十便十宜
『十便十宜』(じゅうべんじゅうぎ)は、清の劇作家李漁(李笠翁)が、別荘伊園での生活をうたった詩『十便十二宜詩』のうちの十便十宜(2つの宜の詩は見つかっていない[1])のこと[2]。『十便十二宜詩』は、草蘆を山麓にむすんで、門をとじて閑居したところ、客の訪問を受け、静は静であろうが、不便なことが多いであろうといったのに対して、便(便利なこと)と宜(よいこと)の詩をつくってこたえたというもの。これに基づいて1771年に池大雅が「十便帖」、与謝蕪村が「十宜帖」を描き、合作した画帖が「十便十宜帖」である。慣用的に「十便十宜図」とも。大雅作の「釣便」は名高い。
「紙本淡彩十宜図〈与謝蕪村筆〉」・「紙本淡彩十便図〈池大雅筆〉」として、1935年4月30日に重要文化財、1951年6月9日に国宝に指定されている[3][4]。
両者に制作を依頼したのは、鳴海宿の豪農・下郷学海である。学海は大雅の弟子で、大雅が尾張に逗留した際には学海宅に宿泊するなど交流があり、大雅が蕪村に呼びかけてこの共作が実現したという。志賀直哉は、大正時代に所有者だった松本枩蔵宅でこの実物を見て感動し、『座右宝』(自薦の美術図録。大正15年刊)の一つに池大雅の「十便帖」を選んでいる[5]。川端康成が、戦後まもなく家を買うのをあきらめ、これを蒐集し現在は川端康成記念館蔵[6]。
十便帖
[編集]池大雅図。李漁が伊園においていう「十の便利」を絵画化したもの。自然と共に生きる人間の豊かさを画面いっぱいに描きこんでいる。
- 耕便(こうべん)
- 汲便(きゅうべん)
- 浣濯便(かんたくべん)
- 灌園便(かんえんべん)
- 釣便(ちょうべん)
- 吟便(ぎんべん)
- 課農便(かのうべん)
- 樵便(しょうべん)
- 防夜便(ぼうやべん)
- 眺便(ちょうべん)
田を耕すに、水を汲むに、洗濯をするに、畑に水をやるに、釣りをするに、詩を吟ずるに、農を課するに、樵をするに、夜のしたくをするに、眺めるに便な生活であると詠んでいる[5]。
十宜帖
[編集]与謝蕪村図。自然が四季や時間、天候によって移り変わるそれぞれの「十の宜いこと」を絵画化したもの。線の使い分けなど、自然描写が美しく、俳人として生きた蕪村の個性が表れている。
- 宜春(ぎしゅん)
- 宜夏(ぎか)
- 宜秋(ぎしゅう)
- 宜冬(ぎとう)
- 宜暁(ぎぎょう)
- 宜晩(ぎばん)
- 宜晴(ぎせい)
- 宜風(ぎふう)
- 宜陰(ぎいん)
- 宜雨(ぎう)
脚注
[編集]- ^ レファレンス事例詳細1000142412レファレンス協同データベース、国立国会図書館
- ^ 十便十二宜詩世界大百科事典
- ^ “紙本淡彩十宜図〈与謝蕪村筆/〉”. 文化遺産オンライン. 2017年9月4日閲覧。
- ^ “紙本淡彩十便図〈池大雅筆/〉”. 文化遺産オンライン. 2017年9月4日閲覧。
- ^ a b 呉谷充利「志賀直哉と柳宗悦 : 生きられた日本の近代 2」『相愛女子短期大学研究論集』第47巻、相愛女子短期大学、2000年、23-47頁、ISSN 0910-3546、NAID 120005570541。
- ^ 完全複製がある(筑摩書房「書画名品複製」、1970年)