平神社古墳
平神社古墳 | |
---|---|
墳丘(右手前に前方部、左奥に後円部) | |
所在地 | 島根県隠岐郡隠岐の島町平 |
位置 | 北緯36度13分10.09秒 東経133度18分11.65秒 / 北緯36.2194694度 東経133.3032361度座標: 北緯36度13分10.09秒 東経133度18分11.65秒 / 北緯36.2194694度 東経133.3032361度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 | 墳丘長46m 高さ5.5m(後円部) |
埋葬施設 | 横穴式石室 |
出土品 | 埴輪・須恵器・土師器 |
築造時期 | 6世紀後半 |
史跡 | 島根県指定史跡「平神社古墳」 |
特記事項 | 隠岐諸島第1位の規模 |
地図 |
平神社古墳(へいじんじゃこふん)は、島根県隠岐郡隠岐の島町平にある前方後円墳。島根県指定史跡に指定されている。
隠岐諸島では最大規模の古墳で、6世紀後半(古墳時代後期)頃の築造と推定される。
概要
[編集]隠岐諸島の主島の島後の最大の平野である八尾平野(やびへいや)を一望する位置に築かれた古墳である[1]。くびれ部南側に平神社が鎮座し、古墳名はこれに由来する。これまでに発掘調査は実施されていない。
墳形は前方後円形で、前方部を西方に向ける。墳丘長は約46メートルを測り、隠岐諸島で確認されている前方後円墳約10基のうちでは最大規模になる[2]。墳丘は2段築成[2]。墳丘表面では、葺石と見られる川原石や埴輪片が認められている[2](埴輪片の出土は隠岐地方で唯一[3])。埋葬施設は横穴式石室で、石室長は8メートルを測る[2]。ただしこの石室は盗掘に遭っているため、石室上半は失われ[2]、副葬品のほとんども失われている[4]。出土品としては、上述の埴輪のほか須恵器・土師器が検出されている[1]。
この平神社古墳は、出土埴輪等や石室形態から6世紀後半(古墳時代後期)頃の築造と推定される[2]。隠岐の前方後円墳約10基のうちでは最後の築造と推測される[2]。
古墳域は1969年(昭和44年)に島根県指定史跡に指定された[2]。なお、本古墳の位置する八尾平野では隠岐国府・隠岐国分寺跡・国分尼寺跡の存在も推定され、一帯は律令制下に入っても隠岐国の中心をなした地域になる[2]。
墳丘
[編集]墳丘の規模は次の通り[4]。
- 墳丘長:約46メートル
- 後円部 - 2段築成。
- 直径:約32メートル
- 高さ:約5.5メートル
- 前方部 - 2段築成。
- 幅:約20メートル
- 高さ:約4.5メートル
- 後円部から前方部を望む
- 前方部から後円部を望む
- 墳丘裾に鎮座する平神社
埋葬施設
[編集]埋葬施設は横穴式石室で、後円部の西寄り(くびれ部寄り)に位置し、南西方に開口する。現存のものは長さ約8メートル、奥壁幅約2メートルを測るが、天井石を含む石室の上半部分を喪失している[2]。石材は自然石と割石からなる[2]。
なお、この石室は後円部中心からずれた位置にあることから、東側(後円部中心付近)にも別の石室が存在する可能性が指摘されている[2]。
文化財
[編集]島根県指定文化財
[編集]- 史跡
- 平神社古墳 - 昭和44年5月23日指定[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 史跡説明板(島根県教育委員会・隠岐島後教育委員会、平成12年3月設置)
- 「平神社古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 978-4490102604。
- 「平神社古墳」『日本歴史地名大系 33 島根県の地名』平凡社、1995年。ISBN 4582490336。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 県指定文化財(史跡・名勝・天然記念物) > 平神社古墳 - 隠岐の島町教育委員会