夕顔 (駆逐艦)
艦歴 | |
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計画 | 1918年度(八六艦隊案) |
起工 | 1922年5月15日 |
進水 | 1923年4月14日 |
就役 | 1924年5月31日(第十二駆逐艦) |
転籍 | 1940年4月1日 哨戒艇 |
その後 | 1944年11月10日沈没 |
除籍 | 1945年1月10日 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:820トン |
全長 | 83.8m |
全幅 | 8.08m |
吃水 | 2.51m |
主缶 | ロ号艦本式缶3基 |
機関 | オールギアードタービン2基2軸 21,500shp |
最大速力 | 35.5ノット |
航続距離 | |
乗員 | |
兵装 | 12.0cm単装砲3基 6.5mm単装機銃2基 53cm連装発射管2基4門 |
夕顔(ゆうがお/ゆふがほ)は、日本海軍の駆逐艦。若竹型駆逐艦の6番艦である。
艦歴
[編集]- 1923年(大正12年)4月14日 - 進水(石川島造船所建造)。進水時の名称は「第十二駆逐艦」。
- 1924年(大正13年)4月1日 - 「第十二号駆逐艦」に艦名変更。
- 5月31日 - 竣工
- 1928年(昭和3年)8月1日 - 「夕顔」に艦名変更。
- 1940年(昭和15年) 4月1日 - 哨戒艇に類別変更し第46号哨戒艇に改称。
- 1941年(昭和16年) - 太平洋戦争に参戦。パラオ、トラック方面の船団護衛などに従事。
- 1944年(昭和19年) 11月10日 - 石廊崎沖で米潜水艦「グリーンリング」の雷撃を受け戦没。
歴代艦長
[編集]※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。階級は就任時のもの。
艤装員長
[編集]- 丸山良雄 少佐:1924年3月20日[1] -
駆逐艦長
[編集]- 丸山良雄 少佐:1924年5月31日 - 11月10日[2]
- 徳富太多雄 大尉:1924年11月10日[2] - 1925年12月1日[3]
- (兼)中原達平 少佐:1925年12月1日 - 1926年11月1日[4]
- 平塚四郎 少佐:1926年11月1日 - 1929年11月1日
- 有賀幸作 大尉:1929年11月1日 - 1930年12月1日
- 天谷嘉重 大尉:1930年12月1日 - 1931年10月15日[5]
- 石畑四郎 少佐:1931年10月15日[5] - 1932年12月1日[6]
- 西川一男 大尉:1932年12月1日[6] - 1934年1月15日[7]
- 磯久研磨 少佐:1934年1月15日 - 11月15日
- 鈴木正明 少佐:1934年11月15日[8] - 1935年10月31日[9]
- 安並正俊 大尉:1935年10月31日[9] - 1936年7月21日[10]
- 大石新一 少佐:1936年7月21日[10] - 1936年12月1日[11]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 『官報』