反省
反省(はんせい、一般的には、振り返ったあとそれについて何らかの評価を下すこと[1]、あるいは自分の行動や言動の良くなかった点を意識しそれを改めようと心がけること[1]。あるいは自己の心理状態を振り返り意識されたものにすること。中心的な考えである自分の過ちを認めることと改善を誓約する意味、文化。
道徳的な意味を含んで使われることが多く、省(かえり)みる、という文字自体が道徳的意味を含むが、また単純なフィードバックの意味でも使われる。
ジョン・ロックは反省を、外的対象に向けられる感覚に対して、意識の働きに向けられた内的感覚と考えた(ジョン・ロック#哲学を参照)。
哲学史において、アリストテレスは感覚を五感に制限して内的感覚を否定したが、プラトンは、「精神の目」を認めていた。カントは、これを「内的直観」と呼び、ヘーゲルは反省を、相関的な関係を持った二つのものの間にある相互的反射関係を示すために用いた。
これはドイツ語のことわざ「Selbsterkenntnis ist der erste Schritt zur Besserung」に似ている。最も近い翻訳として「自分自身への洞察は改善への第一歩である」。
行動手法として
[編集]いわゆるフィードバック、省察。
以下の行動手法における反省のプロセスでは、何が悪かったのか、それが再発しないようにするための明確な計画を立てることに重点が置かれており、これは絶えずそして一貫して行われる。 トヨタではたとえあなたがプロジェクトを成功裡に終えたとしても、何が悪かったのかを検討するために反省会が行われる。その際、プロジェクトに問題がないとマネージャーやエンジニアが主張した場合「問題はないことは問題である」ということを思い起させる。つまり、改善の機会を見つけるためにプロジェクトを客観的かつ批判的に評価していなくてはならなく、予想される能力を満たす(または超える)までストレッチをしていくのである[2]。
文化的な例
[編集]例としては、汚職に関与した日本の政治家の行動が挙げられる。彼らは不適切な行動を公に謝罪し、それから数年間謹慎して公共の政治から距離を置く。彼らは反省期間を置きそれを認められた後にキャリアを再開する。
日本企業では失態が発生した場合にマネージャーが部下からハンセイを期待するのが一般的なやり方である。部門が問題の解決に取り組んでいる間、マネージャーが公の非難を一手にうけもつのである。
その他の用途
[編集]ハンセイはまた謙虚さとともに挨拶によって成功の概念を取り入れている。 反省をやめるということは、学習をやめるということである。ハンセイするということは自分の優位性に自信が持てなくなり、さらなる改善の余地がある、または必要であると常に感じているのである。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 森宏一編集『哲学辞典』第4版、青木書店、1985年