春慶院
春慶院 | |
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所在地 | 東京都台東区東浅草2-14-1 |
位置 | 北緯35度43分25.32秒 東経139度48分2.74秒 / 北緯35.7237000度 東経139.8007611度座標: 北緯35度43分25.32秒 東経139度48分2.74秒 / 北緯35.7237000度 東経139.8007611度 |
山号 | 月光山 |
院号 | 春慶院 |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 江戸時代前期 |
開山 | 円蓮社団誉評林和尚 |
開基 | 伊勢屋太兵衛 |
法人番号 | 1010505000294 |
春慶院(しゅんけいいん)は、東京都台東区にある浄土宗の寺院。
歴史
[編集]江戸時代前期、伊勢屋太兵衛の開基である。伊勢屋太兵衛の娘を供養するために創建された。
高尾太夫の墓
[編集]境内には、高尾太夫の墓がある。「高尾太夫」とは吉原遊廓の太夫の名跡ともいえる源氏名で、過去に11人いるとされている。当院に葬られているのは二代目の高尾太夫である。二代目高尾太夫の生涯は半ば伝説化されており、仙台藩藩主の伊達綱宗に身請けされたとも、その綱宗に斬殺されたともいわれている。墓石に記された没年は「万治2年(1659年)」で、綱宗が藩主だった時期であり、その綱宗の内命によって建てられたものという[1][2]。
二代目高尾太夫の墓と呼ばれるものは他にもあり、様々な伝説が残されている。
- 西方寺(東京都豊島区)
- 高尾稲荷神社(東京都中央区)…伊達綱宗に殺されたとされ、太夫の頭蓋骨が神体とされている[3]。
- 永源寺(埼玉県坂戸市)…高尾太夫は旗本の島田権三郎に想いを寄せており、伊達家の追及をかわすために島田家の領地だった坂戸に逃れたという。太夫の死後、権三郎は出家して「道哲」を名乗り、西方寺で菩提を弔ったという[4]。
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ 山折哲雄 監修、槇野修 著『江戸東京の寺社609を歩く 下町・東郊編(PHP新書)』PHP研究所、2011年、154-155p
- ^ 台東区の史跡・名所(日本堤・清川・橋場・東浅草・今戸)台東区「台東区文化探訪アーカイブス」
- ^ お江戸万治の太夫・仙台高尾の悲話が伝わる「高尾稲荷神社」中央区観光協会「中央区観光協会特派員ブログ」
- ^ 萬治高尾の物語永源寺
参考文献
[編集]- 山折哲雄 監修、槇野修 著『江戸東京の寺社609を歩く 下町・東郊編(PHP新書)』PHP研究所、2011年