。--かんな文移 2010年1月10日 (日) 01:32 (UTC)[返信]

コメント いえ、差し出がましいことをしてしまいました。ドラマ記事については調べものをしているうちに偶然たどり着き、ウィキペディアの記事内ではあまり見かけないような形の不自然な改行を見かけ、どういう意図で行われたのかを確認する過程で、かんな文移さんの編集が幾つか目に留まった、という経緯です。改行によるレイアウトは読者のブラウザの文字サイズやウィンドウサイズによって変化してしまうので、私は可能な限りテンプレート等を使うようにしています。--Kanohara 2010年1月11日 (月) 00:25 (UTC)[返信]

「駄ニメ」=「寝ず見」説

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Wikipedia:管理者伝言板#投稿ブロック中のユーザーのブロック逃れ(ソックパペット)にも書きましたが、利用者:駄ニメ会話 / 投稿記録 / 記録利用者:寝ず見会話 / 投稿記録 / 記録無期限ブロック中)の両氏は同一人物かと思います。

上の独特な要約欄だけ見ても偶然の一致とは考えにくいです。単なるブロック逃れとすれば、これ以上利用者:駄ニメ会話 / 投稿記録 / 記録さんの相手をしてやる必要はないように思います。絶対の確信はないのですが、限りなくクロに近い印象です。この説を補強する材料などあれば教えてください。--fromm 2010年2月10日 (水) 18:09 (UTC)[返信]

コメントしばらく体調を崩したり、PCのマシントラブルがあったりして、長期間返答に応じられなかったことをまずはお詫びします。
さてご指摘の件ですが、もしそれが本当なら、かつてノート:とらドラ!の議論において私が、寝ず見氏が無期限ブロック間際に必死で合意に向けて尽力した内容のことを、わざわざ無期限ブロックのことを公然と指摘して問題を蒸し返したことについて、本人は相当腹を立てたことでしょうから、私は本人の見ているところで氏の編集内容を面罵した非礼を詫びなければならないかも知れません。ですが、まあ、しかしながら、以前私が駄ニメさんの過去について触れた際、駄ニメさんはわざわざこの会話ページを訪れて、痛くない腹を詮索されることに対して強く抗議し、私もその際、そこまで強く言うのなら後ろめたいことは何もないのだろうと判断して発言の撤回に応じたのですから、決定的な証拠もないのに疑うことは自粛しておきます。
まあ確かに、寝ず見さんに対するコメント依頼を拝見する限り、出典として用いられる報道記事に対して強い不信感を抱いていることや[8][9]、「記事の主題の社会的影響について書くならこの記事ではなくxxxxのページに書いた方が良い」という趣旨の言い回し[10][11]を用いていること、登場人物の記述は最低限でよいという主張[12][13]など、寝ず見氏の主張[14]と駄ニメさんの主張には幾らか類似点があるようにも感じられ、frommさんが感じている類似性にも筋は通っていると感じます。ですがその一方、例えば寝ず見氏は出典情報の書式に関して、時に相手を強い調子で罵倒するほど正式な書式にこだわっていたのに対し[15]、駄ニメさんはむしろ差し戻しをしてまでルーズな書き方を好む[16]、といった主張の違いがあるようにも感じられ、同一人物であるとは断言できないのではないかと考えます。駄ニメさんの主張は、個々の事例を見ればウィキペディア上では特別珍しい主張という訳ではありませんし、両者の利用時間帯についても、似ているとも似ていないとも断言できない[17][18]ように思います。これについての判断は避けます。--Kanohara 2010年3月31日 (水) 16:28 (UTC)[返信]
ご返事ありがとうございます。利用者:駄ニメ会話 / 投稿記録 / 記録さんの編集がしばらく止まっているので取りあえずは様子見とします。--fromm 2010年4月3日 (土) 12:38 (UTC)[返信]

「ユニオンフラッグオービットパッケージ」について

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「2009年6月21日(日)21:45(UTC)の編集で除去されていたオービットパッケージの登場話数を初版の情報を基に復帰」により「『1st』第9話にもゲスト出演」となさったようですが、「ユニオンフラッグオービットパッケージ」の初出はホビージャパン08年8月号(6月発売)で『1st』第9話放送より後です。--ステイシア・ボーダー 2010年4月3日 (土) 10:42 (UTC)[返信]

コメント ううむ、そう言われましても、私自身は要約欄に書いたように、機動戦士ガンダム00の登場兵器の記事における2009年6月21日 (日) 21:45 (UTC) の編集で除去された内容のうち、記事の初版からあった「ファーストシーズン第9話冒頭でゲスト出演」という記述を復帰させて{{要出典}}と置き換えただけですので、私に言われても困ってしまいます。
この情報は、履歴を辿ったところ利用者:てとらぽっと会話 / 投稿記録さんによって「機動戦士ガンダム00」の2008年10月11日 (土) 04:28 (UTC) の編集で加筆された内容のようです。『1st』第9話を確認すると、確かに冒頭において古谷徹のナレーションが流れる中、宇宙空間を漂うフラッグ系の機体が確認でき、てとらぽっとさんはこの事を言っているのだろうと思うのですが、もしこの描写だけではオービットパッケージであると断定できないと思われるなら、加筆を行ったご本人に他の出典はないかと確かめてみるのが宜しいかと思います。そうではなく、もしステイシア・ボーダーさんの言いたいことが「先に登場しているのにゲスト出演という表現はおかしい」という意味なのでしたら、ステイシア・ボーダーさんが納得する表現に書き換えれば宜しいかと思います。--Kanohara 2010年4月3日 (土) 12:25 (UTC)[返信]
確かにそうでした。大変失礼いたしました。--ステイシア・ボーダー 2010年4月3日 (土) 12:29 (UTC)[返信]

お礼

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某氏とのノートにおけるやりとりにつきまして、フォロー頂き感謝しております。ありがとうございました。--Wiki591801 2010年4月18日 (日) 12:42 (UTC)[返信]

いえ、こちらこそ何かあった時には、どうかよろしくお願いします。--Kanohara 2010年4月18日 (日) 17:02 (UTC)[返信]

ありがとうございました

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私のノートでの件ですが、的確なフォローありがとうございます。今後の参考にしたいと思います。--多摩に暇人 2010年5月15日 (土) 13:54 (UTC)[返信]

いえ。差し出がましいとは思ったのですが、以前に似たトラブルを見かけたときには様子見をしているうちに話がこじれて手遅れになってしまったので。今回の件ではIP氏に納得して頂けたようなので幸いでした。--Kanohara 2010年5月15日 (土) 16:04 (UTC)[返信]

お詫びとお礼

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初めまして、ごろんぼ医者と申します。この度は、私が行ったテルマエ・ロマエの至らぬ編集のせいでKanoharaさんにお手間を取らせてしまい、申し訳ありませんでした。今後は明瞭性を重視し、このような不調法を重ねないように努めたいと思います。不手際をお詫びするとともに、後始末のお礼を申し上げます。--ごろんぼ医者 2010年5月25日 (火) 06:34 (UTC)[返信]

あー、いえ。こちらとしても脱字のフォローをありがとうございました。あらすじの文体や、ネタバレとの兼ね合いでどこまで書くのか、どのような書き方が好ましいのかといった問題はウィキペディア上でも色々と議論のあるところなので、私としても色々悩むところです。--Kanohara 2010年5月25日 (火) 06:46 (UTC)[返信]

月間感謝賞より

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2010年5月の月間感謝賞において、Kanoharaさんへ感謝の言葉が寄せられました:

* R.Lucy 3ウィキ: 日本の郷土料理一覧での多大な貢献に感謝して。膨大な量の加筆と調査をして頂いています。 — Wikipedia:月間感謝賞/投票/2010年5月履歴

また、Kanoharaさんには、ウィキマネーが3ウィキ贈呈されています。

Kanoharaさんはウィキバンクに口座をお持ちではないようですから、ウィキマネーとウィキバンクについて、簡単なご案内をいたします。ウィキマネーとは、ウィキペディアでの活動の相互扶助を促進するための仮想的な通貨です。また、ウィキバンクとは、そのウィキマネーの口座と残高を記録するシステムです。

ウィキマネーは、ログインしての活動が1か月以上かつ200回以上の編集をしていれば20ウィキ獲得でき、Kanoharaさんはすでにこれを獲得されていますから、おそらく23ウィキの残高となろうかと思います。口座開設と残高の記録は、Wikipedia:ウィキバンクに「~~~:ψ23」という形式で、残高を記入するだけになります

これからのますますのご活躍を祈念いたします。--totti 2010年6月5日 (土) 05:59 (UTC)[返信]

報告ありがとうございます。そして推薦して下さったR.Lucyさん、ありがとうございました。「日本の郷土料理一覧」の出典追加は、誰でもやろうと思えば可能ではあるものの、出典とリストを照らし合うのに労力がかかるため放置されている、という状況であったと感じています。実際にかなり労力はかかったのですが、単純作業のような編集でもありました。ただ、観光情報といった少々信頼性の確かではない出典を用いたこともあり、ウィキペディアにおける郷土料理の定義と噛み合わなくなり、かえって記事を混乱させてしまったのではないかという反省もあります。「日本の郷土料理一覧」については、内部リンクの修正などをしていた最中に偶然辿り着いて、要出典だらけの状況を見かねて加筆に参加したという経緯ではあるのですが、もう少し何とかしたいとも考えています。--Kanohara 2010年6月5日 (土) 10:34 (UTC)[返信]

Template:Fix お詫びとお礼

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いつもお世話になっております。Template:Fixは膨大な数の記事に使われているテンプレートであり、英語版では保護されているほどですので、慎重を期したつもりだったのですが、改行1ヶ所とはいえ大変な間違いをしてしまいました。動作確認中も、また、既存記事に悪影響がないかの確認も、行末に使われているものしか確認しなかったための見落としでした。修正していただくまで 2時間近くもそのままだったことに冷や汗ものです。深くお詫びいたします。修正ありがとうございました。--しまあじ 2010年6月27日 (日) 02:51 (UTC)[返信]

こちらこそ、{{要ページ番号}}を張り付けた際にパラメータを修正して頂いた件ではお手数をかけました。--Kanohara 2010年6月27日 (日) 04:06 (UTC)[返信]

「男子高校生の日常」での出典の除去について

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はじめまして。先ほどご連絡を頂いた遠枝と申します。表題の件ですが、他の漫画のページでは、発売日に外部リンクまで張っているものは私の知る限りではほとんど見当たらず、徒にページの肥大化を招きはしないか、と考えたための除去でした。書誌情報に発売日を付けるのは全く問題は無く、私が作製したページでも発売日は分かる限り掲載しております。どうしても外部リンクを外さなければならない、という主張ではありませんでした。お手数をおかけして申し訳ありませんでした。--遠枝 2010年6月29日 (火) 11:01 (UTC)[返信]

どうもです。確かに発売日に出典を付けるのは、PJ漫画やPJライトノベルで制式化されている割にはあまり広まっていないようにも感じますね。個人的な体験では、古い書籍やゲームソフトの発売日などを調べて記述しようとしたら、意外なほど手間取ったりすることもあるので、こうした出典は作品が完結してから何年か経つようになると、有益になるのではないかと思っています。また稀に発売日の日付が間違っていたり、発売日と初版発行日が混同されていたりする記事も見かけますので、検証や間違いの修正が容易になればという思いもあります。ご理解いただき感謝します。--Kanohara 2010年6月29日 (火) 11:14 (UTC)[返信]

Template:ネタバレ廃止議論のお知らせ

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現在、Wikipedia‐ノート:ネタバレ#ネタバレ冒頭以外のネタバレテンプレート廃止提案・その2にて、{{ネタバレ}}の廃止か一時撤去をする提案をしています。このテンプレに関しては過去にもいくつか大きな議論が行われているので、その参加者の方々に個別にお知らせいたします。--EULE 2010年10月23日 (土) 08:48 (UTC)[返信]

しばらくそちらの議論に参加できず、間を開けてしまって申し訳ないです。余裕があれば参加したいと思います。--Kanohara 2010年10月23日 (土) 13:03 (UTC)[返信]

Black-Riverさん関係について

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Black-Riverさんにお詫びの発言をしましたことをお知らせします。前からお詫びをする予定でいたのですが、遅くなりました。一連の論争でKanoharaさんにも批判的な発言が寄せられ、不快な思いをさせてしまい申し訳ありません。深く反省いたします。どうかブロック依頼の取り下げをお願いします。--sekiseiinko 2010年12月27日 (月) 07:41 (UTC)[返信]

コメント 私は別に批判を向けられたことを腹立たしく思っている訳ではありませんが、ブロック依頼については「Wikipedia:投稿ブロック依頼/Sekiseiinko」の推移を見守りたいと思います。公正な結果が下されることを願っています。--Kanohara 2010年12月27日 (月) 07:55 (UTC)[返信]

「GALAPAGOS」の記事分割について

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この節に関しては、GALAPAGOSを編集したことがある登録ユーザー全員に書いています。ノート:GALAPAGOS#「シャープ製のスマートフォン」分割の提案にて、GALAPAGOS#シャープ製スマートフォンなどの節を、シャープ製のスマートフォンとして独立記事にすることを提案しています。意見をいただきたいと思います。--Taisyo 2010年12月28日 (火) 11:12 (UTC)[返信]

Wikipedia:投稿ブロック依頼/Sekiseiinko での編集について

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はじめまして ひとむらと申します。

Wikipedia:投稿ブロック依頼/Sekiseiinkoでのあなたの編集ですが、そちらにも書いたとおり投稿ブロック依頼の被依頼者はその依頼に対するコメントを行うことができます。単なる勘違いだと思いますが被依頼者の依頼に対する弁明の機会を奪うことになりますのでご注意ねがいます。--ひとむら 2010年12月28日 (火) 19:37 (UTC) 抜けていた語句の追加 --ひとむら 2010年12月28日 (火) 19:46 (UTC)[返信]

コメント 確認したところ、ひとむら様の言うように私の読み間違いでしたので、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Sekiseiinkoの方には詫びを入れておきました。この件に関しては、私が強い調子で非難されても甘んじて受けるしかない重大なミスであると認識し、深く恥じ入ります。申し訳ありません。--Kanohara 2010年12月28日 (火) 20:55 (UTC)[返信]

コメント依頼

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ノート:小林由美子ノート:加藤優子にて、出典の明記に関する議論が進行中です。Wikipedia‐ノート:出典を明記する#テレビ番組の出典の書き方に関わる議論です。よろしければコメントをお願いします。--Mikouma 2011年3月27日 (日) 02:41 (UTC)[返信]

コメントWikipedia‐ノート:出典を明記する#テレビ番組の出典の書き方」の方にコメントしておきました。なお私としては、「利用者:Kanohara#脚注と私」に書いてあるように、なるべく多くの記述に出典をつけるように心がけてはいるものの、それは調べれば分かるような内容まで「出典なし」と称してどんどん記述を消していくような方を快く思っていないからこそ、そうした編集から記事を守るために脚注を推奨しているという立場です。ですので「ノート:小林由美子」「ノート:加藤優子」におけるMikoumaさんのやり方については、あまり感心できないものとして苦言申し上げます。--Kanohara 2011年3月27日 (日) 05:32 (UTC)[返信]
コメント ノートでのコメントありがとうございます。Konoharaさんのお考えがどのようなものでも構いません。議論はより多くの方の意見がぶつかり合って進んでいくべきですし、記事の質は向上して然るべきです。方針の一文として除去が認められている以上、私以外にも除去を行なおうとする方は現れるでしょう。であれば、その防衛策は早めに行なった方が良いと思います。記事品質向上、防衛のため、私はあえて悪となりましょう。共にウィキペディアを向上させていきましょう。--Mikouma 2011年3月28日 (月) 11:18 (UTC)[返信]

削除基準について

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Louis XXです。Wikipedia:削除依頼/DOG DAYSにてKanoharaさんは私が加筆した2011年3月11日 (金) 09:14 (UTC)の版2011年3月24日 (木) 02:56 (UTC)の版をキャラクター紹介の文面と似通っていると仰られましたが、それでは以前私が編集に携わった閃光のナイトレイド初版ラストエグザイル-銀翼のファム-の加筆[19]ソ・ラ・ノ・ヲ・ト初版も削除対象でしょうか? --Louis XX 2011年4月17日 (日) 13:36 (UTC)。中黒が入っておらず、リダイレクトになっていたため修正。--Louis XX 2011年4月19日 (火) 23:58 (UTC)[返信]

コメント 私は法律の専門家ではないので実際に裁判沙汰になった場合の判例がどうなのかは分かりかねますが、あくまで私見として。まず「ソラノヲト」については、個人的には削除依頼を出すほどの内容ではないと感じました。というのも通常、あらすじは(プロットとして書くか、ストーリーとして書くかというスタイルの違いはあるものの)内容の記述順序に創意工夫を入れる余地が少ないため、私の感覚では、文章構成を多少真似ただけでは著作権の侵害にはなりにくいと考えます。「Wikipedia:削除依頼/DOG DAYS」における初版作成者の方のあらすじように、一字一句丸写しになっていれば話は別ですが、それとは事情が異なるように思います。
「ラストエグザイル-銀翼のファム-」の登場人物紹介は一寸まずいのではないかという印象も受けました。今までウィキペディアの記事を見たり書いたりしてきた経験上、登場人物の紹介には情報の取捨選択や記述順序に、かなり書き手の個性が出るように思いますが、Louis XXさんの文章は公式サイトの記述の個性がそのまま流用されている上に、記事側の日本語表現も少々おかしく、失礼ながらあまり内容を租借しないままに丸写ししているかのような印象を受けました。
「閃光のナイトレイド」については、確かにそう言われれば確かに記述順序には類似性はあると感じるものの、個人的には、「DOG DAYS」「銀翼のファム」などと異なり、公式サイトの内容が十分に咀嚼され、原形を留めない程度の変更が加えられているように感じます。ただし私はこの作品の内容について予備知識すらない状態のため、あらすじや登場人物紹介の内容が、誰が書いても同じような内容になるものなのかどうかは判断できかねますし、言われなければ気がつかないというのは単に、私自身の作品に対する関心の低さから来ているのかも知れません。
私がウィキペディアの編集に携わるようになったのは、利用者ページにもあるように「Wikipedia:削除依頼/初音ミク」の一件と前後してのことで、個人的な判断基準としてはこの一件を参考にするようにしています。私自身、特に入れ込んでいる訳ではない記事の場合、黒とも白とも言い難いものについては放置してしまうこともあるのですが、「Wikipedia:削除依頼/DOG DAYS」の場合は一番の問題であるあらすじ部分が初版に近い版で行われており、最新版までのほとんど全ての版が版指定削除(秘匿)の巻き添えになることから、いったん版指定削除を行ってしまうと、後から別の個所で転載が指摘されたとき、誰がどの版で問題を犯したのかが分かりにくくなるだろうと考えました。このため、記事が成長しきっていないうちに軽微な問題も洗い出して除去しておくのが良いと考えています。
ただ「DOG DAYS」の本編を第3話まで見た印象として、同作は明快な特徴づけがなされた登場人物が、説明台詞で台詞を語ってしまうような作風でもあると感じられ、結局のところは本編を見て記事を書いても、公式サイトの記事を見て書いても、あまり大差のない内容の記事ができるのではないかとも予想しています。--Kanohara 2011年4月17日 (日) 15:17 (UTC)[返信]

議論への参加依頼「Wikipedia:秀逸な記事の選考/けいおん!」

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こんばんは。Louis XXです。

さて、現在けいおん!秀逸な記事の選考に選ばれていますが、議論がやや停滞気味のため、この件に関するKanoharaさんの意見を頂ければと思い、馳せ参じました。多忙とは思いますが、議論への参加をお願い致します。--Louis XX 2011年9月2日 (金) 09:56 (UTC)[返信]

CERNの関連項目にSteins;Gate

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欧州原子核研究機構#関連項目Steins;Gateがあるのですが、これは消してしまって大丈夫でしょうか(ジョン・タイターの方はあっても問題ないとは思うのですが)。私はシュタインズゲートについて何も知らないため、お詳しそうなKonohara氏に御相談に伺いました。--Starchild1884 (LuckyStar Kid) 2011年9月23日 (金) 21:31 (UTC)[返信]

コメント 私もアニメ版を全話は見ているものの、設定資料集などを買い込んでいる方などに比べればあまり詳しい訳でもないのですが、知っている範囲で私見を述べます。まず『Steins;Gate』のSERNは作中最大の敵組織であり、作中では何度も名前が登場する重要な要素にはなっているものの、非人道的な悪の組織というネガティブな扱われ方をしているため慎重な扱いが求められるところだと思います。確かに該当記事にもあるように、LHCについても作中に写真などが登場するほか[20][21]、ネットからSERNをハッキングしてタイムマシンの装置の一つとして利用するという場面もあります。ただし実際にスイスを訪れたりする場面はないので、実質的には敵対人物が所属する組織名として名前だけが繰り返し出てくるだけ、ということになるかと思います。
実在のCERNがモデルとして引用されているのはおそらく実在のジョン・タイター氏の書き込みに登場する組織であるためで、特に非があるわけでもないのに悪の組織のモデルにされてしまったCERNの方々には気の毒なことだと思いますが、ブラックホール生成実験の危険性(ブラックホール#地球上における極小型ブラックホール生成の可能性、および大型ハドロン衝突型加速器#LHC実験の安全性に対する危惧および反論)の方は散々フィクションのネタにされているので[22]、ひょっとしたらCERNの方々も今更だと思っているのかも知れません。
それはさておきウィキペディアのCERNの関連項目に『Steins;Gate』への言及が必要かという点ですが、実在のCERNは十分な実績と世界的な知名度を持っており、フィクションへの言及などに触れるまでもなく十二分な特筆性を持つ組織なのですから、個人的には『Steins;Gate』に限らず『フラッシュフォワード』や『天使と悪魔』などに触れる必要も薄いような気もします。例えるなら、ネットの掲示板を発祥とするフィクションがゲーム、アニメ、映画化されたという意味で、電車男やジョン・タイターの項目でそれらのメディアミックスに触れる必要は大きいと思いますが、エルメスの項目で電車男に触れる必要はあまりないのではないかということです。ですが、世間の人々がこの組織にどのようなイメージを持っているのかという意味では有益なのかも知れず、その辺りは微妙なところであり、ノートなどに相談を持ちかけた方がよい気もします。一応、英語版の記事には「en:CERN#In popular culture」としてフィクションに関する記述があるようです。--Kanohara 2011年9月23日 (金) 23:16 (UTC)[返信]
詳しい説明をありがとうございます。作品内で重要な位置付けにある敵組織ということであれば、機械的に除去することは止めておいた方が良さそうですね。
ただ関連項目として順不同で放り込まれているのは問題(分かり辛い)なので、「CERNを題材にした作品」節にでも分けてみたいと思います。こういう節は駄編集を招きやすいですが、CERNが登場するだけという作品ですら10も20も列挙されるとは考え辛いので、現時点では問題無しと判断します。サウスパークが入っているのはいかにも英語版らしい…… --Starchild1884 (LuckyStar Kid) 2011年9月24日 (土) 21:29 (UTC)[返信]

再放送について

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咲の傑作選の情報を再放送だからと削除されましたが傑作選は新番組扱いです。テニスの王子様だと再放送情報が記載されていますが何が違うと言うのですか?--202.179.227.12 2011年10月6日 (木) 12:13 (UTC)[返信]

コメント 発言位置を移動させていただきました。さて要約欄にも書いたと思うのですが、プロジェクト:アニメ#放送局にもあるように、「本放送開始よりおおむね1年以上遅れて放送を開始した放送局については、ノートで特に合意を得た場合を除いて列挙しない」とされています。傑作選は、過去に放送した内容を繰り返すという意味では十分に再放送の範疇であり、わざわざ記事に特記する程ではない内容であると考えます。「テニスの王子様 (アニメ)」の記事についても、これは本来不要な情報が載っている状態だと考えますので、除去しておくのが妥当かと思います。
関連する議論もご覧ください。
いずれにせよ、私は何の権限もないいち利用者に過ぎませんので、複数の利用者の合意を得て決まったプロジェクトの方針を覆すことはできません。仮に私が202.179.227.12さんの熱意に心を動かされて再放送情報を見逃すことにしたとしても、遅かれ早かれ他の誰かがプロジェクトの方針に従って記述を除去することでしょう。この会話ページで私を説得しても無意味かと思います。
202.179.227.12さんが、どうしても「咲-Saki-」の再放送情報が百科事典の記事に必要であると考えるのであれば、その理由を明記して、「咲-Saki-」の記事のノートに提案を持ちかけてください。プロジェクトの方針に異論があるのでしたら、「プロジェクト:アニメ」のノートで提案を持ちかけてみてください。--Kanohara 2011年10月6日 (木) 12:50 (UTC)[返信]

『機動戦士ガンダムAGE』について

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初めまして、Nobookと申します。今回は上記の『機動戦士ガンダムAGE』の「MBS」表記について私の編集を取り消されたので、このような形で投稿させていただきました。

これは、4年半前の2007年4月から「よみうりテレビ」が「ytv」表記と改めた時と同じものと私は考える上、他の毎日放送制作全国ネット番組の『知っとこ!』、『EXLIE魂』、『サワコの朝』、『ジャパーン47chスーパー!』などと表記を統一したものとなっています。

ご不満もおありでしょうけれど、現在プロジェクト‐ノート:放送番組#「毎日放送」を「MBS」へと表記を変える編集についてで議論進行中ですので、ご意見がおありでしたら、こちらの議論へと参加していただきますようお願いします。--Nobook 2011年10月23日 (日) 04:02 (UTC)[返信]

理由 番組のオープニング・エンディングでは「MBS」のロゴでの表記となっており、サンライズ公式サイトのフッター表示でも「©創通・サンライズ・MBS」という表記になっているようなので、それに合わせました。私は関西の放送局についてはそれほど詳しくないのですが、ウィキペディアの記事によれば地デジ移行後に「MBS」表記を主に使っているとのことで、記事が「MBSテレビ」に改名されているのですから、2011年7月24日以前の番組は「毎日放送」、以降に開始された番組の記事は「MBS」表記にするのが良いのではないかと考えます。ですか肝心のMBS(毎日放送)の公式サイトでは「© 創通・サンライズ・毎日放送」になっているようですね。表記の統一について議論中ということなのでしたら、結論が出るまでは様子を見ますし、私からは特に意見はありません。--Kanohara 2011年10月23日 (日) 05:32 (UTC)[返信]

「テレビの深夜番組における日時表記について」への議論参加のお願い

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はじめまして、Don-hideと申します。

過去に、Kanohara氏は「Wikipedia‐ノート:表記ガイド#やはり30時間制はおかしいのでは」にてコメント・意見を述べられております。その後、同ノートの当該節において、議論の場をそこで行うよりもこちらに移すことが望ましいとの意見が出、この提案に異論が出ませんでした。そのため、以後の議論の場を同ノートの当該節からプロジェクト‐ノート:放送番組#テレビの深夜番組における日時表記についてに移して、その議論の続きを行っている最中です。

議論はほぼし尽くされた感があるせいか、あるいは移動元での議論が長期化してしまったせいか、現在議論が停滞していることもあり、雛型となる1つの提案をいたしましました。差し支えなければ、移動先において、移動元での意見をそのままにするか変えるのか、必要ならその理由も添えて、ここでのコメント・意見をうかがえないでしょうか。よろしくお願いしたします。--Don-hide 2011年11月19日 (土) 15:55 (UTC)[返信]

IBM 5100

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すみませんでした。画面検索で、IBM 5100を検索し、"IBN"に換えていましたので、 気づきませんでした。 ジョン・タイターは実在というか、リアル関連ですものね。

--Jun2013 2011年11月21日 (月) 12:50 (UTC)[返信]

コメント 私も編集時のケアレスミスは多いので偉そうなことは言えないのですが、Steins;Gate‎でのJun2013さんの編集を見たときは少々驚いて動揺してしまいました。少々きつい言い方になってしまったかもしれません。現実とフィクションが虚実入り混じるような作品ではこうした混乱も少なからずあるでしょうから、お互い気をつけましょう。--Kanohara 2011年11月21日 (月) 08:40 (UTC)[返信]

楽曲の解説について

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すみませんでした。そのような規定があったとは知らずに勝手に編集してしまい、申し訳ありません。今後はこのようなことがないようにいたしますので、なにとぞご容赦ください。——以上の署名の無いコメントは、Key73041ノート履歴)さんが 2011年11月23日 (水) 14:31 (UTC) に投稿したものです(Kanoharaによる付記)。[返信]

コメント 了解しました。……まあ他の作品ですと、例えばサントラの何番の曲がどの場面に使われたとかいった記述は瑣末なことなので不要ということになると思うのですが、同作の場合は音楽を主題として扱った作品なので、私としては楽曲解説はあった方が良いのではないかと考えた次第です。なお、もし正当な理由があって記述を除去するときなどは、常に要約欄に記入するようにするとよいと思います。--Kanohara 2011年11月23日 (水) 15:30 (UTC)[返信]

ジョン・タイターについて

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はじめまして。記事を勝手に削除したことは申し訳ありませんでした。 これから本記事の修正について私の意見を2つ述べさせてください。 1.Steins;Gateの記事に関してですが、あくまで本記事の人物を題材にしたフィクション作品であるということで、関連項目に概要を記述する程度でいいのではないかと思います。 他の記事においても、実在の人物・団体や地域を題材にした作品は関連項目内に記述があります。また、当記事について、小説化やアニメ化に関する記載はあくまで関連項目である本記事において、不要だと思います。 2.「劇中のタイターは、2036年の未来から来た女性。当初は自分の素性を伏せた上で、主要登場人物の1人として活躍する。」という記述に関して。 作中のジョン・タイターは阿万音鈴羽ではなく、あくまでも「ネット掲示板上でタイムトラベラーを名乗る人物」です。それが物語後半で阿万音鈴羽であると判明しますが、判明前も判明後も、作中の現実世界では「ジョン・タイター」としてではなく「阿万音鈴羽」として行動しています。阿万音鈴羽=ジョン・タイターではなく、ネット掲示板上でタイムトラベラーを名乗る人物であるというところが重要なのではないかと思います。 --あーさん 2012年1月10日 (火) 04:09 (UTC)[返信]

コメント 記事にも「編集する前にこの記事のノートをご確認ください」の注意書きが貼ってありますが、その意見に対する反論については、既に昨年「ノート:ジョン・タイター#フィクションの記述を本文に載せる意味」で述べたつもりです。ジョン・タイター氏が本物のタイムトラベラーであったか否かを論じるのはほぼオカルトの領域であり、「単なるインターネット上の手の込んだ悪戯」として解釈する方が常識的な題材です。ですが少なくともフィクション作品の主要なモチーフとして大きな影響を与えていることは明らかですので、百科事典の使命として、記事の主題となる事物がどのような形で世の中に影響を与えたのかについて説明する必要があると考えます。(2)については、「劇中のジョン・タイターは(阿万音鈴羽の)変名である」ということだけ分かれば十分かと思います。--Kanohara 2012年1月10日 (火) 04:44 (UTC)[返信]

議論への参加依頼「アーティストのブログからしか出典が確認できない音楽作品の扱いについて」

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Louis XXです。Wikipedia‐ノート:特筆性 (音楽)#アーティストのブログからしか出典が確認できない音楽作品の扱いについてを提起しましたのでよろしければ御参加下さい。--Louis XX 2012年1月12日 (木) 01:37 (UTC)[返信]

ご相談

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こちらでははじめまして、獄児です。本当はプロジェクト:アニメのほうに投稿しようと思ったのですが、そこまでの内容かどうか自信がないので、この度はKanoharaさんのご意見を伺いたく思い、お邪魔させていただきました。

本題は、「作品に関する内容において出展とはどこまで求められるべきなのか」ということについてなのですが……。

ノート:ふたりはプリキュア#出典のない記述について、において、登場人物の存在そのものに出展を求められました。対話して具体的に出展を要求する内容について質問した結果、全てにおいて出展がないので、『wikipedia:検証可能性内の「2.記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典(参考文献)―を明らかにすべきです。出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。」』に基づいて、一週間以内に出展が付かない内容に関しては全削除を行うということを言われてしまいました。

……となると、例えば最近の番組の記事である戦姫絶唱シンフォギア#登場人物の内容において、主人公の少女が当該作品の主人公であるとする内容以外、出展が明記されていないので、つまりそれ以外(主人公であるとする)の内容は全て削除することが可能ということになると思います。これは登場人物に限らず、全ての内容に当てはまることでしょう。

今回の質問の理由になった記事は、決して良好な状態ではないということは感じますし、より出展を付記して内容の精度を高める作業が求められるべきだとは私も思います。とはいえ、件の議論の提案者の指摘するように登場人物の全内容そのものに出展を求めなくてはいけないほど、疑わしき内容が大半であるとは感じません。大体、これがまかり通るのであれば、先にあげた記事に限らず、ドラマ・アニメ・小説・漫画問わず、徹底した出展付記を厳守するようにすべきということになるでしょう。

こういった場合、やはり一つ一つの内容に出展のない記事が稚拙かつ悪であるからして、こと細かにに出展を付記すべきなのでしょうか?--獄児 2012年2月23日 (木) 23:40 (UTC)[返信]

コメント この手の議論は今まで何度か目にしていますが、とりあえず私の意見はノート:ふたりはプリキュア#出典のない記述についてにコメントさせていただきました。--Kanohara 2012年2月24日 (金) 14:01 (UTC)[返信]

今回の件に関するご助力・ご助言、誠にありがとうございました。--獄児 2012年2月28日 (火) 16:37 (UTC)[返信]

ご無沙汰しております。上記とは別件ですが、今、以前参加いただいた『ノート:スマイルプリキュア!#『話題』の内容精査』の議論に関係する問題提起が行われています。以前私が問題提起した話題の内容について、「出典が本当に信用に値するかどうか」という点について複数のIPユーザーさんが疑問を投げかけています。申し訳ないですが私はそれらの出典に関する信頼性を判断出来るだけの知識はございませんし、「様子を見てもいい」とは言ったものの内容そのものの存続には否定寄りですので、存続させるべきとされるのでしたら、是非とも疑問を投げかけている方に出典の信用性を解いて頂けないでしょうか?ご一考お願い致します。--獄児会話2012年5月19日 (土) 03:00 (UTC)[返信]

某クリエイター女氏についての回答

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あちらでは正直に行かない面もありプライバシーの観点でこちらへ回答します。その関係でイタヅラを防ぐ意味合いで曖昧で行きます。 自分は仕事の関係で造型の属性がありその関係で民俗学にも一応属性があるもので刑事と同じで疑い深い性分です。そのためイベントのチラシや冊子だけでなくあの場合は隣近所を当り第3者にお願いしまして確認作業を行いました。 民俗学と同じで簡単では無いでしょうがノート:サンキュー (小売)他にある通り純粋な目的であればどなたでも可能であると言えます。なお企業の場合は直接伺う様にしてますが面識の無い一個人は職人であっても上記の方法です。

無精者ゆえに文章力をはじめパソコンについては年少者レベルで180度正反対の誤解を受けたり荒しへの怒りに対して冷静に成る様にと諭されたりもしましてあちらではご迷惑を掛けたかと思います。ロケハンはスタッフと面識があったとしてもその割には事実とは誇張し過ぎているため試行錯誤の時期にウソを付いてませんかと相手へメッセージを送ろうとした訳です。こちらはノートで執筆者に連絡を取りまして削除か曖昧な記述で行きます。削除でなく客観的曖昧な記述で行く場合はアドバイス下さい。作品の特性上ロケハンと言うよりは某画材店へ一人で許可の下の写真撮影行うだけで某市フィルムコミッションも連絡が無く拍子抜けたそうで。 諸事情により確認作業に手間取りまして失礼致します。お近くのクリエイター系の文化に属性のある方か存じ上げませんがまた何かございましたらアドバイスよろしくお願いします。--Kazu7878 2012年11月8日 (木) 09:39 (UTC)

コメント ごめんなさい。何か月もウィキペディアの編集作業から遠ざかっていたこともあって、「某クリエイター女史」と言われてもどの記事のことを指してのことなのか、ちょっと思い当たりません。お力になれず申し訳ありません。--Kanohara会話2012年11月8日 (木) 10:13 (UTC)[返信]

フリーダムガンダムでの差し戻しについて

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ノート:フリーダムガンダム#ガンダム・ファクトファイルは捏造?を参照」と要約欄に記して差し戻しを行っておられますが、該当する議論の節に私の編集と関連するような話題は見当たりませんでした。 一体どう言う繋がりで、あの議論内容をもとに差し戻しを行ったのですか。見た限り「ファクトファイルはウィングガンダムゼロ等のページに間違いがあるからフリーダムガンダムのページも捏造」というこじ付けを言っている人が居て当然ながらそれを否定するという議論が行われているだけで、あの「備考」という節にある様な一文を記述せよ、と言う趣旨の話題は無いと思うのですが。--221.190.104.244 2013年2月3日 (日) 06:24 (UTC)[返信]

コメントWikipedia:中立的な観点」もご覧下さい。複数の信頼できる出典で食い違いがある場合は併記するのがウィキペディアの方針であり、どの資料が正しいのかを決めるのはウィキペディアの役割ではありません。--Kanohara会話2013年2月3日 (日) 22:26 (UTC)[返信]
その食い違いというものがフリーダムガンダムのノートを見ようが本文を見ようが見当たらないのですが。ファクトファイルにしても42話にしても、「出力8826KW」という同じ意味のことを別の言語で表記しているしているだけで、説の違いとか食い違いとか言う様なものではないでしょう。
もしこのような違いが有ることによって、諸元表に書くのを避け備考欄にあんな雑多な内容を書かなければいけないとしたら、重量や全高の設定だって表形式で書くのは止め、備考欄に「一方、ラウ・ル・クルーゼのディスク上では『Weight 71.5t』というデータもあり、同じ数値がデアゴスティーニ・ジャパンの『週刊ガンダム・ファクトファイル 第99号』の本機記事上に『重量 71.5t』として表記されている。」と書かなければいけないことになり、無駄に長い解説になるばかりか本文や表が成り立たなくなります。
もちろんこのような記述方法を採っている記事は、あの備考の動力の節しか無いので、ここだけ特別にそうするのであればそれに見合う特別な理由が必要になりますが、ノートページのどこを見てもそのような発言は見当たりませんでした。--221.190.104.244 2013年2月4日 (月) 03:46 (UTC)[返信]
コメント では「フリーダムガンダム」の履歴のうち、2012年4月頃の編集合戦を参照していただければ分かるでしょうか。出典の信憑性に疑問があると言い張っていた方が、「Capacityとput outは別物」という主張を元に独自研究的な記述を記事に追加したりしていたことがあって、現在の記述はその名残であったりします。同じように見えても実は違うのですよ。--Kanohara会話2013年2月4日 (月) 17:33 (UTC)[返信]
「同じように見えても実は違う」と言うのは、3月22日の版でIPユーザー「118.243.84.67」が言っているように、「Capacityは一度発生させたエネルギーを貯めて置ける許容量」であるからしてファクトファイル等にある「出力8826KW」とは違う意味である…と言う事でしょうか。
それならば申し上げます。この場合「Capacity 8826kw」とはファクトファイルなどで訳されているように「出力8826KW」と訳すものであり、どちらのソースも意味は違いません。IPユーザーが言っていることはただの勘違いでしょう。それ故彼は「実際の発電所でも Capacityとput outは分けられている」等と言っていますが、その裏付けを出していません。
「Capacity=エネルギーを貯めて置ける許容量」でありそれ以外に訳し方は無いという様な厳格な規定は有りませんし、そもそも「W(ワット)」とは仕事率と電力の単位であり「貯めて置ける許容量」に用いるものではありません。IPユーザーが主張するような意味なら単位は「F(ファラッド)」ですから、彼が言う様な解釈は成り立ちません。
現在備考欄の中にIPユーザーが言う様な勘違いは明記されていはいませんが、今のままでも出典表記を雑�