鹿津部真顔

鹿津部 真顔(しかつべの まがお、1753年宝暦3年) - 1829年7月6日文政12年6月6日))は、江戸時代後期の狂歌師戯作者鹿都部真顔とも書く。通称は北川嘉兵衛、号に紀真顔・狂歌堂・鹿杖山人・俳諧歌場・万葉亭・四方歌垣・四方真顔・好屋翁・恋川好町など[1]

略歴

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1781年(天明元年)洒落本『袖かがみ』に初めて名前が見え、黄表紙洒落本などを天明年間に刊行する[1]1782年(天明2年)に狂歌界へ入り、師は元木網で、1784年(天明4年)頃に大田南畝門下となり、算木有政銭屋金埒らと「スキヤ連」を結成した[1]。やがて、宿屋飯盛頭光・金埒らと狂歌四天王と称された[1]1794年寛政6年)南畝から「四方姓」を譲られ、飯盛と化成期の狂歌界を二分した[1]。真顔は天明狂歌が奔放無軌道に陥ったことを是正しようと、鎌倉室町期の狂歌を本来の姿であるとする「俳諧歌」を提唱したが、一般からは親しまれず、結果として狂歌の衰退をもたらした[1]。晩年は家庭的にも恵まれず、貧窮のうちに没した[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 岡本勝雲英末雄『新版近世文学研究事典』おうふう、2006年2月、275頁。