文英尼
文英尼(ぶんえいに、慶長14年(1609年) - 延宝8年(1680年))は、江戸時代初期の女性。
父は園基任。はじめ、中和門院(近衛前子)に女官として仕えていた。その後、正室である徳川秀忠の娘・初姫を病気で亡くした京極忠高に後室として嫁いだと思われる。
寛永14年(1637年)に忠高が死去すると出家し、文英尼と号した。万治2年(1659年)、幡枝離宮[1]を後水尾天皇から譲渡され、輪王寺宮守澄法親王の補助を受け、景川宗隆を開基として大悲山円通寺とした。寛文2年(1662年)には霊元天皇の行幸を受ける。
姉に後水尾天皇典侍園光子(壬生院)がおり、後光明天皇の叔母にあたる。兄の園基音の娘が園国子(新広義門院)であり、霊元天皇の大叔母であることもあり、霊元天皇の乳母となる。
延宝8年(1680年)に死去。享年72。戒名は円光院瑞雲文英大姉。
参考文献
[編集]- 国民の歴史
- 京都の寺社505を歩く 上巻
- 京都府愛宕郡村誌
- 日本歴史大辞典 第2巻
- 京都ともある記
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “京都市左京区 | 勅願所 圓通寺 | 寺院”. 勅願所 圓通寺. 2024年9月7日閲覧。