大若松好弘
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基礎情報 | ||||
四股名 | 大若松 好弘 | |||
本名 | 若松 好弘 | |||
生年月日 | 1966年11月17日(57歳) | |||
出身 | 埼玉県越谷市 | |||
身長 | 188cm | |||
体重 | 158kg | |||
BMI | 44.70 | |||
所属部屋 | 大鵬部屋 | |||
得意技 | 左四つ、上手投げ | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 東前頭13枚目 | |||
生涯戦歴 | 373勝351敗32休(85場所) | |||
幕内戦歴 | 24勝32敗4休(4場所) | |||
優勝 | 三段目優勝1回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 1982年3月場所 | |||
入幕 | 1990年7月場所 | |||
引退 | 1996年3月場所 | |||
引退後 | 年寄・音羽山→年寄・浅香山 | |||
備考 | ||||
2013年9月2日現在 |
大若松 好弘(おおわかまつ よしひろ、1966年11月17日 - )は、埼玉県越谷市出身で大鵬部屋に所属した元大相撲力士。本名は若松 好弘(わかまつ よしひろ)。身長188cm、体重158kg。得意手は左四つ、上手投げ。最高位は東前頭13枚目(1991年1月場所)。
来歴
[編集]中学時代はテニス部に所属していた。その頃から体が大きかったため、中学2年の時に父親の知人から、大鵬親方(元横綱・大鵬)を紹介され入門を決意。中学卒業と同時に大鵬部屋に入門し、1982年3月場所に初土俵を踏んだ。苗字が年寄株「若松」と同じであったため、苗字に「大」を付けて大若松の四股名を名乗ることとなった。以降、幕下でやや苦労したものの着実に番付を上げて行き、1988年9月場所には十両に昇進した。1場所で幕下に陥落したが、1989年3月場所に復帰すると十両に定着。1990年7月場所には新入幕を果たした。左四つの形に填った相撲では力を発揮した。しかし、通算4場所幕内を経験したが、攻めがやや遅い部分があり、怪我にも泣かされ幕内に定着することが出来なかった。その内、2場所は7勝8敗と惜しくも負け越した。幕内の土俵で左膝を故障してから本来の相撲が取れなくなり、1992年5月場所には幕下に陥落した。1994年3月場所に1度だけ十両に復帰したが十両に定着できず、幕下の土俵が続き、1996年3月場所を最後に現役を引退。年寄・音羽山を襲名し、大鵬部屋の部屋付きの親方として後進の指導に当たった。後に年寄・浅香山に名跡変更し、NHK大相撲中継の解説では明確で分かりやすい解説を行った。しかし、2002年2月12日付けで日本相撲協会を退職。退職後は、東京・錦糸町で「炭火焼肉 天」を経営したが、後に閉店。現在は流通関係の仕事についているという。
主な成績
[編集]- 通算成績:373勝351敗32休 勝率.515
- 幕内成績:24勝32敗4休 勝率.429
- 現役在位:85場所
- 幕内在位:4場所
- 各段優勝
- 三段目優勝:1回(1987年9月場所)
場所別成績
[編集]一月場所 初場所(東京) | 三月場所 春場所(大阪) | 五月場所 夏場所(東京) | 七月場所 名古屋場所(愛知) | 九月場所 秋場所(東京) | 十一月場所 九州場所(福岡) | |
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1982年 (昭和57年) | x | (前相撲) | 西序ノ口38枚目 3–4 | 東序ノ口13枚目 5–2 | 東序二段128枚目 4–3 | 東序二段97枚目 4–3 |
1983年 (昭和58年) | 西序二段73枚目 2–5 | 東序二段100枚目 4–3 | 東序二段78枚目 4–3 | 西序二段54枚目 2–5 | 東序二段87枚目 4–3 | 東序二段70枚目 4–3 |
1984年 (昭和59年) | 西序二段40枚目 6–1 | 西三段目80枚目 2–5 | 西序二段5枚目 2–5 | 西序二段32枚目 5–2 | 西三段目98枚目 5–2 | 西三段目65枚目 2–5 |
1985年 (昭和60年) | 西三段目98枚目 5–2 | 西三段目66枚目 6–1 | 西三段目21枚目 2–5 | 西三段目49枚目 5–2 | 東三段目19枚目 2–5 | 東三段目43枚目 5–2 |
1986年 (昭和61年) | 西三段目9枚目 4–3 | 東幕下58枚目 3–4 | 西三段目11枚目 4–3 | 西幕下54枚目 4–3 | 東幕下40枚目 1–6 | 東三段目6枚目 2–5 |
1987年 (昭和62年) | 東三段目36枚目 6–1 | 西幕下54枚目 5–2 | 東幕下35枚目 2–5 | 東幕下57枚目 3–4 | 西三段目9枚目 優勝 7–0 | 東幕下14枚目 3–4 |
1988年 (昭和63年) | 西幕下20枚目 5–2 | 東幕下10枚目 4–3 | 東幕下5枚目 4–3 | 東幕下2枚目 4–3 | 西十両13枚目 5–10 | 西幕下5枚目 4–3 |
1989年 (平成元年) | 西幕下2枚目 4–3 | 西十両13枚目 10–5 | 西十両5枚目 8–7 | 東十両4枚目 8–7 | 東十両3枚目 6–9 | 西十両8枚目 8–7 |
1990年 (平成2年) | 東十両3枚目 8–7 | 西十両2枚目 7–8 | 西十両3枚目 11–4 | 西前頭13枚目 7–8 | 西十両筆頭 7–8 | 東十両3枚目 9–6 |
1991年 (平成3年) | 東前頭13枚目 4–11 | 西十両5枚目 8–7 | 西十両3枚目 9–6 | 東前頭16枚目 7–8 | 西十両筆頭 9–6 | 東前頭14枚目 6–5–4[1] |
1992年 (平成4年) | 西十両3枚目 休場 0–0–15 | 西十両3枚目 2–10–3 | 西幕下2枚目 0–1–6 | 東幕下42枚目 4–3 | 東幕下31枚目 2–5 | 西幕下48枚目 4–3 |
1993年 (平成5年) | 東幕下38枚目 4–3 | 東幕下27枚目 4–3 | 東幕下19枚目 5–2 | 西幕下10枚目 4–3 | 東幕下6枚目 5–2 | 西幕下2枚目 4–3 |
1994年 (平成6年) | 西幕下筆頭 4–3 | 東十両13枚目 6–9 | 西幕下3枚目 2–5 | 西幕下16枚目 4–3 | 西幕下11枚目 4–3 | 東幕下7枚目 4–3 |
1995年 (平成7年) | 西幕下3枚目 4–3 | 東幕下2枚目 3–4 | 東幕下6枚目 3–4 | 東幕下12枚目 2–5 | 東幕下29枚目 2–5 | 西幕下45枚目 3–4 |
1996年 (平成8年) | 西幕下54枚目 5–2 | 東幕下33枚目 引退 0–3–4 | x | x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
[編集]力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
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旭里 | 1 | 0 | 恵那櫻 | 1 | 0 | 春日富士 | 2 | 0 | 北勝鬨 | 1 | 1 |
旭豪山 | 1 | 0 | 旭道山 | 2 | 1 | 鬼雷砲 | 1 | 0 | 起利錦 | 0 | 2 |
久島海 | 1 | 1 | 琴稲妻 | 1 | 1 | 琴ヶ梅 | 1 | 2 | 琴椿 | 0 | 2 |
琴富士 | 0 | 1 | 逆鉾 | 0 | 1 | 陣岳 | 1 | 1 | 大輝煌 | 0 | 1 |
大翔鳳 | 1 | 1 | 大善 | 1 | 0 | 貴ノ浪 | 0 | 1 | 貴乃花 | 0 | 1 |
隆三杉 | 1 | 1 | 多賀竜 | 1 | 0 | 栃司 | 0 | 1 | 栃乃和歌 | 0 | 1 |
巴富士 | 0 | 1 | 豊ノ海 | 2 | 0 | 花ノ国 | 0 | 1 | 舞の海 | 0 | 1 |
三杉里 | 0 | 1 | 水戸泉 | 0 | 1 | 武蔵丸 | 0 | 1 | 両国 | 0 | 2(1) |
改名歴
[編集]- 大若松 好弘(おおわかまつ よしひろ)1982年3月場所~1994年3月場所
- 大若、松 好弘(読み方同じ)1994年5月場所~1996年3月場所
※若、は右の「ナ」と「口」の間に「、」が付いた創作漢字
年寄変遷
[編集]- 音羽山 好弘(おとわやま-)1996年3月~1997年11月
- 浅香山 好弘(あさかやま-)1997年11月~2002年2月
脚注
[編集]- ^ 左膝内側側副靱帯損傷により11日目から途中休場