利用者:Tanuki Z
Tanuki Zは、京都市在住のウィキペディアン、ユーザー番号は612。投稿履歴を見てみると2003年9月9日からの参加ということになっているが本当の参加日はその数日前。管理者になったのは2004年6月9日。再信任は2004年12月7日、2007年2月1日。
私が書いた文章にtypoなんかありましたら、名前空間を問わず黙ってついでに直してくださると嬉しいです。報告も不要です。
- そろそろ動き始めようか。。自分を追い込まないと。準備用
現在の優先…Wikipedia‐ノート:管理者への立候補、Wikipedia‐ノート:管理者の解任…記事書きたいなぁ。暇ならどうぞ
- ユリウス・クラウディウス朝強化月間(休憩中)。ノビレスは書くことが多いなぁ。
新規を書いているのは記事執筆の意欲に燃えているときか、なにかの件でイラついているときのどっちかだったりします。
たびたび間違った書き込みをしてしまい多くの人に迷惑をかけてしまっています。
ということで私の書いたものはどんどん上書きしてください。また、なにかありましたら会話ページかメールでどうぞ。管理者機能についてWikipedia:コメント依頼/Tanuki Zでもどうぞ。
- 好きなもの - Wikipedia:中立的な観点。多くの人が編集し良い記事が出来ていく過程。
- あまり好きでないもの - 記事以外のページをプレビュー忘れで何回も編集すること。コピペ移動。ユーザーボックス
- 嫌いなもの - ステハン。著作権侵害投稿。権威主義者。
独り言
以下の文章は中立的観点に疑いがあり、非百科事典的です。
- 峰山町[1] 大宮町[2] 網野町[3] 丹後町[4] 弥栄町[5] 久美浜町[6]のスタブ化[7]。テンプレ…結局間に合わなかったけど、まあそのうち書こう。
- ストア派…超長期凍結中。いつかはやりたい。いつかは知らない。
- 他言語版のユーザー登録は言語間リンク専用。だからランキングに載っていてもその言語を理解しているはずがない。
- interwiki というのが誤用だというのは分かってはいる。だからなるべく要約には「+ en:」とか「+ de:, pl:」と書くようにしている。とは言え、数が多くなるといちいち面倒になってつい interwiki と書いてしまう。今は「+ 他言語」。
- 記事の本文中でリンクが張られている語句については関連項目で挙げる必要はないと思う。関連項目では「関連がある」ということしか伝わらないので出来る限り本文中で言及してどう関連しているのか示した方が良い。
- 書名の一部にリンクを作るのは好きではない。『タヌキの一生』より「タヌキの生態を調べた『タヌキの一生』」のほうがいいと思う。
- アニメや漫画の記事は外見の説明から入ったほうが良いのではないだろうか。
- 大項目主義は串ダンゴ的に説明できる場合はいいと思うけど、納豆的にしか説明できないものの場合は小項目主義の方がいいのではないだろうか。
- 過去ログはコピペで別ページより過去の版へのリンクが好き。「履歴編集したら現行のノートが消える」という欠点?もあるかもしれないが履歴が分散したまま元記事が削除されることを考えたらはるかに安全だと思う。最も良いのは移動でログ化だろうが。そもそも履歴編集をして現行の記事が消えてもrevertしたらいいだけだろうに。
- 安易な曖昧さ回避は安易な移動の比にならないほど厄介。議論に管理者が参加していなければもはや悲惨。
- 一覧系記事は定義が命。普通の記事は本文が充実していたらそれでいいが一覧系はとにかく定義。
- 一覧系記事は立ち上げるのは確かに簡単。でもそれを意味のあるものや人を感心させるようなものにするのは散文の記事の比にならないぐらい大変。
- ○○の一覧ではその主題の網羅やウィキペディアに必要なもののリストアップが目的。○○という記事中の一覧はそれを見てその概念がどういうものか分かるための例示が目的。そもそも目的が違う。
- 一覧を作ったらメンテナンスをする。ただしそれはかなり面倒。
- 管理者の数が足りていないということに異議を唱える管理者おそらく一人もいないだろう。ただ自分には常連不足の方が深刻に感じる。
- 世の中ほとんどのことが善でも悪でもない。それらのことにこだわるのは何ら意味がない。管理者もウィキペディア自体も、もちろん善でも悪でもない。自分はこの意味で「どうでもいいこと」という語を使っています。
- ○○の登場人物一覧をみているとイリアスの登場人物一覧とか作ってやろうかと思わないでもない。というかやりすぎだろ。。
- 運命の女神は自分の予想と予定を必ず裏切る。
- パンドラは女。。
- 他の場の慣習を持ち込むときにそこの慣習のうちなぜ「空気を読む」だけは無視するのだろうか。
- 何かをすると同程度に何かをしないにも意味を持たせているときもある。
- 質問の場は誘導質問の技量を競う場ではないはずなのだが。
- ルールは知っててもそのルールの根拠は知らない人がいる。卑俗化?
ポリシー
- たぶん小項目主義者。
- 発言する資格があり、機会があり、場所があり、意見があるなら発言するべき。それでも発言しなかったのならもはや文句を言う資格はない。
- 基本的に新記事は立てない。加筆中心。スタブを書きたい欲求はあるけど我慢。
- 自分の行動をいつでも説明できるようにするべき。説明できないような行動ははじめからしない方がマシ。これは他人への説明責任ではなく、良心への説明責任。
- 正しいことをするのに怒りは不用。食事する時怒りの助けを必要とする人はいない。
- ウィキペディアは自由であるべき。発言の制限も保護も最低限にしたい。…ウィキペディアに関しては保守主義なのかなぁ。
- 要するに発言に関しては事前抑制よりも事後抑制にするべきということ。
- 投稿ブロックはしません。
- 諫言をしてくれる1人は太鼓持ち100人に勝る。
- 正義は勝つ。そして勝てない戦はしない。
- 特定のバイアスだけ除去することは恣意でしかない。できる限り全て認める。
メモ
Wikipedia:Links to disambiguating pages
自戒
ノートページについて
- 自分の意図すること、尋ねたいこと、疑問に思ったことなどは一番最初に明確に書き込む。その際自分の立場も明言しておく。
- 議論の前提を確認するのは悪くない選択肢。
- 多少面倒でもできる限り言葉を省略しない。自分が思ったとおりの意図が相手に伝わるとは限らない。
- 「文脈から推測して」は自分の文章では考えない。自分で書いたのだから背景がわかるのは当たり前。他人も同じ推測をするとは限らない。
- 挑発的、嘲笑的な言葉は使わない。使う必要性がまったくない。どうしても一言言いたければ自分の利用者ページに相手をぼかして一般論として述べるか相手に直接メールを送ればいい。
- wikipediaは議論場ではないのだから相手から反応がなくても気にしない。むしろ特定の相手に催促をしてはその人の時間を不当に奪うことになる。また、その特定の人以外の人が意見を述べにくくもなるので避ける。議論を望んでwikipediaに参加している人はほとんどいないのだから。
- 「エッセイ的」という言葉で指摘はできるだけしない。自分で中和できるならそれをして、出来ないなら違う言葉で指摘する。「エッセイ的」という言葉の認識が人によって異なる以上使わないほうが無難。
- 「エッセイ的」と自分に思える人はどう書くべきかを知らないのだから、どうすべきか一緒に考えることが双方の利益。
全般について
- なるべく「あやふやな表現」は使わない。できる限り調べて「確かな表現」ができるようにする。
- 削除依頼に注意する。依頼が出されているものに加筆しては手続きが面倒になってしまい他人に迷惑がかかる。
- ページの移動の際にはノートで提案してみる。いい意見が出されるかもしれないし、何も意見がなくとも少し待つことで自分の判断を吟味できる。
- ただし全角英数や括弧の使い方の間違いはすぐに移動する。一応前から数えた方が早い参加者なのだから。
- 英語版は絶対ではない。しかし非常に参考になる。だから鵜呑みにせず参考に留めるべき。
- 自分に非があれば素直に謝る。相手に非があれば論理的に指摘する。
- 編集統合の際、自分の文章を上に貼り付けるのはいいが、間違って必要な部分まで上書きして消さないように注意する。
- 制限時間付きの記事執筆は行なわない。もっと気軽にやったほうがいい。
- 意見を発するのに恐れてはいけない。議論は望まないでも多くの人は意見を欲している。
- 日本版じゃない、日本語版。書いた人間が日本人とわかるようでは偏っている。「日本の」を忘れずに。
- キャッシュを忘れない。
- コピペ移動はしない、これは当たり前。保存する前にプレビューだけでなく「記事名」も確認すること。
- 付属の削除依頼は言及された時点からカウント。本依頼と同時に削除では一週間を経過していない可能性もある。
- カテゴリなどどうでもいいこと。熱くなる必要もあるまい。
- 今後の予定は誰かには知らせておく。
忘れてはいけないこと