朱友誨
朱 友誨(しゅ ゆうかい、? - 921年)は、後梁の太祖朱全忠の甥。朱全昱の末子。
叔父の受禅後、邵王に封じられる。921年、次兄の朱友能の謀反に巻き込まれて、長兄の朱友諒と共に激怒した従弟の末帝によって、兄弟まとめて処刑された。
関連書内の記述
[編集]旧五代史
[編集]『旧五代史』(梁書巻十二 宗室列伝)の記述。
- 友誨,全昱子,封邵王。乾化元年,以檢校兵部尚書充控鶴指揮使。坐友能反廢,後為唐兵所殺。
資治通鑑
[編集]『資治通鑑』の記述。
- 邵王友誨,全昱之子也,性穎悟,人心多向之。或言其誘致禁軍,欲為亂,梁主召友誨,與其兄友諒、友能並幽於別第。及唐師將至,梁主疑諸兄弟乘危謀亂,並皇弟賀王友雍、建王友徽盡殺之。