智観寺
所在地 | 埼玉県飯能市中山520 |
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位置 | 北緯35度51分45.5秒 東経139度19分09.5秒 / 北緯35.862639度 東経139.319306度座標: 北緯35度51分45.5秒 東経139度19分09.5秒 / 北緯35.862639度 東経139.319306度 |
山号 | 常寂山[1] |
院号 | 蓮華院[1] |
宗旨 | 新義真言宗[1] |
宗派 | 真言宗豊山派 |
創建年 | 元慶年間[1] |
開基 | 丹冶武信[1] |
中興 | 朝覚[1] |
正式名 | 常寂山 蓮華院 智観寺 |
法人番号 | 1030005014628 |
智観寺(ちかんじ)は、埼玉県飯能市にある真言宗豊山派の寺院である。山号は常寂山(じょうじゃくざん)。
歴史
[編集]陽成天皇の元慶年間(877年~885年)に中山丹治武信が創建したと伝えられている。永正年間(1504年~1521年)に朝覚上人によって中興された。その後火災や慶応4年(1868年)の飯能戦争で焼失したが、明治9年(1876年)再建された。
この寺にはかつて水戸徳川家に仕え、常陸松岡藩2万5,000石の大名となった中山信吉や中山氏の墓碑が多数ある。このほか埼玉県指定有形文化財の中山信吉木碑、智観寺板石塔婆などの考古資料などの文化財は宝物館に収められ、毎年10月最終日曜日に一般公開されている。
家光より代々御朱印を20石賜る。
高麗郡三十三所巡礼の第一札所。
文化財
[編集]- 本尊 木造不動明王及び両脇侍像:江戸時代
- 中尊:寄木造、玉眼、古色
- 両脇侍:寄木造、玉眼、彩色
- 中山信吉木碑(埼玉県指定有形文化財[2]):木碑 ケヤキ材一材製、台座の亀趺は寄木造 撰文:儒学者林道春(後の林羅山)
- 中山信吉坐像:寄木造、玉眼、彩色
- 鶴型燭台:鋳銅製、木製台座
- 智観寺板石塔婆3基(埼玉県指定有形文化財[3]):鎌倉時代 仁治二年(1241)銘、仁治三年(1242)銘、永仁六年(1298)銘
- 絹本着色仏涅槃図(埼玉県指定有形文化財[4]): 鎌倉時代、掛幅装、絹竪地一幅、着彩、一部截金
- 木造薬師如来坐像:鎌倉時代― ヒノキ材割矧造、彫眼、漆箔(後補)
- 木造宝冠釈迦如来坐像:江戸時代― 寄木造、玉眼、漆箔
- 中山信吉墓(埼玉県指定史跡[5]):江戸時代 石造
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 新編武蔵風土記稿 1929, p. 127.
- ^ 飯能市ホームページ 有形文化財 書跡・古文書.
- ^ 飯能市ホームページ 有形文化財 考古資料.
- ^ 飯能市ホームページ 有形文化財 絵画.
- ^ 飯能市ホームページ 有形文化財 史跡・名勝・旧跡・重要遺跡.
参考文献
[編集]- 蘆田伊人編 編「中山村 智観寺」『大日本地誌大系』 第13巻 新編武蔵風土記稿 巻ノ179高麗郡ノ4、雄山閣、1929年8月、127頁。NDLJP:1214901/70。
- “有形文化財(書跡・古文書)”. 飯能市ホームページ (2019年4月8日). 2021年4月10日閲覧。
- “有形文化財(考古資料)”. 飯能市ホームページ (2019年4月8日). 2021年4月10日閲覧。
- “有形文化財(絵画)”. 飯能市ホームページ (2019年4月8日). 2021年4月10日閲覧。
- “有形文化財(史跡・名勝・旧跡・重要遺跡)”. 飯能市ホームページ (2019年4月8日). 2021年4月10日閲覧。