成実村
なるみそん 成実村 | |
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廃止日 | 1954年6月1日 |
廃止理由 | 編入合併 彦名村、崎津村、大篠津村、和田村、富益村、夜見村、巌村、成実村 → 米子市 |
現在の自治体 | 米子市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 西伯郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 | 2,606人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 米子市、天津村 島根県能義郡伯太村・安来市 |
成実村役場 | |
所在地 | 鳥取県西伯郡成実村 |
座標 | 北緯35度24分27秒 東経133度20分43秒 / 北緯35.40758度 東経133.34522度座標: 北緯35度24分27秒 東経133度20分43秒 / 北緯35.40758度 東経133.34522度 |
ウィキプロジェクト |
成実村(なるみそん)は、明治22年(1889年) - 昭和29年(1954年)、鳥取県にあった村。米子平野南部、加茂川流域に位置する。
概要
[編集]- 明治22年(1889年)10月 - 町村制施行により会見郡陰田村、西大谷村、長田村、宗像村、日原村、奥谷村、石井村、美吉村、新山村、古市村、吉谷村、橋本村及び奈喜良村の区域をもって、会見郡成実村が発足する。
- 明治29年(1896年)3月 - 郡の統合により西伯郡に所属する。
- 大正15年(1926年)9月 - 陰田、西大谷、長田及び美吉の区域を米子町に編入する。当村は10大字を編成。
- 昭和29年(1954年)6月 - 米子市に編入する。成実村の大字は米子市の大字に継承。
商工業
[編集]明治37年(1904年)『伯耆国実業人名録』成実村の部では[1]、
- 大谷岩次郎(履物商・黒瓦製造・化粧品各種)[1]
- 岩崎吉五郎(古市、貸付・質屋)[1]
- 鳥吉初五郎(長砂、水車業・米穀鶏卵販売)[1]
- 太田栄三郎(宗像、海産物・乾物・荒物)[1]
- 田中市四郎(奥谷、染物業)[1]
- 前田直太郎(石井、繭糸製造)[1]
- 手嶋初太郎(宗像、米穀・乾物・荒物)[1]
- 北島亀太郎(長砂、水車業)と記載されている[1]。
大正5年(1916年)刊の『陰陽八郡一覧』によって、国税二十円以上の納税者をみると[1]、 金銭貸付の岩崎(古市)、柴本(長砂)、生田(石井)、瀬尾(美吉)以外は駅前での営業者で、
- 内田秀蔵[2](「米吾」、物品販売、二十八円二十銭)[1]
- 石田運送合名(運送・請負、五十一円三十銭)[1]
- 柏木正一(旅館、二十三円八十銭)[1]
- 名島合名(物品販売、五十九円三十銭)[1]
- 赤沢康平[3](請負、五百十四円六十銭)となっている[4]。
戸口など
[編集]史跡
[編集]- 石井要害跡
- 宝石城跡
→詳細は「橋本 (米子市)」を参照
出身人物・ゆかりのある人物
[編集]学者
[編集]法曹
[編集]文化人
[編集]- 佐藤徳尭(小説家) - 代表作『山陰の民話』8巻。
医師
[編集]- 世良田良仲 - 腹を切った医者。
技術者
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『米子商業史』』(1990年、編纂・著作 米子商工会議所米子商業史編纂特別委員会、1990年、499-502頁)
- 『市町村名変遷辞典』(東京堂出版、1990年)