市川寿美礼
いちかわ すみれ 市川 寿美礼 | |
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1955年 | |
本名 | 松本 定子 |
別名義 | 市川 すみれ(旧芸名) |
生年月日 | 1928年1月5日 |
没年月日 | 1972年8月5日(44歳没) |
出身地 | 日本・北海道札幌市 |
死没地 | 日本 |
身長 | 157 cm[1] |
職業 | 女優 |
活動期間 | 1945年[2] - 1972年 |
主な作品 | |
ラジオドラマ 『サザエさん』 テレビドラマ 『繭子ひとり』 |
市川 寿美礼(いちかわ すみれ〈旧芸名:市川 すみれ(読み同じ)〉、1928年1月5日[1][2][3][4] - 1972年8月5日[3][5][6])は、日本の女優、声優[7]。
人物
[編集]北海道札幌市生まれ[3][注釈 1]。札幌実践女学校卒業[8][注釈 2]。実家は洋裁屋を営んでいた[9]。
1943年、市川三升の門下に入り[3][4][6]、東京劇場で初舞台[2]。1945年に劇団新派に入団し、市川紅梅に師事[1][3][4]。明るい下町娘役など2枚目半的な役柄で活躍し、特に女中役には定評があった[3][4]。1953年5月の「女中の青春」で初主演[3][10]。1955年にはラジオドラマ「サザエさん」でタイトルロールを演じ、同年の新派の舞台でも同役を演じた[3]。京塚昌子・近松芳江らともに若手のホープと目されたが[11]、1956年に退団[3][4]。1957年にフリーランスとなり[1][2]、プレーヤーズセンター(ラジオ・テレビ出演者団体)に所属[2]。活動の中心をラジオ・テレビに移す[3][12]。1961年に近松らと劇団東京新喜劇を結成したが[1][4]、翌年解散[4][13]。その後はさち子プロに所属[13]。私生活では独身を通しており、同じく独身の近松と同居生活を送っていた[3]。また、新橋で大衆酒場も営んでいた[12]。
1970年8月に乳がんが発覚し、近松らからは手術を勧められたが、本人は拒否[3]。徹底的な食餌療法によって一時は快方に向かうものの、テレビドラマ「繭子ひとり」の撮影中の1971年5月に病状が悪化[3]。だが降板はせず、楽屋で布団を敷き、医師の付き添いを受けながらも気力で役を演じきった[3]。
1972年8月5日、44歳の若さで乳がんにより死去[3][5][6]。東京・池上本門寺で行われた葬儀では近松が喪主を務め、「繭子ひとり」で夫婦役を演じた多々良純[注釈 3]、親交のあった真船豊(劇作家)夫妻、寺島信子、小沢昭一、富士真奈美らが参列した[3]。
出演
[編集]テレビドラマ
[編集]- 青い口笛(1956年、NHK)
- あばれ姫君(1957年、TBS)
- にせ金道中記(1957年、NHK)
- お桂ちゃん(1958年、TBS)
- 勝海舟(1958年、日本テレビ)
- 狼(1958年、NHK)
- わたしの父は(1959年、NHK)
- さむさ橋(1959年、NHK)
- 陽気な家政婦さん(1959年、毎日放送)
- 夫婦百景(日本テレビ)
- 第63回「夫婦馬鹿」(1959年7月20日)
- 第69回「二度目の妻」(1959年8月31日)
- 第89回「聖女房」(1960年1月18日)
- 第96回「ベテラン夫婦」(1960年3月7日)
- 第105回「しわんぼ亭主」(1960年5月9日)
- 第111回「技能賞女房」(1960年6月20日)
- 第126回「げてもの狂亭主」(1960年10月3日)
- 第185回「関白亭主」(1961年11月20日)
- 第208回「御遠慮女房」(1962年4月30日)
- 第327回「おにぎり夫婦」(1964年8月10日)
- 氷雨(1959年11月27日、NHK)
- 裁判 鉄路に訊け(1959年12月9日、TBS)
- 不道徳教育講座 第16回「人の不幸を喜ぶべし」(1960年2月4日、フジテレビ)
- 泣き笑いさくらんぼ劇団(1960年4月3日 - 同年7月31日、TBS / 宣弘社)
- 今日は留守です(1960年12月7日、TBS)
- 丹前(1961年1月13日、NHK)
- レッツ・ゴー三人娘(1962年7月9日 - 1963年3月25日、フジテレビ) - ミエの母
- お気に召すまま 第18回「羊腸人類」(1962年11月18日、NET)
- 椿散るころ 大島(1963年4月12日、NHK)
- 特別機動捜査隊 第88話「追いつめられた狼」(1963年7月3日、NET)
- しゃあけえ大ちゃん(1964年7月24日 - 1965年1月22日、TBS) - 松江
- 新しい背広(1966年2月10日、NHK)
- 鉄道公安36号 第144話「超特急を追え」(1966年3月16日、NET)
- 青い山脈 第6話「学園祭騒動」(1966年5月30日、日本テレビ / 松竹)
- 泣いてたまるか 第16話「かわいい怪獣ナキラ」(1966年10月16日、TBS)
- 愛よふたたび(1967年4月10日 - 5月19日、フジテレビ) - おまつ
- 青空に叫ぼう 第15話「優等生なんか」(1966年10月11日、NET)
- みんな世のため 第2話「君もサムライになれる」(1967年10月9日、NET)
- 木下恵介アワー (TBS)
- 野次馬がいく 第23話「こらえろ!親馬鹿」(1968年3月7日、NET)
- 七人の刑事 第355話「贖罪」(1968年、TBS)
- 大奥 第40話 - 第42話(1969年1月4日 - 18日、KTV / フジテレビ) - おかね
- 嫁ゆかば(1969年1月28日 - 7月22日、日本テレビ / 東宝)
- 豆腐屋の四季(1969年7月18日 - 1970年1月8日、朝日放送 / TBS)
- 鬼平犯科帳 第44話「おみよは見た」(1970年、NET / 東宝) - およし
- 火曜日の女シリーズ「蒼いけものたち」(1970年8月25日 - 9月29日、日本テレビ)- 坂野花子
- コント55号60分一本勝負 第20話「終戦特集・ああ、女の軍歌」(1970年8月13日、NET)
- 求む!人間(1970年11月23日 - 12月4日、NHK)
- ワン・ツウ アタック!(1971年5月15日、東京12チャンネル) 第7話「涙をふッ飛ばせ」-絹代の母親
- 繭子ひとり(1971年4月5日 - 1972年4月1日、NHK) - 定枝
ラジオドラマ
[編集]映画
[編集]- 誰よりも金を愛す(1961年、新東宝) - 初代女房の幽霊
舞台
[編集]- 三等重役(1952年、劇団新派) - 久保青子[14]
- 息子の青春(1952年、劇団新派) - 女中
- 滝の白糸(1952年、劇団新派) - 撫子
- 女中の青春(1953年、劇団新派) - お啓(主演)
- サザエさん(1955年、劇団新派) - 磯野サザエ(主演)
- 雑居家族(1956年、劇団新派) - 浜子
- 笑うべからず(1956年、日本劇場) - お里(主演)
- がっこの先生(1959年、東宝現代劇) - まつ[15]
- 奴を眠らせろ(1959年、劇団東芸) - 塩川[16]
- おかあちゃん(1961年、東京新喜劇)[17]
- 落第生乾杯(1962年、新宿コマ劇場)つるよ[18]
- 山参道(1965年、蓮の実会)- おしま[19]
- 鼬(1965年、蓮の実会)[19]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e 『タレント名鑑NO2』芸能春秋社、1963年、116頁。
- ^ a b c d e f g 「新桜オールスタァ名鑑」『芸能画報』4月号、サン出版社、1958年。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 「なぜ市川寿美礼はガンと知りつつ手術を拒否したのか?」『週刊平凡』8月17日号、平凡出版、1972年、159-162頁。
- ^ a b c d e f g h i 『現代の舞台俳優(演劇界臨時増刊)』演劇出版社、1964年。
- ^ a b c 『北海道年鑑 1973年版』北海道新聞社、1972年、808頁。
- ^ a b c d 『日本女性人名辞典』日本図書センター、1998年、98頁。
- ^ a b 『女性の年鑑 人名篇 昭和36年版』東京学風書院、1961年、94頁。
- ^ a b 『北海道年鑑 1967年版』北海道新聞社、1966年、722頁。
- ^ 大宅壮一「芸能基地」『日本新おんな系図』中央公論社、1959年、198頁。
- ^ 大笹吉雄『日本現代演劇史 昭和戦後篇2』白水社、2001年、447頁。
- ^ 大笹吉雄『日本現代演劇史 昭和戦後篇2』白水社、2001年、501頁。
- ^ a b 「こんなとち こんなひと/北海道」『新婦人』6月号、文化実業社、1967年、150頁。
- ^ a b 『日本タレント年鑑70』日本タレント年鑑刊行会、1970年、175頁。
- ^ 日本演劇協会 編『戯曲代表作選集 演劇年鑑 1953年』早川書房、1967年、361頁。
- ^ 菊田一夫『菊田一夫戯曲選集 3』演劇出版社、1967年、587頁。
- ^ 内外文化研究所 編『左翼文化運動便覧 1960年版』武蔵書房、1960年、282頁。
- ^ 『芸能』11月号、芸能学会、1961年、74頁。
- ^ 『芸能』8月号、芸能学会、1962年、82頁。
- ^ a b 『芸能』9月号、芸能学会、1965年、81頁。