天皇訪中
天皇訪中(てんのうほうちゅう)(天皇の中国訪問)は、1992年10月23日から28日にかけて当時天皇だった上皇明仁が天皇として歴史上初めて中国を訪問した出来事[1]。
概要
[編集]1989年の6月の天安門事件で民主化運動を弾圧して西側諸国から経済制裁を受けていた中華人民共和国は、1992年が日中国交正常化20周年を機会に事態の打開を図るために日本政府に天皇訪中を繰り返し要請していた[2]。しかし、天皇の政治利用になりかねないと政権与党の自由民主党には慎重意見もあった中、小和田恒事務次官以下の当時の外務省官僚が政界工作やマスコミ工作などを行い主導して実現させていたことが2023年12月20日に公開された外交文書で明らかになった[3]。また当時、天皇は北京で行われた楊尚昆国家主席主催の晩餐会において日中戦争などの過去の両国の歴史問題について「わが国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります」との「お言葉」を述べていた[4]。
この天皇訪中は当時の中国の外相の銭其琛氏も回顧録の『zh:外交十記』で「西側の対中制裁を打破するうえで、積極的な作用を発揮した」と記しているように天安門事件で民主化弾圧、人権弾圧をして国際社会から孤立していた中華人民共和国に助け船を出すことになったが、現在の中国側の公式歴史書には一切書かれていない[5]。 またこの時、天皇の訪中を要請した江沢民中国共産党総書記は自身が国家主席となると反日的な愛国主義教育を中国人民に行い始め、2010年に国賓として来日した時は宮中晩アジ餐会において歴史問題に言及して日中友好ムードをぶち壊したことにより、外務省が主導した天皇訪中は完全に失敗であったことが明らかになっている[6]。
評価
[編集]外務省アジア局は天皇訪中をきっかけに日中関係がますます盛り上がり、中国にとっての日本の重要性が増すと見込んでいたが、実際には中国はこれ以降ますます反日スタンスを強め対日賠償請求運動や歴史問題は悪化し、中国は民主化することもなく、中国共産党による一党独裁が継続し、天皇訪中の事実は中国の公式記録すら記されていないという。日本の外務省の見通しは全くはずれだったと酷評されている[7]。
主要人物(日本側)
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 中華人民共和国ご訪問(平成4年) - 宮内庁HP
- ^ 平成4年の天皇ご訪中に外務省がマスコミ工作 「反対か賛成か」共同通信社長に詰め寄る - 産経新聞 2023/12/20 10:00
- ^ 中国「天皇訪中」繰り返し要請、外務省は訪韓も検討 平成3年の外交文書公開 - 産経新聞 2022/12/21 10:23
- ^ 天皇皇后両陛下 中華人民共和国ご訪問時のおことば 宮内庁HP https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/speech/speech-h04e-china.html
- ^ 消えた天皇訪中 中国の公式歴史書に記載なし【中国ウオッチ】2023年12月27日12時00分 時事ドットコムplus https://www.jiji.com/jc/v8?id=2023-12-27-chinawatch
- ^ 誤った対中認識に基づき天皇ご訪中推進 外務省、平成4年外交文書で明らかに 2023/12/30 17:24 THE SANKEI SHIMBUN https://www.sankei.com/article/20231230-BDPSEP7MBRLQPISV5K7LLN2OBY/
- ^ 消えた天皇訪中 中国の公式歴史書に記載なし【中国ウオッチ】 2023年12月27日12時00分。時事ドットコムニュース https://www.jiji.com/jc/v8?id=2023-12-27-chinawatch