原信太郎
原 信太郎(はら のぶたろう、1919年(大正8年)4月4日 - 2014年7月5日[1])は、日本の実業家、鉄道模型収集家。
日本で初めて旅客車としての地下鉄(東京地下鉄道。現:東京メトロ銀座線)に乗車した乗客第一号の人物としても知られる[2]。 長男はアライアンス・フォーラム財団代表理事の原丈人。義父はコクヨ創業者の黒田善太郎。
人物
[編集]1940年(昭和15年)慶應義塾高等部、1942年(昭和17年)東京工業大学工学部機械工学科各卒業。1951年(昭和26年)コクヨに入社。同社取締役技術部長、常務開発本部部長兼管理部長、関連会社役員を経て、1983年(昭和58年)専務に就任。1985年(昭和60年)には相談役に就任した。
在職中は世界初の立体自動倉庫やオフィス家具自動一貫製造ラインなどを開発し、300以上の技術特許を個人で請願・維持[4]。退職後、若手研究者の海外論文発表のための助成をする「財団法人原総合知的通信システム基金」設立。
1986年(昭和61年)4月、シャングリラ・列車博物館を自宅内に開設し、世界の歴史的車両を模型で展示した。
2012年(平成24年)には、横浜市に「原鉄道模型博物館」開館。
脚注
[編集]- ^ “原信太郎氏が死去 元コクヨ専務”. 日本経済新聞 (2014年7月7日). 2021年11月25日閲覧。
- ^ 実際には、この2年前の1925年に宮城電気鉄道(現:東日本旅客鉄道仙石線)の仙台駅 - 東七番丁駅間に約400mほどの地下鉄が旅客列車として開通していたが、この時の乗客第一号についての記録が残されていないことや、極めて短区間であることから、日本地下鉄協会は東京地下鉄道銀座線の開業を日本初の本格的旅客用地下鉄としているため、その乗客第一号である原が日本初の旅客用地下鉄乗客と認定されている。
- ^ 『人事興信錄』人事興信所、2003年 。
- ^ “創設者 原信太郎”. 原鉄道模型博物館. 2021年11月25日閲覧。