土屋寛
土屋 寛(つちや ゆたか、1880年(明治13年)12月10日[1] - 1950年(昭和25年)11月12日[2])は、衆議院議員(立憲民政党)、尾道市長。
経歴
[編集]広島県御調郡栗原村(のち栗原町)出身。御調郡書記を務めた後、1909年(明治42年)に栗原村の村長に選出され[1]、町制施行後も町長を務めた[3]。また、広島県会議員に選出され、県会の郡部会議長にも就任した。
1930年(昭和5年)、第17回衆議院議員総選挙に出馬し当選。当選回数は合計で4回を数えた。その間、1940年(昭和15年)から1942年(昭和17年)にかけて尾道市長を務めた。
戦後、日本進歩党の結成に参加するが、大政翼賛会の推薦議員だったため、間もなく公職追放となった[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『広島県紳士名鑑』国民教育普及社、1917年。
- 『衆議院要覧(乙)昭和十七年十一月』衆議院事務局、1942年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。