慕容 遵[1](ぼよう じゅん、生没年不詳)は、五胡十六国時代の前燕の人物。昌黎郡棘城県の出身。前燕の燕王慕容皝の子。
咸康3年(337年)6月、段部の大人段遼は慕容皝討伐のため、従弟の揚威将軍段屈雲を遣わした。慕容皝は慕容遵に精騎を与え、興国城[2]で夜襲を仕掛けた。慕容遵は段屈雲を討ち取り、その兵を尽く捕虜とした。
元璽3年(354年)4月、臨賀王に封じられた。
これ以後の事績は、史書に記されていない。
- ^ 『資治通鑑』・『十六国春秋』では、慕容逮と記されている。
- ^ 『晋書』巻109では、五官水上で戦ったと記されている。