岩本平蔵
岩本 平蔵(平藏、いわもと へいぞう、1869年12月5日(明治2年11月3日[1][2])- 1924年(大正13年)6月15日[3][注釈 1])は、明治から大正期の実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]大和国吉野郡、現在の奈良県[3]吉野郡上北山村[4][5][6]で、岩本武平の三男として生れ[2][4]、1876年(明治9年)1月、岩本金平の養子となり[2][4]、1888年(明治21年)5月に家督を相続した[2]。漢籍を修め[3]、その後、数学、森林学などを学んだ[7]。
材木業を営む[2][3]。北山銀行重役、芳南木材会社重役、吉野北山郷材木同業組合長、地方森林会議員などを務めた[3][5][7]。
政界では、吉野郡会議員、奈良県会議員、同参事会員、同副議長を務めた[2][3][4][5][7]。1912年(明治45年)5月の第11回衆議院議員総選挙で奈良県郡部から立憲政友会所属で出馬して初当選[2][8]。1915年(大正4年)3月、第12回総選挙でも再選された[8]。第13回総選挙では次点で落選[9]。1920年(大正9年)5月の第14回総選挙では三重県第9区から立憲政友会所属で出馬して当選し[10]、衆議院議員に通算3期在任した[3][4]。この間、政友会院内幹事、同幹事、同協議員などを務めた[6]。
1924年6月、郷里の上北山村で死去した[4]。
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『大正過去帳』301頁では6月16日。
出典
[編集]- ^ 衆議院『第三十六回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1915年、11頁。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第4版』い89頁。
- ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』83頁。
- ^ a b c d e f 『大正過去帳』301頁。
- ^ a b c 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』62頁。
- ^ a b 『立憲政友会功労者追遠録』33-34頁。
- ^ a b c 『現代日本の政治家』政友会3-4頁。
- ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』53頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』87頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第14回』13頁。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第14回』衆議院事務局、1924年。
- 青野権右衛門編『立憲政友会功労者追遠録』安久社、1933年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 『大正過去帳 物故人名辞典』東京美術、1973年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。