川勝広利
時代 | 江戸時代前期 - 江戸時代中期 |
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生誕 | 承応2年(1653年) |
死没 | 元禄15年1月6日(1702年2月2日) |
別名 | 傳之介、十郎右衛門(通称) |
戒名 | 道郁(法名) |
墓所 | 東京都港区東麻布の瑠璃光寺 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川家綱→綱吉 |
氏族 | 川勝氏 |
父母 | 父:川勝広有、母:松平伊耀の娘 |
兄弟 | 広利、某(新蔵)、某(虎之助)、 五井松平忠明、女子(織田信成室)、 女子(長谷川勝知室) |
妻 | 正室:大草高盛の娘 |
子 | 広豊、某(善左衛門)、女子 |
川勝 広利(かわかつ ひろとし)は、江戸時代前期から中期の旗本。秀氏流川勝家(本家)の4代当主。
生涯
[編集]承応2年(1653年)、川勝広有の嫡男として江戸に生まれた。寛文7年(1667年)閏2月28日、16歳で初めて将軍徳川家綱に謁見した。
寛文12年(1672年)5月26日、書院番となった。延宝元年(1673年)12月11日、父広有の死去により、その家督(丹波内2,570石余)を継いだ。
元禄15年(1702年)1月6日、50歳で没した。家督は嫡男の広豊が継いだ。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年
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