春日元忠

春日 元忠(かすが もとただ、? - 慶長13年(1608年))は、戦国時代から江戸時代初期の武将武田氏、次いで上杉氏の家臣。米沢藩執事。本姓滋野氏通称は与十郎、右衛門尉。

経歴

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はじめ武田勝頼に仕えたが、天正10年(1582年)に織田信長徳川家康によって武田氏が滅亡すると、上杉景勝のもとに逃れて、その家臣となり、天正12年(1584年)には信濃国青柳城代となる。そして家老直江兼続に従って天正19年(1591年)には庄内一揆残党鎮定にあたり村上城を治定。

慶長3年(1598年)には高畠城代となった。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いが勃発すると、命令により出羽最上氏の領地に侵攻したが、長谷堂城の戦いにおいて最上氏の武将・志村光安の前に大敗を喫した。

慶長6年(1601年)の米沢転封後は執事兼奉行郡代となり、直江体制の元で郷村支配を初めとした藩政を統括し「直江氏被官の棟梁」などと称された。

死去後、後任の執事は同じく武田家旧臣の平林正恒が引き継ぐ。

参考文献

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  • 「三百藩家臣人名事典1」新人物往来社