大石主税良金ら十士切腹の地

松平隠岐守三田中屋敷跡

大石主税良金ら十士切腹の地(おおいし ちから よしかねら じっし せっぷくの ち)は東京都港区三田二丁目にある史跡。かつて伊予松山藩中屋敷だった。現在は駐日イタリア大使館となっている。

赤穂浪士

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預けられた赤穂浪士10名

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  1. 大石主税(良金)
  2. 堀部安兵衛(武庸)
  3. 木村岡右衛門(貞行)
  4. 中村勘助(正辰)
  5. 菅谷半之丞(政利)
  6. 千馬三郎兵衛(光忠)
  7. 不破数右衛門(正種)
  8. 大高源吾(忠雄)
  9. 貝賀弥左衛門(友信)
  10. 岡野金右衛門(包秀)

元禄16年(1703年)2月4日に江戸幕府の命により上記の赤穂浪士が切腹した地で、久松松平家は赤穂浪士を冷遇したと伝わるが[1]異説もある。 松山藩の屋敷跡には赤穂事件の遺構は残っていなかったが、昭和14年(1939年)に徳富蘇峰揮毫の「赤穂浪士十名切腹ノ地・伊太利大使館」碑[2][3]が当時の駐日イタリア大使によって大使館敷地内に建立された。

敷地内のため立ち入りはできず[4]、国際情勢に伴う在外公館の警備強化の方針で、見学不可。「赤穂民報」によると数年に一度は供養の行事を行っているという[5]

赤穂浪士終焉の地

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四十六士がお預けとなった4藩の藩邸は、いずれも今日の東京都港区にある。

預先 江戸藩邸 史跡 所在地
細川越中守(綱利) 肥後熊本藩 高輪下屋敷 大石良雄外十六人忠烈の跡 高輪一丁目
水野監物(忠之) 三河岡崎藩 芝中屋敷 水野監物邸跡 芝五丁目
松平隠岐守(定直) 伊予松山藩 三田中屋敷 大石主税良金ら十士切腹の地 三田二丁目
毛利甲斐守(綱元) 長門長府藩 麻布上屋敷 毛利甲斐守邸跡 六本木六丁目

脚注

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  1. ^ 「細川の 水の(水野忠之)流れは清けれど ただ大海(毛利甲斐守)の 沖(松平隠岐守)ぞ濁れる」の狂歌が残る。
  2. ^ 石碑には「徳富正敬」の標記となっている。
  3. ^ ただし、徳富蘇峰は『近世日本国民史』では「不揃家来、徒党を組み吉良邸に押し入り、翌年二月斉しく切腹」と記し、所謂「義士否認論」についても述べている。
  4. ^ 治外法権により、大使館および外交官には本国の法制が及び、在留国の法制が一切及ばない。
  5. ^ 赤穂民報「イタリア大使館で義士慰霊祭」(2015.12.5)

関連項目

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