戸田忠位
時代 | 江戸時代中期 |
---|---|
生誕 | 元禄11年(1698年) |
死没 | 元文元年9月4日(1736年10月8日) |
改名 | 文五郎(幼名)、忠位 |
別名 | 玄蕃(通称) |
戒名 | 行建院殿月永甫全強大居士 |
墓所 | 東京都新宿区牛込の松源寺 |
官位 | 従五位下、出雲守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 下野国足利藩主 |
氏族 | 戸田氏 |
父母 | 父:戸田忠囿、母:土屋氏 |
兄弟 | 忠位、輝昌、遠藤常之、忠知、天野昌邦、 窪田忠一、忠褒、忠則、ほか |
妻 | 正室:松平信治の娘、側室:高階氏 |
子 | 忠言、忠有(三男)、忠貫(四男) |
戸田 忠位(とだ ただたか)は、下野足利藩の第3代藩主。宇都宮藩戸田家分家3代。
元禄11年(1698年)、第2代藩主・戸田忠囿の長男として生まれる。享保10年12月18日(1726年)に従五位下・出雲守に叙位・任官する。享保17年(1732年)、父の死去により家督を継いだ。
元文元年(1736年)9月4日に死去した。享年39。跡を長男の忠言が継いだ。
系譜
[編集]父母
- 戸田忠囿(父)
- 土屋氏 ー 正室(母)
正室
- 松平信治の娘
側室
- 高階氏
子女